目次
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コミュニティ心理学への招待――序に代えて
第Ⅰ部 コミュニティ心理学の基礎
第1章 コミュニティ心理学の特色
1 コミュニティヘの介入
2 「コミュニティ心理学」の定義
3 戦略概念としての「コミュニティ」
4 コミュニティ介入の類型と方略
5 コミュニティ心理学者の役割
6 組織体への介入
第2章 コミュニティ心理学の研究法
1 研究法の4つの範疇
2 生態学的アプローチ (主に,人間行動の生態学的研究)
3 疫学的研究
4 一般システム論
5 評価研究
第3章 コミュニティ・アプローチの特色と過程
1 コミュニティ・アプローチ
2 コミュニティ・アプローチの特色
3 コミュニティ・アプローチの5段階
4 コミュニティ・アプローチをめぐる諸問題
5 コミュニティ・アプローチによる介入事例から
第Ⅱ部 地域メンタルヘルス
第4章 コミュニテイ・ケア
1 コミュニティ・ケアとは
2 コミュニティ・ケアの特色
3 コミュニティ・ケアの諸相
4 コミュニティ・ケアの効用と限界
第5章 地域メンタルヘルス
1 地域メンタルヘルスの誕生とその定義
2 地域メンタルヘルスの特色
3 予防メンタルヘルスのアプローチ
4 わが国における地域メンタルヘルスの展開
第6章 第一次予防としての「児童の健全育成」
1 「乳・幼児期」とは
2 乳・幼児期における心の保健サービス
3 心の保健における第一次予防
4 むすび
第7章 子育て支援のネットワークづくりと行政管理的対策
1 少子化のインパクト
2 なぜ,「子育て」がつらくなったか
3 子育て支援システムづくりでの留意点
4 モデルは「福岡県の青少年健全育成のための三層支
?援システム」
5 21世紀への子育てをめざして
第Ⅲ部 ボランティアと電話相談
第8章 危機介入法
1 危機援助への二ーズ
2 「危機」の理論
3 「危機」の2つのタイプ
4 危機への援助
5 危機療法(危機介入) の方法と過程
6 むすび
第9章 ボランティアによる相談・助言システム
1 新しい相談・助言システム
2 専門家と非専門家ボランティアの協働
3 「ユーザー」のためのシステム
第10章 いのちの電話
1 いのちの電話の特色
2 いのちの電話が目指すもの
3 この運動をめぐる課題と展望
4 むすび
第11章 「ボランティア」の効用と限界
1 現代の社会状況と「いのちの電話」
2 方法としての「いのちの電話」
第12章 社会資源の活用
1 いのちの電話の「基本線」と地域社会
2 社会資源の活用
3 社会資源の活用戦略
第Ⅳ部 学校組織への接近
第13章 学校コンサルテーション
1 学校は「コミュニティ」か
2 「コンサルテーション」の定義
3 学校コンサルテーションの一事例
4 コンサルテーションの評価
5 学校コンサルテーションの意義と問題点
第14章 学校教育組織の変革
1 いま,学校は
2 「学校づくり」への取り組み
3 「荒れた中学校」における学校改善の実践
4 ウォード高等学校の変革
5 「学校変革」をめぐる諸問題
第15章 学校教育組織へのエコ・システミックな支援
1 「学校」とは何か
2 文部省「いじめ対策緊急会議」の最終報告書について
3 学校システムへの介入
4 学校教育組織へのエコ・システミックな支援
第16章 大学環境とコミュニティ・アプローチ
1 九州大学教養部での原級残留者に対する予防対策
2 九州大学における留年対策のコミュニティ・アプ
?ローチの内容
第17章 最近の留年問題に関する一考察
1 国立大学の留年者数
2 「原因」からみた「留年」のいろいろ
3 九州大学教養部での留年
4 最近の留年
第18章 大学中途退学に関する一考察
1 教養部段階の中退率は,3.6%
2 中退率を出身県別にみる
3 大学中退率と相関する要因は何か
4 中途退学の時期とその理由 (または,原因)
5 おわりに
第Ⅴ部 行政の政策決定と専門家の役割
第19章 行政の政策決定と専門家の役割
1 最近10年間における行政参画の経験
2 ある政令指定都市の専門委員(会)のこと
3 もうひとつの経験から
4 機能的な「審議会」・「専門委員会」の要件
附 章 わが国のコミュニティ心理学
1 はじめに
2 わが国のコミュニティ心理学の歩み
3 むすび
文 献
初出一覧
人名索引
事項索引
前書きなど
コミュニティ心理学への招待―序に代えて
「コミュニティ心理学」に,ようこそ。まず,興味と関心のあるところから,気ままに読み始めること,そして飽きたらすぐに休憩すること。これが読書上手のコツだと言ったのは,『幸福論』の著者カール・ヒルティだったか。 さて,そもそもコミュニティ心理学は,21世紀の「人と社会の諸問題」に挑戦しようとする心理学者にとって,文字どおり不可欠の視座である。もちろん,「人と社会の諸問題」の解決にコミットしている他分野の人々にとっても,有用な示唆が含まれている。
