目次
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ刊行にあたって――4『フィールド経験からの語り』
はじめに
序章 なぜいま「フィールド経験」から語るのか――一人の人間としてイスラーム・ジェンダーを生きるために[鳥山純子]
第Ⅰ部 関係に学ぶ/を築く
第1章 生と性の間で――保健師としてのパレスチナ人女性への聞き取りから[藤屋リカ]
第2章 つながりを構築する――紐帯のビルディング、あるいは社会関係の科学[ダリラ・ゴドバン/翻訳・志田夏美]
第3章 「聞こえないトランスジェンダー」だった私のフィールド体験[伊東聰]
第4章 現地を知る、相手を知る――パレスチナのフィールドに入る[南部真喜子]
第5章 パレスチナ人ゲイAとの出会い[保井啓志]
第6章 近しさへの奮闘――時に不安定なカイロの友人グループ[エイモン・クレイル/翻訳・原陸郎]
第Ⅱ部 関係がゆらぐ/に悩む
第7章 気まずい、と感じること――パキスタンでの経験から[賀川恵理香]
第8章 二つの海の出会うところ――香港でさわる、さわられる[小栗宏太]
第9章 「私は何者か」という問いとともに[小川杏子]
第10章 中立性の功罪[村上薫]
第11章 偏見を笑う[細谷幸子]
第12章 感情の荒波を乗り越える――調査日誌の読み直しから[岡戸真幸]
第Ⅲ部 関係が続く/を終える
第13章 フィールドとの往来のなかで時間を重ねること[植村清加]
第14章 モロッコにおける友情と文書収集[レオン・ブスケンス/翻訳・中西萌]
第15章 フィールドワークの終わり――あるいは、私がバドル郡に行く理由[竹村和朗]
執筆者による関連論文
前書きなど
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ刊行にあたって――4『フィールド経験からの語り』
本シリーズは、「イスラーム・ジェンダー学」の研究成果を具体的な内容で分かりやく読者に示すことを目的にしています。
この第4巻のテーマは「フィールド経験からの語り」です。「はじめに」で述べられているとおり、「フィールド経験」とは相手との出会い、言いかえれば「他者」との出会いに他なりません。
さて、「他者」との出会いと言えば、そもそも私たちの人生そのものが「他者」との出会いの連続だとも考えられます。時の流れとともに、また自身とそれを取り巻く状況の変化によって、私たちはさまざまな「他者」との出会いを経験します。
多くの場合、人生で最初に出会う「他者」は、親や家族でしょう。しかし、成長するにつれ、この「もっとも親しい他者」に対して複雑な愛憎の感情を覚えることもあります。さらに「他者」との出会いとして大切なものに、異性との出会いがあります。そこでは、さまざまな「性」の在り方についても知ることになります。また、身体の一部が自由にならない人を「他者」として知ることもあれば、その逆の立場に身を置かれ、新しい「他者」と向き合うこともあります。学業や就職のために遠い場所で生活するようになれば、言葉(方言)や文化、そして宗教を異にする「他者」とも出会う機会が増えるでしょう。
このように人生を「他者」との出会いだと考えた場合、本書に執筆されている方々がまさにそうですが、あえて遠方の異文化社会のなかに入り込んで「他者」との出会いを積極的に求めようとする研究、このフィールドワークの持つ意味とはどこにあるのでしょうか。
エドワード・サイードは、音楽家ダニエル・バレンボエムとの対話のなかで、「他者」への向き合い方について議論を交わしています。バレンボエムが「他者」への無知を克服するための音楽という共通経験の重要性(アラブ人とイスラエル人の合同コンサート)を語るのに対して、サイードは、ゲーテを稀有な例だとして次のように応えます。ゲーテにとって「芸術とは、とりもなおさず『他者』へと向かう探検であって、自己に専心することではなかった」。いたずらに「自分の文化の価値観や帰属意識」に執着するのではなく「自己を外側に向けて投影し、より広い見識をもとうとすること」が大切である、と(バレンボエム、サイード 2004: 14)。芸術の場合と同様に、この点で、「他者」との出会いとしてのフィールドワークも、人間探求の営みとしての人文学が目指す一つの理想を共有しているのではないか、とも考えるのです。
「イスラーム・ジェンダー学」科研・研究代表者 長沢栄治(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フェロー/東京大学名誉教授)