目次
まえがき
一.序論――これまでの定型的評価の限界を打開する研究方法
1.日本および台湾・朝鮮の歴史的・国際的位置
2.研究方法
3.先行研究と史資料
4.用語
二.盲啞教育成立・発展の一般的条件と台湾・朝鮮・日本の盲啞教育の概括的比較
1.聾啞学校・盲学校の成立・展開と特殊教育への発展の一般的条件
2.台湾・朝鮮と日本の盲啞教育の概括的比較
三.台湾における州立二校体制の確立と革新的成果
1.はじめに
2.長老派医療宣教師、W・キャンベルによる盲教育の着手
3.公営社会事業施設・台南慈恵院における盲教育の継承と聾啞教育の開始
4.木村謹吾医師による木村盲啞教育所の開設と私立台北盲啞学校への発展
5.内地に先行する台湾公立盲啞学校の制度化と内地盲啞学校との差異
6.学務官僚・隈本繁吉の功績と田健治郎総督
7.州立盲啞学校就学者の増加と日本人教員主導の学校運営
(1)教育課程
(2)生徒数と通学形態
(3)生徒の年齢
(4)盲啞学校経営と教員
(5)聾啞児の言語指導法
(6)内地への留学生
(7)異型植民地政策としての台湾盲啞教育の成果と限界
①慈善事業・社会事業から学校事業への転換と卒業生の生活状況
②卒業生数の推移と就労状況
③台湾盲啞教育の質
④植民地・台湾における盲啞教育の意義
四.朝鮮における済生院盲啞部を中心とする盲啞教育の展開と不振
1.はじめに
2.アメリカ・メソジスト派医療宣教師、ロゼッタ・ホールによる盲教育の着手と聾教育への拡大
3.総督府直営社会事業施設・済生院盲啞部の成立
4.済生院盲啞部の乏しい入学需要と女子生徒数の低迷
5.済生院盲啞部の成果と卒業生数および進路
(1)教育成果と卒業生数および就労先
(2)卒業生の進路の確立・拡大と盲啞者に対する社会認識の変化
(3)近代的盲教育の基盤形成の阻害と宗教文化の影響
6.済生院盲啞部の教育と教員
7.済生院盲啞部の不振とその原因――消極的な近代化志向
(1)低い就学率と短い修業年限
(2)手話法の採用と教授用語としての国語
(3)教育需要の脆弱と盲啞者の社会的位置
(4)済生院盲啞部の当事者能力と総督府政策順位の低さ
五.アジア等の欧米植民地における盲啞教育の状況――植民地間および宗主国との比較
1.アジア等の欧米植民地・自治領等
2.中国(清朝・中華民国)
3.オーストラリアとニュージーランド――英国
(1)入植者による英国盲啞教育の移植
(2)オーストラリア
(3)ニュージーランド
(4)特異な植民地盲啞教育事例としてのオーストラリアとニュージーランド
4.東南・南アジア――英国
(1)英国植民地の範囲
(2)インド
(3)バングラデシュ
(4)パキスタン
(5)ビルマ(ミャンマー)
(6)マレーシア
5.インドシナ――フランス
6.インドネシア――オランダ
7.フィリピン――アメリカ合衆国
8.タイ
六.結論――台湾・朝鮮の盲啞教育および特殊教育とアジア等植民地との比較
1.日本の盲啞学校創設・拡大とその特徴および台湾・朝鮮との比較
(1)はじめに
(2)キリスト教の位置
(3)地域社会における盲啞教育の位置および支持者
2.盲啞教育における台湾の発展と朝鮮の不振の理由
(1)従来の見解
(2)台湾盲啞教育の学校教育への脱皮と後進的問題の内在化
(3)朝鮮盲啞教育の不振の実体と近代化への消極およびシャーマニズム支配
①朝鮮盲啞教育の不振と社会事業としての存続
②女子生徒入学の低迷と儒教社会および近代化の忌避
③朝鮮社会におけるシャーマニズムと盲人の吸収
④済生院盲啞部の限定的成果と統治国側の問題
(4)内地の盲啞教育界との関係
(5)台湾と朝鮮における盲啞教育および特殊教育への関心と特殊教育制度の発足
①はじめに
②台湾
③朝鮮
④学校医の配置および教育課程の一部履修免除規定と特殊教育との関連
⑤国民学校制度における特殊教育制度の発足
