目次
「グローバル時代の食と農」シリーズの刊行にあたって
日本の読者へのメッセージ
謝辞
シリーズ編者による序文
第1章 小農と社会変革
分裂を生じさせる問題
小農理論の政治的意義
小農的農業と資本主義
チャヤノフが「天才」である理由
チャヤノフ流研究の系図
第2章 チャヤノフが見出した主要な二つのバランス
賃労働なき、資本なき生産単位としての小農経営体
労働-消費バランス
労働-消費バランスの政治的意義
労働-消費バランスの科学的妥当性
効用と労働苦痛のバランス
主観的評価について
自己搾取
第3章 相互に影響しあう多様なバランス
人間と生ける自然とのバランス
生産と再生産のバランス
内部資源と外部資源のバランス
自律と依存のバランス
規模と集約度のバランス(および農法の出現)
逆境での前進を求める闘い
統合体としての小農経営
農民層分解についての最後の注釈
第4章 より広い文脈における小農的農業の位置
交換関係によって媒介される都市・農村関係
移住によって媒介される都市・農村関係
農業対食品加工・食品販売
国家と小農層の関係
農業の成長と人口増加のバランス
第5章 単収
労働主導型集約化の現在のメカニズム
労働主導型集約化の意義と広がり
労働主導型集約化が阻まれるとき
何が労働主導型集約化を促進させるのか
集約化と農業諸科学の役割
小農は世界の人口を養うことができるのか?
第6章 再小農化
再小農化の過程とそのあらわれ方
西ヨーロッパの再小農化:バランスの再調整
用語説明
訳者解説
参考文献
前書きなど
「グローバル時代の食と農」シリーズの刊行にあたって
私たちの食生活は、世界中から集められた「美しい」食材で溢れている。しかし皮肉なことに、これらの食材は、誰がどのように生産したのかが分からないために、不安とよそよそしさを生み出してもいる。そこで改めて、食と農、さらにはその基になっている自然と地域社会を見直そうという機運がかつてなく高まっている。そのことは、この数年間で私立大学に農学部およびそれに類する学部が相次いで開設されたことによく示されている。また地方大学では、農業や地域産業を含む地域立脚・地域志向型学部(地域協働学部や地域創成学部など)への再編を行ったところも少なくない。
しかし、こと日本の農業について語るときには常に過疎化、高齢化、後継者不足という、ステレオタイプの理解がつきまとっている。この理解は、今のままでは日本農業に未来がないので、大胆な改革が必要であるという言い分につながる。この言い分は、コスト競争力を強化し、農産物をどんどん輸出して「儲かる農業」に変えていくことを求める。中小規模の「農家」が多数を占める、現在のような日本農業ではダメで、少数の大規模家族経営や法人経営のような効率的「農業経営体」を育成しなければならない。これからはICT(情報通信技術)やロボットを駆使する最先端の農業を行える「農業経営体」だけが世界規模の大競争に勝ち抜き、生き残っていける。このような情報技術を使うアグリカルチャー4.0の時代に対応できない中小規模の農家や高齢経営者には「退場」してもらうしかない。
こうした効率優先、利益第一、市場万能、競争礼賛の考え方は、まさに新自由主義的な経済思想にほかならない。この経済思想は、生命と自然を大事にする地域密着の農業から利益優先の農業・食料システムへの転換を図っている。しかし、本当にそれで私たちは幸せになれるのだろうか。翻って、日本から目を転じたときに、世界の農業もまた新自由主義的な方向性に覆いつくされているのだろうか。世界的な視野から日本の農業を見直すと、ステレオタイプの言説に囚われた理解を乗り越えて、新しい視野を獲得することができるのではないだろうか。
この問題を考える上で、「グローバル時代の食と農」シリーズ(原書版シリーズ名Agrarian Change and Peasant Studies Series)はとても有益な示唆を与えてくれる。本シリーズは、効率性や市場万能主義が跋扈しているかに見える世界の農業とそれを取り巻く研究が、「誰一人取り残さない」視野に立脚し、新自由主義とは大きく異なるパースペクティブを持っていることを教えてくれる。食と農は人間の生命と生活の根源に深くかかわっているし、農の営みが行われる農村空間は社会的にも景観的にも経済にとどまらない多彩な意味を持つからである。
(…後略…)