紹介
今、求められる世界認識への複眼的方法とは何か!? 先人の遺した「史眼」の検証。
現在の世界は大きな歴史的転換期に直面している。それを見通すには、
世界の現状を複眼的に把握する国際関係論的なアプローチと、その現状を
長い歴史的な過程に位置づける歴史学的なアプローチの統合が必要だ。
本書の斉藤孝は、わが国の国際関係論の発祥の地である東大教養学部で
長年研究・教育にあたった後、学習院大学で国際関係論や現代史を
教えたパイオニア的研究者であり、一貫して国際関係論と歴史学の
架橋に努めた学者である。
また、精力的な評論活動も展開し、アカデミズムとジャーナリズムを
架橋する役割を果たし、多くの研究者や社会人を育てた教育者でもあった。
このような希有な歩みを丹念に追った特異な「遺稿・追悼集」。
目次
はじめに
第一部 自伝的回顧と遺稿
・回想の半世紀──私の歴史学
・遺稿「ベルリン史」
第二部 斉藤孝の学問
・世界史の構図、斉藤孝教授との対話から………河合秀和
・国際関係論先駆者としての斉藤 孝………………百瀬 宏
・歴史家、教育者、比較政治学者
── 斉藤孝の掌中を飛ぶ……………………伊東孝之
・「世界史は歴史学の本質的な問題である」………南塚信吾
・斉藤孝の帝国主義と植民地論…………………石井摩耶子
・スペイン内戦史研究──普遍的価値の擁護……若松 隆
・第二次世界大戦史研究……………………………木畑洋一
・斉藤史学と冷戦研究──時評の先見性………油井大三郎
・国際関係論・歴史・マルクス主義
──学習院大学における斉藤孝の研究と教育…鈴木健人
第三部 斉藤先生を偲んで(追悼文 46名)
Ⅰ 歴史家を目指して──小学生から東大生まで
小学校と大学の同級生────木谷 勤
麻布中学校におけるよい師・よい友────香原志勢
斉藤孝さんとの交遊 五〇─六〇年代────山極 晃
六〇年前の斉藤孝さん────今井清一
「国際関係論事始め」の頃────二宮三郎
お世話になった修士論文、そして聞いておきたかったこと────伊藤成彦
斉藤さんへの謝辞────平瀬徹也
斉藤孝先生の知己をえた頃────百瀬 宏
Ⅱ 国際関係論の基礎築く 東大時代
斉藤孝さんとナショナリズム論────中村平治
湘南の一日────平井友義
孝先生の駒場助手時代────斎藤 稔
ユニバーサル・ヒストリーへ────中西 治
斉藤孝先生ご一家との縁────斎藤治子
ポール・ヴァレリーを超えて──一九六〇年代の斉藤先生の思い出────石井摩耶子
細やかなお気遣いをされた斉藤孝先生の学恩────中嶋嶺雄
意志の強さと一貫性────木村英亮
人間としての幅の広さと深さ────加藤諦三
江戸庶民派の知識人────伊東孝之
「羽仁ファン」────上村忠男
研究者の卵への励ましと叱咤────長谷川毅
見られてしまったノート────柳田陽子
斉藤研究室の雰囲気になじんで研究者の道へ────猪口 孝
学問の「厳しさ」と「至らなさ」────油井大三郎
斉藤先生の「社会主義論」────清水 学
Ⅲ 時代を論評 雑誌・教科書に執筆
正真正銘のデモクラットだった────宮下嶺生
時代を超えて、国を超えて────山口昭男
斉藤孝先生を教科書の著者に迎える────宮沢通生
テレビ出演の時のこと────山田 卓
朝日新聞と斉藤先生────高山 智
「世界史を講義……」と言えず────松本利通
トイレの単語集と元日の『歴史哲学』────松野 修
Ⅳ 学界をリード 歴研委員長時代
斉藤委員長とご一緒したころ────加藤幸三郎
「歴研大学」の斉藤孝さん────伊藤定良
ささやかな出会いと交流────吉村武彦
「夢枕に立ったスターリン」と宥和政策研究────佐々木雄太
心残りの「聞き取り」─────羽場久美子
Ⅴ アジアへの目 東洋文化研究所所長
学習院大学東洋文化研究所所長になられたころ─────中尾美知子
深い朝鮮への思いと「アリラン」への支援────姜 徳相
斉藤先生と朝鮮────宮田節子
国際関係論と朝鮮現代史────林 哲
天国からのまなざし────朱 建栄
Ⅵ 後進を育てる 学習院時代
思い出のなかの斉藤孝先生────福井憲彦
「大学院に残れば道も開ける……」入院中の一言────森 彰夫
斉藤先生との出会い、そして不思議な縁────矢田部順二
自由主義者の気骨────中野博文
斉藤孝先生と私──『ファウスト』を傍らに────西岡達裕
モーゼルワインのシュヴァルツェ・カッツ(黒猫)────大中 真
思い出のアルバム
斉藤孝年譜
執筆目録
前書きなど
はじめに
現在の世界は大きな歴史的転換期に直面している。たとえば、近代から始まった「国民国家」がグローバリゼーションの荒波にもまれてその自立性を低下させてきているし、中国やインドなどの新興工業諸国の台頭は、欧米中心の世界秩序の転換を示唆している。さらに、二〇一一年三月一一日に発生した東日本大震災とその後の原発事故は、自然の克服が「進歩」であると考えた近代以来の「進歩史観」に深刻な反省を迫り、自然と共生できる新しい価値観やライフスタイルの創造が求められている。