この視座の一方の極には,「個人」の健康と成長に資するための心理治療的アプローチがあり,他の極には,個人を「環境」という「社会システム」の下位システムとして捉え,当該の「環境」を変革して,地域住民の健康と福祉と安寧を向上させることを目ざすアプローチがある。
「コミュニティ心理学」 とは何かについて,詳しくは,本文で述べることとして,ここでその特色について,簡単に述べておきたい。コミュニティ心理学はアメリカに発祥したが,まずその草創期の定義を紹介しておこう。C. C. ベネットの「コミュニティ心理学:地域メンタルヘルスのための心理学者教育に関するボストン会議の印象記」(1965) というルポルタージュ風の論文によると,「コミュニティ心理学とは……複雑な相互作用の中で個人の行動と社会システムとを関係づける心理的過程全般についての研究に貢献するものである。この関係づけについての理論化による明確化は,個人や集団,社会システムなどを改善しようとする活動計画の基礎を提供するものである」と説明している。
『アメリカン・サイコロジスト』誌に載ったこの論文は,「新しい心理学」の誕生を告げるファンファーレとなった。後世,この「ボストン会議」がアメリカにおけるコミュニティ心理学発祥の場として語られるようになったのも,あながち不当ではなかろう。
また,ベネットらの編集で翌年に出た『コミュニティ心理学』(1966) によれば,コミュニティ心理学者の役割として,〈変革の媒体者〉,〈社会システムの分析者〉,〈コミュニティ問題のコンサルタント〉,〈環境全体との関連で人間を全人として捉える研究者〉,〈参加的理論構成者〉などが挙げられている。つまり,コミュニティ心理学者とは,コミュニティの諸過程に余すところなく関与し,それを動かす人であるが,それと同時に,彼/彼女は心理学や社会諸科学の知識の枠組みの中で,そうした諸過程の理論化を図る専門家でもある,というのである。つまり,単なる「応用心理学者」ではなく,「真の理論的研究者」でもあると言っているのである。
では,日本の場合について略述しておこう。日本でのコミュニティ心理学の登場は何時だったかに答えるには若干の前提条件が要るが,本書巻末の「附章」でも述べるように,次の2つの年度のいずれかを,日本の学界へのデビューの年としてはどうかと考えている。ひとつは1969年で,東京大学での第33回日本心理学会の学会企画シンポジウムの時のテーマが「コミュニティ心理学の諸問題」であった。そしてもうひとつは,九州大学で「第1回コミュニティ心理学シンポジウム」が開催された1975年である。なお,第1回コミュニティ心理学シンポジウムの研究発表と討議の全内容は,安藤編『コミュニティ心理学への道』(新曜社, 1979) として公刊されている。しかもその後,毎年このシンポジウムは開催され,1998年に第23回を数え,あくる1999年4月には,ついに「日本コミュニティ心理学会」に発展的に統合され,今日に至っている。
日本のコミュニティ心理学の起点を1969年とするか,それとも1975年とするかであるが,私としては,「エポック・メイキングな年」としても無理がないのは1975年の方ではあるまいか,と考えている。もしそれを起点とするのであれば,日本とアメリカの間には,コミュニティ心理学の発祥において約 10年の「時差」があることになる。
なお,ここで確認しておきたいのは,日本の心理学や社会学,精神医学などの研究者や実践家の間では,「コミュニティ心理学」が,学会シンポジウムなどのような顕わな形で動き始める以前からすでに,その萌芽が認められつつあったということである。特に,臨床心理学会,グループ・ダイナミックス学会,組織心理学会,社会精神医学会などに関わる研究者たちのなかには,旧来の方法論や自らの伝統的な役割が,現実問題の打開にとって十分に機能していないという実感から,「新しいアプローチ」の探索を始めていた人々が,少数ながらいた。自らを例に挙げて恐縮だが,「留年研究の新しい視点」(『せいしん』第3号, 1968a) や「学校カウンセリングとチームワーク:組織化のための戦略を中心に」(『教育と医学』第16巻4号, 1968b) などのエッセイには,後年のコミュニティ心理学の旗揚げを予感させる発想が随所に窺える。
要するに,社会構造や文化を異にする日本とアメリカで,ほぼ同時期に新しいジャンルの心理学が萌芽し開花したことは,まことに興味深いことである。
さてここで,本書の構成について紹介しておきたい。本書は,5部19章の本文と,附章1篇,「コミュニティ心理学への招待―序に代えて」,参考文献から成っている。
まず,第Ⅰ部は「コミュニティ心理学の基礎」であるが,ここでは,コミュニティ変革において要請される介入の理論やスキル,介入者の資質などについて論じる。なかでも第1章3節(戦略概念としての「コミュニティ」)は,「コミュニティ」という術語が,従来の「地域社会」や「地域共同体」のような,一定の物理的範域や可視的相互作用だけでなく,電話やインターネットなどを介して成り立っている人と社会システムとのネットワークとして定義されている。これを「機能的なコミュニティ」と呼ぶこともある。こうなると,マッキーヴァー(1931)が特色づけた「コミュニティ」とは趣を異にする家族や学校,企業組織などの社会システムまでもが「コミュニティ」に含まれることになる。なお,コミュニティの定義の詳細は,本文に譲ることにしよう。
