目次
序章 学校給食費無償の時代
第1章 学校給食費無償の現在
1 地域が拓いた無償の学校給食費時代
2 保護者負担の解消の前史
3 無償の学校給食という時代の始まり
4 55.9%実施というデータからみる実態と課題
5 歴史を先にすすめよう
第2章 食の社会化――学校給食の由来、そして未来
1 弁当の時代、そして自主的な学校給食も
2 学校給食の定着
3 国策としての食の転換
4 英国、米国、韓国そしてスペイン
第3章 鉛筆1本からの無償
1 教材費・補助教材費
2 完全無償自治体にむけて
3 就学援助制度の仕組みと限界
第4章 学校を地域のランドマークに
1 寄りあいと世間師
2 わたしたちの学校のために――学校統廃合がすすむ。若者から流出する。21世紀の寄りあいを
3 学校を地域のランドマークに
4 21世紀 忘れられた教育
5 わたしたちの学校の礎を
終章 学校給食費無償からの世均しの教育
前書きなど
序章 学校給食費無償の時代
弁当から学校給食へ
ついに学校給食費無償の時代を迎えた。それは保護者の財布を心配することなく子どもたちは安心して安全な学校給食を皆で楽しく食べることができることを意味する。
弁当持参であった日本の義務制小中学校等では、今では多くの学校で学校給食を供するようになっている。すると保護者から学校給食費が徴収されるようになった。改善方策として学校給食費を払えない者(保護者)への補助ではなく、学校給食費そのものをなくすという無償化をすすめてきた。戦後、義務教育の無償が日本国憲法で掲げられていた、その理想へ確実に一歩近づいている。その願いは戦後に始まったことではない。いわば願望が急速に実態化する、その要因を考えてみたい。教育福祉は、その性格上から就学援助などの特定の世帯への選別主義ではなく、災害時など特殊な場合を除いて普遍主義からすべての子どもたちに向けての無償が望ましいとの立場に、私は立っている。この視点の浸透により、学校給食費無償の拡がりに弾みがついた。教育活動の一環である以上は、給食に提供されるメニューは教材のひとつである。食材にかかる費用は、教材費と捉えることが可能である。そして、無償化を安全安心の学校給食の実施の礎になるものと考えて、取り組んできたのである。
近代公教育はその理念では、国民形成の一手段であり、国による無償が一般的であった。日本では国民形成に特化した「国のための教育」が強行され、自生的な「わたしたちの教育」を疎外し、国に寄与することで評価される「私のための教育」、すなわち立身出世主義が蔓延した。しかもそれは自己負担に支えられていた。言ってみれば、自分がのし上がるための勉強だから、自腹でやるのが当たり前、という中間層以上に有利な発想が根強く存在している。明治の「学制」以来の思想がつづいている。敗戦後の憲法第26条2項で義務教育の無償を述べているにもかかわらず、である。それは新自由主義という新たな衣装をまとって現れている。学校給食をはじめ、さまざまに保護者負担を強いている地域は多い。
世界を眺めれば、学校給食は必ずしも学校教育の一環ではなく、日本でも戦後になって新たに教育活動のひとつとされた特異な領域(特別活動、食育)である。しかも、学校給食法第4章雑則第11条2項において食材等について保護者負担とする、とさえ記されている。給食の内容、給食指導、そして学校給食費も他国と比較して論ずるのは難しい。日本と同様に教育の一環としているのは韓国である。ただし、欧米でも学校での食事について、児童福祉のひとつとして給食無償・補助や食事クーポンなどによる支援を実施してきた国がある。欧米など他国の歴史的な歩みは、貴重な体験であるので参考になる。
戦中戦後期には、いわば飢餓状態において地域共同の自炊に等しい状態があり、それを「食の社会化」と考えることもできる。今に直接つながる学校給食は戦中の食の在り方からである。その実態についても後ほど考察する。
(…後略…)