3.欧米植民地の盲啞教育との比較と特殊教育への発展可能性
(1)植民地政策における母(国)語の位置づけ
(2)台湾と朝鮮の植民地盲啞教育としての位置
①植民地盲啞教育における位置
②近代的制度としての盲啞学校と社会的インフラストラクチャーとの関係
(3)植民地における特殊教育制度への乏しい発展可能性
4.むすび――現代との関連
註
文献
邦語
外国語
索引
前書きなど
まえがき
本書は、「大東亜戦争」終結以前の日本統治下の植民地であった台湾と併合国(以下、植民地と表記)であった朝鮮における盲学校・聾啞学校教育の実態および特殊教育への発展に関する歴史的意義の究明を意図した研究の成果であり、『日本障害児教育史戦前編』(二〇一八年、明石書店)の補遺でもある。日本統治下時代における台湾と朝鮮の盲啞教育に関する学術的研究は限られており、盲啞教育から特殊教育への発展状況については、ほとんど検討されていない。大戦前の盲啞教育の意義については、台湾については何らかの点で肯定的な評価を含む研究が多いが、朝鮮については型どおり、おおむね否定的である。台湾と朝鮮の盲啞教育・特殊教育の歴史的意義を検討する場合、台湾または(および)朝鮮のみを抽出して検討するのではなく、一九世紀半ばから二〇世紀前半まで全世界に及んだ欧米植民地における盲啞教育・特殊教育の評価全体のなかで台湾・朝鮮についての評価を相対化する過程は不可欠なはずである。しかし実際のところ、このような問題意識に基づいて植民地統治と盲啞教育・特殊教育との関係について、一元的かつ単純化して結論を下すほど研究の蓄積はない。したがって、植民地の盲啞教育・特殊教育の未熟さを植民国の統治の失敗に帰するという常套的結論に至る前に、歴史的事実に基づく基礎的研究が必要である。以上のような趣旨に基づいて行った、日本統治下の台湾・朝鮮における盲啞教育の成立・展開および特殊教育への発展に関する研究が本書である。
単純な結論は主張として強力にみえても、研究方法が一面的で、歴史的事実の把握と分析に偏りがある場合、十分な説得力をもつことは期待できない。本書では、可能な限り入手した台湾と朝鮮の盲啞学校の関連資料に基づいて個別に検討するとともに、それとアジア・オセアニアの欧米植民地の盲啞学校事業および特殊教育とを多元的に比較対照することによって、台湾と朝鮮の盲啞教育ないし特殊教育が、いかなる位置づけと評価を付与されるべきかを究明しようとするものである。すなわち、第一段階として台湾と朝鮮における盲啞学校の成立と展開および特殊教育への発展を植民国・日本と対照しながら比較する。第二段階として同時期のアジア・オセアニアにおける欧米植民地、そして植民地本国における盲啞教育と特殊教育について比較し、植民国特殊教育から植民地特殊教育への反映度も探る。第三段階として、台湾と朝鮮の盲啞教育の実態と特殊教育への発展状況を欧米のアジア植民地全体のそれと参照する。ここで、学校の対象、教育の目的と目標、教育成果および社会的効用の変容は、これら三つの段階における共通の検討事項である。この三つの段階の検討によって、植民地と植民国における盲啞教育および特殊教育への展開に関する全体的な状況がある程度把握可能となり、台湾と朝鮮の盲啞教育の歴史的意義についてより妥当な結論を得ることが可能となる。
以上の方法による検討と考察から、台湾では盲啞教育が成功し、朝鮮では不振あるいは停滞した理由と背景が、単純に日本の統治政策のみに還元できないことが理解されるであろう。さらに、日本の統治下の台湾と朝鮮における盲啞教育・特殊教育が植民地全体のなかで異例だった事実も把握されるはずである(むろん、日本の植民地統治を正当化する意図は毛頭ない)。本書が、台湾および朝鮮を含めて、植民地における盲啞教育と特殊教育の歴史的意義に関する研究の緒として指摘できるのはこの点までである。
(…後略…)