第Ⅱ部は,「地域メンタルヘルス」に関わるテーマとして,4つの章を掲げた。第5章の「地域メンタルヘルス」は,第Ⅱ部全体の総論として,その基本コンセプトと日本における歩みについて確認し,後はこの分野の各論を掲げた。 第Ⅲ部は,「ボランティアと電話相談」の主題のもと,5つの章で構成した。都市化や地域コミュニティの崩壊,少子高齢化,グローバリゼーションなどの社会変動の急速な進展に伴い,子育てや防犯,生活上の安全・安心などが著しく脅威に晒されているのが,現代の日本社会である。これらの「日常的諸問題」に対する個人や家族,地域社会の「問題対処力」の衰弱は,目を覆わしめるものがあり,現にいろいろな悲劇が多発している。第8章では,「危機介入法」の基本コンセプトと技法を取り上げ,ついで各論的にボランティアによる電話相談や社会資源の活用に際しての留意点などを考察した。
第Ⅳ部は「学校組織への接近」のタイトルで6つの章を括った。「学校の変革」や「学校支援」などの「学校組織」への介入は,社会システム介入のうちで一番難しい部類に属するかもしれないが,熟練のコンサルタントや進取の気性に富む校長に恵まれると,想像を超えた実績を上げることができる。そんな事例も掲げて参考に供した。
第Ⅴ部は,「行政の政策決定と専門家の役割」のテーマで一章を配した。地域問題の解決や住民福祉の向上と,都道府県や市町村の行政管理的な対策の成功とは,密接にリンクしている。したがって,誰を審議会委員に選ぶかは行政側の決めるところだが,選ばれた専門家が如何に有効に機能するかは,専門家の側の責務である。「機能的な審議会」の要件や,すぐれた答申・提言の作り方,その行方の見届け方など,優にコミュニティ心理学の重要テーマを構成する。ここでは,私の乏しい経験を俎上に載せて,考察してみることにする。
最後に,「附章」として「わが国のコミュニティ心理学」を配した。その章でも述べるように,日本のコミュニティ心理学の歴史は,30有余年に過ぎないが,この間,「実践・研究」の蓄積は活発化の一途を辿った。そして,それを立証するかのごとく,近年は学会企画によるコミュニティ心理学の「ハンドブック」や入門シリーズなどの出版も活発である。 ところで,本書に収録された論文は,おおむね「日本のコミュニティ心理学」が萌芽し,開花しようとしていた季節の制作である。とくに私の場合は,1970年代から90年代にいたる30年間の「マス化した大規模国立大学」が主たるフィールドであり,その住人でもあった。そこでは,自殺や学生運動,大学紛争などの,「マス化した大学状況」が,大学の研究・教育の機能をマヒさせ,それに淵源する大学紛争や学生の「アパシー」,「留年」,「中途退学」,「大学封鎖」,「内ゲバ」などが渦巻く苛酷な「現場」だった。
それでも,こんな状況のどこかに,小さくてもいい,心理学という蟷螂の斧を用いて「風穴」が開けられないものか。当時の私にドン・キホーテ的野心があったとすれば,こんなことだったかもしれない。
本書の構想を新曜社の堀江洪社長(当時)に報告し,出版を引き受けていただいたのは数年前のことであるが,ここにようやく上梓の運びとなり,ひとまずほっとしている。 しかし,時すでに堀江社長はなく,拙著をお目にかけることができなかったことは,まことに残念でならない。生前のご厚誼を偲び,謹んでご冥福をお祈り申し上げる。 実は,日本コミュニティ心理学会の「呱々の声」とも言うべき『コミュニティ心理学への道』(安藤延男編,1979)の出版を快く引き受けて下さったのが堀江社長との最初の出会いではなかったか。未知数の新しい学問分野に立ち向かう者にとって,どれほど元気づけられたか知れない。あまつさえ,以降もコミュニティ心理学の関連論文集や翻訳書の出版に協力して下さり,その冊数は優に十指に余る。日本におけるコミュニティ心理学の誕生と発展に大きく寄与していただいた新曜社への感謝を,日本コミュニティ心理学会は,決して忘れることはないであろう。
ところで本書は,折々の日常世界の心理・社会的な諸問題を取り上げ,「実践即研究」の立場から,有効な解決策を模索してきた試行錯誤の軌跡である。ささやかな成果ではあるが,ここにひとまず一書にまとめてご批判を仰ぐことにした。
最後に,新曜社の塩浦暲社長から賜った激励と助言に対し,心より感謝を申し上げる。また,畏友にして前福岡県立大学学長の橋口捷久氏には,ご多忙中にもかかわらず,再三にわたる全文通読と貴重なコメント,索引項目の作成,文献の校正など,一方ならぬご尽力を賜った。ここに記して,深甚の謝意を表するものである。
最後に,わが国の「コミュニティ心理学」の一層の発展を祈念し,拙著の序文としたい。