目次
プロローグ 「生きづらさ」と「不寛容」
社会の全階層を覆う「薄いガスのような恐怖」
「信じているもの」に過度に囚われない
第1章 誰が世界を壊したがっているのか
『金閣が焼けたら……こいつらの法律は無効になるだろう』
暴力が現実以上の意味を持つ「魔術」に
「西側とビンラディンのような人間との戦いであり、世界覇権のための戦いではない」
政治主張を除いたテロリズム
不完全な世界を受け入れられない
第2章 すべての歴史は修正(リヴィジョン)を免れない
近代日本は「イスラーム国」だった?
キリスト教徒への流罪を「寛大な処置」と説明
一六〇〇か寺あった寺院が六か寺に
無差別爆撃に対する報復でB29搭乗員を斬首
出来事の「構成」という名の修正
どのような人間でもありとあらゆる残虐行為が可能
第3章 暴力と排除をこよなく愛するアイデンティティ
わずか一週間で生徒全員がファシストに
「空白を埋めようとする主義が危険」
一〇〇年前後しか遡れない疑似伝統
憲法改正というショック療法で日本が救われる
「男優位の社会」と「戦後家族モデル」
超時間的な「思い出」から「本然の姿」が現われる
第4章 どんなユートピアもディストピアである
世俗主義〝疲れ〟による「中世回帰」
自分の宗教への冒瀆と、他者の宗教への冒瀆を混同する愚
「我々は選択を迫られている。キリストか、グラルトンか」
国民と非国民の二つのカテゴリーに選別する体制
「新たなアパルトヘイト階級社会」の足音
第5章 人間に永遠の命を与えるのは国家だ
「私心」がなければ「死の恐怖」もない
「崇高さを帯びる」ということのまやかし
他者を通じてしか「生の肯定感」は得られない
「死者の国家管理」に抗する社会の自立性
第6章 〈感情〉という怪物(モンスター)が徘徊している
日本社会の〝多様性のなさ〟が不寛容を生む
国家権力が意図しない、自発的な「二分間憎悪」
「取り残される不安」と「自己イメージ」に躍起になる
ネットは「階級」を再生産し、可視化する
真実を映す「透視サングラス」という罠
「選別する社会は長くは続かない
会ったこともない誰かを呪い続ける一生か、新しいつながりか
第7章 世界史の教科書に載らない何千万もの死者たち
誰も語りたがらない史上最大の〝テロ〟
「人類最大の敵」と呼んだスペイン人の蛮行
世界帝国と資本主義の生みの親「奴隷船」
途方もない暴力と収奪によって成立した「豊かな社会」
第二次世界大戦後も西側諸国の関与で五〇〇〇万人が死亡
困難に対応できない「脆弱な社会状況」を残す
強制収容所と無差別爆撃という二大発明
「それが本当の歴史なら隠すことないでしょう」
第8章 居場所なき時代の絶望、または希望
現在を人類史の一コマとして観察する
人間の宇宙的存在を告げ知らせる「陶酔」
大切なのはどんな人間であるか「だけ」
「他者が示す模範」にかかっている
「人間の人間に対する関心」から離れて
エピローグ 「敵」でも「味方」でもないものの方へ
「プレッパー」という生き方
新しい認識との出会いと創造性の発揮
前書きなど
『不寛容という不安』ためし読みはこちら!
▼社会学者 宮台真司氏、推薦!
なにかというと炎上する各国の人々。
炎上の対象より炎上の主体が奇妙だ。
社会の問題に見えて実は人格の問題。
我々はテロリストと「瓜二つ」なのか。
「テロとの闘い」とは誰と誰の闘いか。
本書は我々の素顔を映し出すだろう。
「テロの脅威」「テロとの闘い」が喧伝されて、はや16年経った。
むろん「我々」とテロリストが似ないことが前提とされてきた。
しかし本書は、「我々」がテロリストと瓜二つだと告げている。
なにも最近の話ではなく、国民国家の誕生時からそうなのだ。
しかも市民革命を知らぬ国に限られず、どんな国でも同じだ。
複雑な社会では「分断&孤立」が「被害妄想&誇大妄想」を招く。
「社会の問題」に見えて、多くは大量発生した「人格の問題」だ。
だから本書は「分断&孤立」と無縁な地球社会はあるかを問う。
──宮台真司(社会学者)