目次
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ刊行にあたって――5『記憶と記録にみる女性たちと百年』
はじめに[岡真理]
第Ⅰ部 女性たちと百年
第1章 家族計画とチュニジア初の女医[鷹木恵子]
歴史のプリズム1 日本で最初の女性医師[鷹木恵子]
歴史のプリズム2 近代トルコ女性の「リベルテ」を求めて[松尾有里子]
歴史のプリズム3 個としての信念を貫いた女性[服部美奈]
第2章 ジェンダー平等を求めて――1920年代のレバノンにおける宗教改革運動[後藤絵美]
歴史のプリズム4 革命後は忘れられた?フェミニスト[山﨑和美]
第3章 人々の痛みの根源を探る――イラン・ソーシャルワーカーの母[藤元優子]
第4章 自由と真の男女平等のために闘い続けた女性詩人[鈴木珠里]
第5章 『若者の証言』をめぐる百年――「すべてをもつ」ことを夢みる女たち[松永典子]
歴史のプリズム5 異教徒への伝道を夢みて[山口みどり]
歴史のプリズム6 植民地主義・性差別と闘ったエジプトの女性教師[千代崎未央]
第6章 農民運動女性指導者の愛と闘争の人生[長沢栄治]
第7章 大学モスクの女性活動家の先駆者[野中葉]
第Ⅱ部 変身する女性と社会――装いに映るジェンダー
装いとアイデンティティ
第8章 イラク◇路上で抗議するムスリム女性たち[酒井啓子]
現代のプリズム1 西サハラ◇メルフファと解放闘争[新郷啓子]
現代のプリズム2 日本◇ネヴロス クルド人の装いと思い[中島由佳利]
第9章 ウズベキスタン◇ヴェールを捨てたその後に[帯谷知可]
現代のプリズム3 アメリカ◇信仰とお洒落だけではない――ムスリムファッション最前線[高橋圭]
装いと国家
第10章 中国◇回族女性のヴェールの意味[松本ますみ]
現代のプリズム4 パキスタン◇罪深き女たちの詩[須永恵美子]
第11章 イラン◇帽子とヘジャーブ――服装の国家規制が導いたもの[藤元優子]
装いと信仰
第12章 エジプト◇女優たちの神学――ヒジャーブ、フェミニズム、イスラーム[後藤絵美]
現代のプリズム5 ベルギー◇モランベーク地区に生きるムスリムの女性たち――子育てと装いをめぐるフィールドノーツから[見原礼子]
第13章 インドネシア◇変身する女性と社会――近年のチャダル着用現象を事例に[野中葉]
世界化する「装い」
現代のプリズム6 世界◇ベリーダンスの衣装と百年[木原悠]
現代のプリズム7 日本◇共鳴するモデストファッション[岡井宏文]
編者あとがき
参考文献・参考資料
前書きなど
はじめに
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ第5巻の本書は、イスラーム・ジェンダー学プロジェクト第1期(2016~2019年度)の公募研究「『砂漠の探究者』を探して――女性たちと百年」における研究活動を基盤としている。
「砂漠の探究者」とは、20世紀初頭に活躍したエジプトのフェミニスト知識人、マラク・ヒフニー・ナースィフ(1886~1918)のペンネームだ。19世紀末のエジプトで新興中産階層の家庭に生まれたマラクは、始まって間もないムスリム女子向けの公教育を受け、エジプト人女性として初めて教員資格試験に合格した。公立学校の教師となり、結婚後も貧しい家庭の子らを集めて教室を開くなど、草の根の女子教育に尽力する一方、成人女性や社会に向けても積極的に発信する。世紀の転換期、国と世界が政治的にも社会的にも急速に変容するなか、エジプト社会とその女性たちのあるべき姿を、マラクは講演や新聞等への寄稿を通して社会に訴えた。ムスリム女性が単にヴェールを被るか被らないかという外形的なことが問題の本質ではなく、女性自身に、そのことを自ら考え、選択する知の力を育てることこそが肝要だとして、マラクは当時の社会で興隆していたヴェールをめぐる社会的言説を批判した。まだ30歳そこそこであったことを考えると、その深い洞察力に驚かされる。だが、世界的流行をみたスペイン風邪で、マラクは31歳という若さで夭逝してしまう。
私たちは今、マラクが生きた時代から見れば、百年後の未来に生きている。イスラーム世界の女性たちをめぐる現代の諸状況は、一世紀前、マラクが未来に願ったものとなっているだろうか。マラクが当時の社会に見出したジェンダーをめぐる諸課題のうち、この百年のあいだに何が克服され、何が依然、その途上にあり、どのような問題が新たに生起しているのだろうか。
こうした問題意識から、私たちは「『砂漠の探究者』を探して――女性たちと百年」と題する研究会を立ち上げ、関心を同じくする者たちとともに定期的にワークショップを開催し、ライラ・アハメドの『イスラームにおける女性とジェンダー』(原著1992年、日本語版2000年)の再読にとりかかった。原著出版から四半世紀が過ぎ、イスラームの女性とジェンダーをめぐる状況は、著者が同書を執筆した当時から大きく変わっており、現在地点からこれを批判的に再読し、私たち自身の知見をアップデートすることが必要だと考えたためだ。
「『砂漠の探究者』を探して」研究会は回を重ねるに従い、言語や国、地域を超えて、中東・イスラーム地域のジェンダーに関心のある者たちが定期的に集い、イスラームとジェンダーにかかわる女性たちの百年がどのようなものであったかをテーマに、それぞれの研究から得られた知見を分かち合う貴重なプラットフォームへと発展した。
女たちの百年には、国や地域、時代ごとのさまざまな差異と同時に、地域を超えた多くの共通点も見られる。そして、どの国、どの時代にも、それぞれの「砂漠の探究者」がいた。そこから、執筆者おのおのが自身の「砂漠の探究者」をとりあげ、その人生の物語を通して、彼女が生きた時代や社会について著すことで、中東を中心に、近現代の女たちが生きた社会のありようの変遷を百年というスパンで通時的に概観するという本書第Ⅰ部のアイデアが生まれた。
(…中略…)
本書の第Ⅱ部は、本研究会が2018年7月に東京大学を会場に開催したシンポジウム「記憶と記録からみる女性たちと30年――装いにうつるイスラームとジェンダー」がもとにある。同シンポジウムの第三部では、イラン、トルコ、インドネシア、ウズベキスタン、シリアの5つの国における女性の装いに着目した発表がなされた。女性がどのような装いをするのか、というただその1点に注目するだけで、それぞれの国固有の歴史や社会問題がさまざまに炙り出されて、たいへん興味深いものだった。
これに着想を得て、本書第Ⅱ部は、私たちの多くが関心をもつ「ファッション」という身近な話題を切り口に、専門分野や地域を異にする13人の方々に執筆をお願いした。その結果、イスラームを生きる人々や中東・イスラーム地域の人々をめぐって現代世界において生起するさまざまな問イシュー題が共時的、かつ、文字通りグローバルに、多様な観点から提示されることとなった。
(…中略…)
この百年を生きた女性たちの人生の物語と、装いに表れた人間の主体的生をめぐるさまざまな問題を通して、それまで遠い異国の出来事であったものが、読者にとり少しでも身近なものとなってくれたらうれしい。そして本書が、イスラーム・ジェンダーについて、そして、私たちが生きるこの現代世界の歴史と現在と、その明日について考えるための新たな視座を皆さんが得る、その一助となれば望外の喜びである。