目次
まえがき 大野芳材
第1章 フランソワ一世とサラマンダー 田中久美子
第2章 フォンテーヌブロー宮殿の室内装飾──「フランソワ一世のギャラリー」と「舞踏会の間」 加藤耕一
第3章 ランベールの邸館──「ミューズの間」の装飾 栗田秀法
第4章 ヴェルサイユ宮殿の装飾──祝祭から「鏡の間」へ 大野芳材
第5章 ヴェルサイユ宮殿の建築・美術とブルボン王朝の記憶の継承 中島智章
第6章 スービーズ館──マレの貴石、ロココ美術の揺籃の邸館 大野芳材
第7章 ルーヴシエンヌのパヴィリオン 矢野陽子
註
解 説 フランス近世の装飾と建築──あとがきにかえて 大野芳材
人名索引
前書きなど
フランス美術が、独自の特質と魅力を備えたものとして画然とした姿を見せるのは、アンリ四世を始祖とするブルボン王朝の時代である。フランスの一七世紀がしばしば遅れてきたルネサンスと呼ばれるのは、この事情をくんでのことだろう。とはいえイタリアとネーデルラントという美術の先進地域に挟まれたフランスは、その成果に長く無関心であったわけではない。事実、ヴァロワ朝の後期には、多くのイタリア人がフランスを訪れて、絵画や建築などに様々な足跡を留めている。例えば、パリ市庁舎の再建プランを作成し、工事を率いたのはドメニコ・ダ・コルトーナであり、建築家で理論家のセバスチアーノ・セルリオも、城館ばかりか市民の建築にまで多大な影響を与えた。こうした一六世紀に顕著となるイタリア人の活動は、イタリア戦役を始めたシャルル八世が、一四九五年にナポリから二二人の芸術家たちとともに帰国したことに始まる。この世紀のフランスに、美術にとどまらず広く文芸にイタリア譲りの人文主義が浸透していったことは、フランシス・イェイツが指摘したことだった(高田勇訳『一六世紀フランスのアカデミー』平凡社、一九九六年、原著は一九四七年)。この動向に弾みをつけたのが、フランソワ一世である。 教養豊かな母ルイーズ・ド・ヴァロワから人文主義的教育を受けたフランソワ一世は一五一五年に即位して間もなく、前記の二人の建築家に先だって、六〇代半ばにさしかかったレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いている。それにもましてフランス美術の行く末を決したと言えるのは、彼が先王の狩猟の館をもとに築いたフォンテーヌブロー宮殿であった。アンドレ・シャステルがイタリアとフランドルの美術の坩堝と言ったように、それはフランス美術揺籃の場となり、後世の美術家たちの聖地となったのである。その重要性は大きくふたつあろう。第一はロッソ・フィオレンティーノやプリマティッチョなど、主にイタリアの画家たちが行った室内装飾である。マニエリスムの最高の成果のひとつと言える「フランソワ一世のギャラリー」などの室内装飾は、「フォンテーヌブロー派」と呼ばれる一群の画家たちを育み、彼らは次の世紀の古典主義美術にとって替わられるとはいえ、フランス美術の基層を築いたからである。第二は歴代の国王のコレクションが一七世紀半ば過ぎまでこの宮殿に置かれたことである。今日のルーヴル美術館のコレクションの根幹となるレオナルドやラファエロなどの作品は、装飾とともに若い画家たちには欠かせない参照作品となった。 このフォンテーヌブロー派からフランス革命に至るおよそ三世紀のフランス美術を、多角的かつ総合的に論じることを、叢書は目的とする。わが国のフランス美術研究は、その中心は長らく一九世紀以降の美術にあって、近世美術への強い関心は最近のことである。フランスでも1970年代から、この時代の画家を対象とした展覧会が次々と開催され、作品のカタログ・レゾネなども相次いでいる。こうした状況に呼応するように、日本の若い研究者の関心が高じてきたのである。叢書ではこの分野で優れた成果をあげている研究者が、専門の分野を最新の資料に基づいて論じる。一六世紀のフランス美術が、どのように継承され展開して新しい表現を生み出していくか、そうした美術の変遷が移りゆく社会や環境とともに解明されるにちがいない。 第一巻は「建築と装飾」で、これまで取り上げられることの少なかった近世の建築と装飾がテーマである。「建築はすべての芸術の母」という言葉を、七つの論考を通して監督していただけたら幸いである。