紹介
近代西洋世界が17世紀後半に始まった「科学革命」という知的ビックバンにより、引き金を弾かれた知的進化のプロセスの中に今もいるとすれば、太平洋の島々は19世紀初頭に始まった「文字革命」という知的ビックバンの衝撃によって、生じた巨大な知的運動を経験しつつあると言える。
そして太平洋における「文字革命」は未だ200年にすぎず、その知的可能性を汲み尽くしたどころではなく、様々な知的エレメントを発現させながらそのエネルギーはますます増大しつつあるのである。
本書はそうした、太平洋における「文字革命」下の知的爆発によって顕現しつつある様々なエレメント、様々な運動のベクトルを万華鏡的に展開したものである。読者は、文字誕生、すなわち、文明誕生直後の様々な文明に起こった原初の姿を発見することができるだろう。本書は「人間の知」とは何かという根源的な問題に対する思考の素材、しかも生き生きとした素材を提供することを、その目的とする。(「序章」より)
目次
まえがき──知の大洋へ! 1
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序 章 知の大洋へ、大洋の知へ! ………………………………………………………塩田光喜 11
第一章文明移植と知的変換の装置——ニューギニア高地における「祝福の神学」…塩田光喜 37
はじめに 38
第一節 呪術の知から近代の知へ 40
第二節 エレペ・ノミ——呪術師の娘に生まれて 44
第三節 マルナタ・クリスチャン・アカデミー 51
第四節 エレペ・ノミの政治意識 56
第五節 サリス・マロワ——神の召命を受けた男 59
第六節 知への意志 65
第七節 力への意志 70
第八節 「神第一主義」と変革への意志 73
おわりに──文明移植 83
第二章カリスマの独占と継承
──ソロモン諸島における知と権力のキリスト教化………………………石森大知 91
はじめに 92
第一節 カリスマ論とメラネシアの宗教運動 95
ウェーバーのカリスマ論 95 ビッグマン制社会とカリスマ概念 97
第二節 「生ける神」のクリスチャン・フェローシップ教会 102
自己カリスマ化と聖霊の獲得 102 カリスマの「受容」 109 カリスマの「継承」 116
第三節 考 察 122
カリスマの独占と外在的な権威 122 カリスマの継承と「父と子」 126
おわりに 131
第三章 法に生きる女性たち
──パプアニューギニアにおける法の権力作用 ……………………………馬場 淳 133
はじめに 134
第一節 権力行使実践としての扶養費請求訴訟 139
扶養費請求訴訟の概要 139 サプマの事例 143
第二節 福祉事務所の実態 147
福祉事務所の概要 147 カルーラ 150
第三節 福祉事務所の権力作用 154
事例1:アリス 154 事例2:アイリン 158 事例3:ジェニー 161
おわりに 164
第四章 地図と権力
──マーシャル諸島ローラ島の地図作製をめぐる権力作用の一考察…………棚橋 訓 167
はじめに 168
第一節 地図・知識・権力——アンダーソンの地図論 170
第二節 島民の眼と外来者の眼 174
第三節 『ローラ・レポート』の成り立ち 175
第四節 メイソンとジャベメメジの地図作製作業 183
第五節 地図作製過程に交錯する視点 189
第六節 ローラ島地図の流用 193
おわりに 200
第五章 キリバス離島村落社会における集団性の生成
――人類学的認知論を射程に入れて…………………………………………風間計博 203
はじめに 204
第一節 権力・イデオロギーと認知──理論的背景 205
知識と権力の諸関係 205 認知論の援用 208
第二節 キリバス南部離島の集会所 212
キリバス南部の平等社会 212 村集会所の座席と神話 215
第三節 集団性の発動 221
生産への集団的統制 221 個人的所有への集団的介入 227
第四節 饗宴の生み出すリミナリティ 230
集会所における饗宴と娯楽 230 饗宴における招待客 234 娯楽と感覚の過剰 235
第五節 感覚の過剰による集団性の生成──考察 239
おわりに 243
参考文献……………………………………………………………………………………………………254
前書きなど
まえがき──知の大洋へ!
