目次
序章
1 はじめに‐問題意識
2 先行研究の整理について
2.1.文化大革命と同時代に論じられた研究
2.2.文化大革命後の研究‐研究の進展
2.3.近年における新たな動向
3 本書において取り扱う課題
4 研究方法と史資料
5 本書の構成
第一章 中国のエスニック・エリートたちの位置づけ
はじめに
1 構造的に見た中国民族問題
1.1.「周辺」としての少数民族地域
1.2.「周辺」の中で生き抜くエスニック・グループ
2 中国政治の中の少数民族問題
2.1.中国の政治体制と「自律性」を持つ地方のエスニック・エリート
2.2.エスニック・エリートのハイブリディティ‐民族的な利益のために
2.3.モンゴル・エスニシティにおけるウランフの意義
小結
第二章 文化大革命における民族政策の混乱から修正へ
はじめに
1 「民族工作を破壊」した民族政策
1.1.少数民族の特殊性を否定する「民族理論」の発露
2 「ポスト文化大革命」の萌芽
2.1.文革中期における民族政策の「修正」
2.2.「表舞台」に再登場するウランフ
2.3.パワー・エリートたちの民族政策の認識
2.4.1970年代初めにおける現場での変化の兆し
小結
第三章 ウランフの失脚と「復活」
はじめに
1 失脚へと追い込まれるウランフ
1.1.モンゴル語を母語としないモンゴル族ウランフ
1.2.文革とウランフの失脚
1.3.失脚中のウランフ
2 ウランフの中央における政治的地位の回復と内モンゴル
2.1.林彪事件とウランフの「復活」
2.2.モンゴル族指導者としてのウランフ
2.3.ウランフと他の少数民族指導者たちとの比較
3 ウランフの「復活」と中ソ対立
3.1.必要とされる「ソ連通」
小結
第四章 七五年憲法改正時における民族工作の「後退と懐柔」
はじめに
1 周恩来と四人組の争いの中で
1.1.1970年代前半の政治状況
1.2.実務が与えられないウランフ
2 一九七五年の憲法「改正」とエスニック・エリート
2.1.新たな憲法の中で「後退」する民族自治
2.2.第四期全人代以降のウランフ- 民族工作は「停止」したのか
2.3.第四期全人代における有力少数民族幹部
小結
第五章 「ポスト(脱)文革時代」の形成‐華国鋒とウランフ
はじめに
1 権力を継承するまでの華国鋒
1.1.地方官吏としての華国鋒
1.2.ウランフと華国鋒の出会い
2 華国鋒による文革の収拾
2.1.中国共産党党主席となる華国鋒
2.2.華国鋒への批判と「再評価」
2.3.ウランフの「昇進」と「制限」
小結
第六章 華国鋒の少数民族に対する姿勢
はじめに
1 華国鋒に対する「評価」
1.1.民衆を動員する華国鋒
1.2.華国鋒への「感謝」
1.3.内モンゴル人民革命党冤罪事件への対応
2 華国鋒と少数民族政策との関わり
2.1.湖南省時代の華国鋒と少数民族
2.2.華国鋒のチベット入り
2.3.新疆ウイグル自治区訪問とチベット訪問との違い
2.4.民族問題に関する書籍の出版
小結
終章
1 華国鋒から胡耀邦、そして現在へ
2 本書の成果
3 本書に残された課題
4 その後のウランフといま
あとがき
【付録】
史資料
(1)高奇によるウランフの「復活」に関する回顧録の一部
(2)高奇の回顧録における「ウランフ解放案件に関する調査指示」の原文
(3)華国鋒の内モンゴル政策に対して感謝を示す書簡
(4)アルタンデレヘイによる「華国鋒の四.二〇指示への関与について」
(5)『華主席関于国内民族問題的論述選編』の中表紙
写真等の出典の一覧
参考・引用文献一覧
(史料・回顧録)
(日本語のもの)
(欧文のもの)
(中国語のもの)
索引
前書きなど
序章
(…前略…)
5 本書の構成
本書は、先行研究の研究成果を援用するとともに、『人民日報』『内蒙古日報』『西藏日報』『新疆日報』など中国国内の共産党機関紙を史料として分析の対象にすることが多い。こうした機関紙について、プロパガンダ的要素が強く、史料としての信頼性は低いと嘲笑されることもある。しかし、本書では、プロパガンダであるからこそ、そこには当局側の意図が多分に存在していると考え、これらの機関紙に注目した。
もちろん、ここには、近年多くの研究者たちが実施している新たな聞き取りや、新たな史資料へのアクセスが困難だったという筆者の調査の限界もある。だが、当局側の姿勢が反映されている同時代史料と言える各機関紙の再検討は、少数民族地域への当時の「政策」を明らかにするうえで、重要な作業なのである。
では、次いで、具体的に取り扱う課題について述べる。
第一章では、中国における少数民族地域の支配が、コロニアルな支配であることを、構造的に明らかにしたうえで、民族問題におけるエスニック・エリートたちの重要性、なかでもウランフに注目する理由について論じる。(……)
第二章では、ウランフのエスニック・ポリティクスの中の位置づけについて論じる。(……)
第三章では、そのウランフが文革によって失脚の憂き目を見るが、1973年という比較的早い段階に「復活」を遂げた理由について考える。(……)
続く、第四章では、文革期の民族政策が否定的に捉えられる根拠の一つである「一九七五年憲法」(以下、七五年憲法)とその当時のウランフの扱いについて考察する。(……)
そして、第五章では、文革を終結させた華国鋒の「ポスト文革」性とウランフの関係について示す。(……)
最後の第六章では、これまで論じられることが少なかった華国鋒の少数民族に対する姿勢や取り組みについて明らかにする。(……)
本書では、上述の諸点を論じることによって、全体として次に示す目的を有していることを改めて述べておく。それは、文革時代を、民族問題という視点から多角的に理解することである。物事には多様な側面があるように、時代にも様々な側面がある。これまでの多くの研究では、暴力性に代表される文革の「負」の側面への関心が中心であった。だが本書では、あえてこれとは異なる「ポスト文革」的な動きに着目することで、この時代を多面的に理解する一助になるものと考える。そのうえでさらに、この「ポスト文革」的側面の理解は、繁栄を続ける現代中国の原点理解にも繋がるものになると確信する。