このように現在の世界が世界史的転換期にあることを多くの人々が感じ始めているが、その転換がどこに向かうのか、新しい社会や世界はどのようなものになるのか、それを見通すことは至難である。それだけに、歴史の長期的な変動を見通すことのできた先人の「史眼」から学ぶことは多い。とくに、世界史的な「史眼」を磨くためには、世界の現状を複眼的に把握する国際関係論的なアプローチと、その現状を長い歴史的な過程に位置づける歴史学的なアプローチの統合が重要になる。
しかし、近年の日本の国際関係研究では各種の理論モデルを駆使した「現状分析」に集中し、「歴史離れ」する傾向が強い。第二次世界大戦後に米国から導入された当初の国際関係論では、歴史的アプローチを不可欠の構成要素とする地域研究(Area Studies)と一体的であったが、徐々に両者は分離される傾向が強くなっていった。その結果、現在のような世界史的な転換期に直面すると、「現状分析」だけに特化した国際関係論では対応できない問題が多数発生しており、改めて国際関係論と歴史学の再統合が必要になっている。
本書が注目する斉藤孝先生は、日本における国際関係論の発祥の地である東京大学教養学部で長年研究・教育にあたった後、学習院大学法学部で国際関係論や現代史を教えたパイオニア的研究者であり、一貫して国際関係論と歴史学の架橋に努力した学者であった。
斉藤先生は、一九二八年一一月二日に品川で生まれ、品川小学校、麻布中学校、東京都立高等学校を経て、一六歳のときに敗戦を迎えている。戦後は一九四九年四月に東京大学文学部西洋史学科(旧制)に入学した後、東京大学大学院国際関係論の修士課程を経て、一九五五年四月から東京大学教養学部教養学科国際関係論分科の助手となった。その後、一九五九年九月から六〇年八月までベルリン自由大学に留学した後、一九六一年一〇月から東京大学教養学科国際関係論分科で研究・教育に従事した。一九七〇年四月からは学習院大学法学部に移り、学生部長、教務部長、法学部長、東洋文化研究所所長を歴任し、一九七九年五月から三年間、歴史学研究会の委員長も務めた。斉藤先生は、一九八一年七月に脳溢血で倒れたが、驚異的なリハビリテーションで回復を遂げ、教壇に復帰し、一九九六年三月に学習院大学を退職し、学習院大学の名誉教授となった。しかし、残念ながら二〇一一年一月二八日に逝去された。享年八二であった。
このように斉藤先生は、国際関係の歴史学的研究においてパイオニア的役割を果たすとともに、評論活動も精力的に展開され、アカデミズムとジャーナリズムを架橋する役割も果たされた。また、多くの研究者や社会人を育て、教育者としても重要な足跡を残された。このような希有な歩みをしめされた斉藤先生の足跡を多くの読者、とくに若い世代に伝えたいという思いが本書編纂の動機となった。
本書は、四部構成からなる。第一部は、斉藤孝先生が学習院大学を退職される時に行った自伝的講演を再録するとともに、本書の編集過程で発見された斉藤先生の「ベルリン史」に関する遺稿からなる。ベルリンは、斉藤先生が一九六〇年前後に留学した思い出の場所であり、冷戦下では東西対立の焦点となった緊張の地でもあった。そのベルリンの歴史研究を、斉藤先生は「最後の仕事」と位置づけて構想を練ったが、残念ながら未完に終わった。しかし、その構成案や一部の原稿を解題付きで収録することで斉藤先生の「ベルリン史」を考えるよすがとしていただきたいと考え、収録した。
第二部は、斉藤先生から学恩を受けた研究者による多面的な「斉藤孝論」からなる。斉藤先生が取り組んだ分野は、第二次世界大戦起源論、帝国主義論、民族運動論、冷戦論、世界史論など様々な領域に及んでいるが、それぞれの領域の研究史的な意義を論じた論考が収録されている。
第三部は、様々な時代や分野で斉藤先生と交流があった多くの方による思い出や追悼文を収録した。小学校、旧制中学・高校、大学時代などの同窓生から始まり、東京大学や学習院大学の同僚、学生、マスメディア、歴史学界、朝鮮・中国研究者など多方面の人々による多面的な斉藤孝像が語られている。
最後には、斉藤先生の生涯をしめす「年譜」と多数にのぼる著作の「目録」並びに各時代の写真を収録した。斉藤先生は、二度にわたり自身で「年譜」と「著作目録」をまとめて知人、友人に配布していた。ここでは必要な情報を補足し、斉藤先生の人生と学問的業績を世に知らせたいと考えた。
以上のように、本書は、単なる遺稿・追悼集ではなく、多面的かつ学問的に斉藤先生の業績を検証する学術論文も収録した学術書ともなっている。それゆえ、斉藤先生を知らない若い読者も含めて多くの方に読んでいただきたいと願っている。