学名ホモ・サピエンス・サピエンス。知恵あるヒト。我々現生人類には過ぎたる名だ。人類文明史はそのまま人類愚行史でもある。だが、知がわずかに愚行を上回り、我々は個体数六十億という大型哺乳動物としては空前の繁栄をとげた。それがいつまで続くかは保証の限りではないが。
この繁栄をなしとげた近代西洋文明はその生命力をとみに失い、知的下降の局面に入りつつある。一九八四年のミシェル・フーコーの死以来、西洋における人文社会科学は二十五年の長きにわたって偉大なる書物を一冊も出していない。オットー・シュペングラーの予言した西洋の没落がついに訪れたのだ!
一方で、最後の狩猟採集民の一つであったオーストラリアの原住民(アボリジニーズ)は一九五〇年代、アクリルを手に入れるとともに爆発的な芸術的ビッグバンを開始する。クリフォード・ポッサムやエミリー・ウングワレやサリー・モーガンといった国際的にも著名な画家達のみならず、無数の(と言ってよいほどの)天才画家達が先祖達のチューリンガ(祭具)のデザインや岩絵やドリーミングからインスピレーションを得て、個としてのイメージを縦横にくり広げている。それらは、アボリジナル・アーツの名のもとに、現代美術の最も創造的な流れを産み出している。
私はシドニー滞在中、アートギャラリー・オブ・ニューサウスウェールズのアボリジナル・アーツ・コレクションの階──それはその美術館のもっとも奥まった地下にあった──に足を踏み入れた時の息も止まるようなあの感嘆を忘れることはできない。かつてどこにも見たことのない、それでいてしかも、私の精神の海の深層を揺さぶらずにはおかない表現が所狭しと並べられていたのだった。
アボリジナル・アーツについては専門家(日本にそのような人間がいるとしてであるが)に譲るが、太平洋のいたるところで、そうした知的噴火が起こっていることを確信した私は、日本帰国後、中堅・若手の最も知的に鋭敏な研究者達に声をかけ、アジア経済研究所において、「オセアニアの知と権力」のタイトルのもとに研究会を発足した。むろん「知と権力」はフーコー終生の思索のテーマである。
だが、研究会とは生き物である。フーコーの読み合わせから始まった我らが研究会は、メタモーフォシス(変容)をくり返し、最終的にはフーコーのフの字も出ない結論に至った。
私はそれでよいと思っている。我々はフーコーのエピゴーネンではない。何よりも大切なことは、今、太平洋の島々で起こっている知の地殻変動なのである。
それにフーコーは一つの知の伝統の終わりを告げる思想家だった。我々は新たな知的運動の始まりを語ろうとしている。それはやがて「太平洋文明」と呼ばれることになる新文明の胚種の物語りなのである。
本書は、精神的に内攻し、知的停滞に陥っている日本社会に、太平洋の隣人達の間では驚くべき知的ビッグバンが生起していることを告げ知らせ、目覚めを促す声として編まれた。
この企図を達成し、太平洋において進行中の知的爆発を広く江湖に弘布するためには、アジア経済研究所の研究双書という体裁はいささか狭隘であると思われた。
そこで、私の単著『石斧と十字架──パプアニューギニア・インボング年代記』を出版して下さった彩流社の竹内淳夫社長に出版を打診した。竹内社長は快諾して下さり、このようにすばらしい形で本書は世に出ることになった。竹内社長には深く感謝の意を表したい。知はまたしても髪一重の差で愚行を凌いだのである。
最後に、本書を、「知の研究会」を導き加護を賜った、知と学問の守護神パラス・アテーナー女神に捧げたい。ミネルヴァのふくろうはとうの昔に地中海を発って、太平洋に到達しているかもしれないのである。
二〇〇九年一一月
塩田光喜