目次
序
第1部 〈価値の多元化〉と〈社会の統合〉
第1章 「地球市民」に人類はなり得るか
1.地球市民社会と地球市民
2.「地球市民」としての自己措定の可能性
3.「地球市民」であるということ
4.「地球市民」に「なる」ということ
第2章 文化の壁は越えられるか
1.はじめに
2.普遍性の追求とその現実
3.普遍性の追求と自己の相対化
4.相対性の追求と多文化主義の現実
5.文化相対主義における普遍性
6.おわりに
第3章 シティズンシップは普遍性を担保できるか
1.はじめに
2.市民社会と共同体の関係性
3.機能体と共同体の捉え―シティズンシップの育成を念頭に
4.市民社会の二重性―シティズンシップの集合性を念頭に
5.コスモポリタンな公共圏への参加とシティズンシップの育成
6.コスモポリタンなシティズンシップの育成
7.おわりに
第4章 「多元的」シティズンシップをどう理解するか
1.はじめに
2.境界への着目
3.「エトノス/デモス」二元論の克服
4.「多元的」シティズンシップの理解を促す枠組み
5.おわりに
第2部 〈教育〉と〈国家の統合〉
第5章 他者との境界はいかに自覚されるか
1.はじめに
2.国土を眺める四つの視点
3.国土の構築性の理解を阻害する要因
4.日本図の古地図を用いた国土の構築性の理解
5.おわりに―古地図と近現代の日本図を比較して
第6章 国民教育の中での世界文化遺産――シンガポールの小学校社会科を例として
1.はじめに
2.シンガポールの社会科で世界文化遺産を取り上げる目的
3.「歴史都市ビガン」の世界遺産登録の経緯とその影響
4.シンガポールの小学校社会科の教科書における「歴史都市ビガン」
5.シンガポールで「歴史都市ビガン」を取り上げる意義とそこからの示唆
6.おわりに
第7章 シンガポール植物園における「世界遺産教育」の特色と意義――シンガポール教育省の世界文化遺産を扱う教育との比較を通して
1.はじめに
2.教育省が進める世界文化遺産を扱う教育
3.シンガポール政府,ICOMOS,世界遺産委員会の「顕著な普遍的価値」の理解とその異同
4.シンガポール植物園が進める世界文化遺産を扱う教育
5.おわりに
第8章 「顕著な普遍的価値」への疑心――「淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」を例として
1.はじめに
2.世界遺産中学校教材『穿越淡水,走読世遺』の記述から
3.世界文化遺産を扱う日本の教育への示唆
4.おわりに
第9章 台湾における歴史の構築と相対化への志向――日本統治期につくられた文化遺産に着目して
1.はじめに
2.淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」の場合
3.烏山頭ダム及び嘉南大水路」の場合
4.おわりに
終章
初出一覧
索引
あとがき
前書きなど
序
(…前略…)
本書は,第1部「〈価値の多元化〉と〈社会の統合〉」と第2部「〈教育〉と〈国家の統合〉」の二部構成となっている。
第1部は,教育や学校と少し距離を置き,現代社会で生じた価値の多元化や文化現象を取り巻く語りを批判的に分析し考察した4編をおさめている。
第1章では,自明のものとして語られがちな「地球市民」論を改めて議論の俎上に載せ,「地球市民」としての自己認識の可能性を探ったものである。スローガンのように,美しく,また,正しい方向性として「地球市民」ということばは,教育という場を越えて,様々なところで心地よく耳に響くようではある。これに対して,他者を鏡とする自己措定の在り方を基に考えた場合,その存在は確保できるのか,自らの疑問とそれに対する考えを検討し,考察した。
第2章は,多文化主義が話題である。2000年前後,当時,注目を集めた多文化主義は,異なる文化をもつ人々が同一社会で共存していくための方途として試みられていた。まず,国家としての統一性と文化の個別性との軋轢が,どのように生じているのか分析した。これは,文化相対主義と普遍主義の異同やその関係性にまで話題が及ぶ。その上で,国家の統一性が破綻しないよう共通基盤構築の手がかりを得ることと,各文化集団が納得しつつ,それぞれの独自性が保つことは,どのように実現できるか検討し,考察した。
第3章は,シティズンシップが話題となっている。シティズンシップは,市民権,公民権,市民意識などと訳されることが多い。こういった場合,個人としての普遍的権利が想定されがちである。しかし,そこではどういった社会の市民権,公民権,市民意識なのかということが重要となってくる。そうすると,市民社会を集合的に構想するためのシティズンシップという側面を欠くわけにはいかなくなる。シティズンシップの集合性は,文化的共同体への依拠することとも進行しているという現実を踏まえ,共同体と市民社会との関係性を検討するとき,個人の自由と共同体からの規制の相反する問題をいかに止揚するか検討し,考察した。
第4章は,「多元的」シティズンシップが話題である。ある共通性に基づき人々を特定の社会の一員だと意識すると,共通性がみられないと判断した人々は,その社会の構成員とは見られなくなる。しかし,私たちは,「多」ある様々な集団の一員として生活し,日々,どの集団の一員として高い意識があるかは,一様ではなく可変的である。このようなシティズンシップをメンバーシップという側面から意識することは欠かせない。このような複雑な集団間の関係を「多元的」シティズンシップとし,これを教育で扱う場合,どのように捉え,理解していけばよいのか検討し,考察した。
第2部「〈教育〉と〈国家の統合〉」は,第1部で示した考えを基盤にしている。小・中学校で行った授業に関わる教材分析から,日本,シンガポール,台湾で行われている「国民」教育について考察し,今後の教育の在り方に示唆を得ようとしたもので,5編を収めている。いずれも,文化や社会の境界を扱い,中でも,「国家」の境界について大きく注目したものとなっている。
(…中略…)
第5章では,国土や国家は社会的に構築されているという理解を深めるため,中世から近現代にかけて残存している4枚の古地図を取り上げた。その変遷から,他者を鏡とする自己措定の在り方を探り,その時代に生きた日本で生活していた人々の国土意識を考察したものである。
第6章では,2015年以前,世界遺産を有していなかったシンガポール共和国ではあるが,他国の世界遺産を大きく取り上げた教育を行っていた。そのうちフィリピンの世界文化遺産「歴史都市ビガン」を扱った教科書記述から,国民教育の中で世界遺産を扱う目的について考察したものである。
第7章では,世界文化遺産となった「シンガポール植物園」を取り上げ,シンガポール教育省が目指している教育と,「シンガポール植物園」の教育部門が目指している教育の異同を分析した。その上で,国民教育としての扱いとUNESCOの世界遺産教育を意識した扱いとの異同を考察したものである。
第8章では,UNESCOに加盟できない台湾で行われている潜在的世界遺産の選出,世界遺産一覧表への記載を目指す取り組みに着目した。そして,それに関わる教育を行っている新北市で発行された「淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」についての世界遺産教材を分析し,UNESCOのいう「顕著な普遍的価値」の限界性について考察した。
第9章では,日本統治期につくられた文化遺産(潜在的世界遺産)について記述している教科書,新北市が発行している「淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」についての世界遺産教材,台南市の嘉南農田水利会が発行している「烏山頭ダム及び嘉南大水路」についての校外学習教材を取り上げた。そして,それらが,現在の台湾人の生活や社会を成立させるリソースとして参照されることで,意図的親密的に語られ,集合的な記憶として構築されている様を明らかにした。同時に,一地域である新北市や台南市,「国家」を自認する台湾の教育で,日本統治期における近代化がどのように扱われているかあらためて考察したものである。
(…後略…)