紹介
19世紀イギリスの思想家ジョン・ラスキン(1819~1900)が労働者大学で行った教育の実態を平易に描きだし、ラスキンと労働者たちの実践が、現代における教養教育(再生)へのヒントとなりうることを示唆する。
1854年、すでに美術評論家としての地位を確たるものにしていた35歳のジョン・ラスキン(1819~1900)は、この年に設立された労働者大学の素描クラスを無給で受け持つことに決める。当時、イギリスでは、産業革命と機械化によって非熟練労働者が増大、社会格差がさまざまな問題を生んでおり、労働者に有機的なカリキュラムの教育を与えることで格差問題を解決しようとした労働者教育運動が行われていた。労働大学はその一環として設置されたのである。本書は、ラスキンと芸術家の仲間たちの労働者大学へのコミットの実態を明らかにし、ラスキンがこの時、何を目指していたのかを描き出す。
目次
はじめに――1854年10月、ロンドン
1 労働者大学の創立
1-1 その背景――労働者のための教育
1-2 労働者大学(Working Men’s College)の開校
2 ジョン・ラスキンと労働者大学
2-1 ラスキン、講師陣に加わる
2-2 ラスキンを駆り立てたもの その1――人生の岐路
2-3 ラスキンを駆り立てたもの その2――国家の芸術教育
2-4 ラスキンを駆り立てたもの その3――ラファエル前派と若い芸術家の育成
3 労働者大学、開校する
3-1 開校当初
3-2 ロセッティ、労働者大学の教師陣に加わる
3-3 ラファエル前派関係者の参加と育ちゆく学生たち
4 労働者大学とラスキンの関係
4-1 支援者としてのラスキン
4-2 モーリスと芸術教育――Artist, Artificer, Artisan
4-3 労働者大学の芸術教育とその環境
5 素描クラスの教授法
5-1 サウス・ケンジントン方式と連携の否定
5-2 正しく見るということ
5-3 『素描の基礎』
5-4 競争原理の否定
6 ロセッティと新たな兄弟団
6-1 ロセッティにとっての「自然」
6-2 半学半教の場としての素描クラスと新たな兄弟団ブラザーフッド
6-3 労働者大学とモリス・マーシャル・フォークナー商会
7 労働者大学以後
終わりに――「描くことは生きることを変える」
参考文献紹介
あとがきにかえて――感謝の言葉