目次
はじめに
Ⅰ リトアニアのあらまし
第1章 地理と自然――東欧、中欧、それとも北欧?
第2章 四つの地方と小リトアニア――個性溢れる地方の文化
第3章 首都と主要都市――東から西への旅
【コラム1】有形世界遺産
Ⅱ 言語
第4章 リトアニア人とリトアニア語――言語なくして民族なし
【コラム2】リトアニア人の名前と名字
第5章 リトアニア語の概要――インド・ヨーロッパ語族の骨董品
【コラム3】ヨーナス・ヤブロンスキス――リトアニア語の救急救命士
第6章 印欧諸語比較言語学とバルト語学――バルト諸国の研究者たちの貢献
第7章 言語政策――リトアニア語を守り育てるために
第8章 リトアニアの中のロシア語――「ロシア語ができますか?」
第9章 リトアニアでポーランド語を話す人々――歴史がつくった文化遺産
第10章 トラカイで守られるチュルク系カライム語――大公国時代に移住したカライム人と彼らの言語
Ⅲ 歴史
第11章 先史時代――バルト・リトアニアからリトアニアの形成まで
第12章 リトアニア大公国――異教の大国から両宗派の架け橋へ
第13章 ポーランド=リトアニア共和国――複合国家の盛衰
第14章 ロシア帝国下のリトアニア――近代ナショナリズムの誕生
【コラム4】記念日から見るリトアニアの歴史的自画像
第15章 両大戦間のリトアニア――独立宣言、議会制民主主義、そして権威主義体制
第16章 独立の喪失――モロトフ=リッベントロップ条約と第二次世界大戦
【コラム5】リトアニアのユダヤ人――失われた世界
第17章 ソ連時代――抵抗運動とソヴィエト化
【コラム6】リトアニア人の離散
第18章 独立回復までの道のり――非暴力を貫いたリトアニアの市民
Ⅳ 政治
第19章 独立回復と制度形成の政治――サーユディスと共産党改革派の協調と対立
第20章 EUとNATO加盟――その熱意と困惑
第21章 国家元首――個性ある5人の男女
第22章 選挙と政党――リトアニア民主政治の様相
第23章 立憲主義の発達と1992共和国憲法――憲法史における現行憲法
第24章 防衛――NATO加盟によるロシアへの対処
Ⅴ 近隣諸国との関係
第25章 ロシアとの関係――ロシアとリトアニアのはざまに生きた二人のバルトルシャイティス
第26章 ポーランドとの関係――アンビヴァレントな「連合」関係のゆくえ
第27章 エストニアとの関係――意外と疎遠な二国間の外交問題を示すエピソード
第28章 ラトヴィアとの関係――地域的な繋がり、そして欧州情勢に後押しされた関係の緊密化
第29章 ベラルーシとの関係――「リトアニア大公国」は誰のものか?
Ⅵ 経済・産業
第30章 経済概況――急成長とひずみ
第31章 経済政策――持続可能な財政と経済成長を促す制度改革
第32章 EU加盟後の動向――バブルと経済危機
第33章 通貨――リタスからユーロへ
第34章 エネルギー――地域協力と多様化によるエネルギー安全保障の強化
第35章 エネルギー・環境問題――環境・観光・持続可能な発展
【コラム7】リトアニアの森林――現状と保護活動
Ⅶ 教育・社会
第36章 教育の歴史――学校の形成過程を中心に
第37章 大学・高等教育機関――東西の世界を繋ぐ国際化にむけて
第38章 民族政策――多文化社会の背景と直面する課題
【コラム8】永住権――永住権取得のための課題・条件、体験者レポート
第39章 社会問題――リトアニア人として、ヨーロッパ人として直面する諸課題
第40章 スポーツ――「国技」バスケットボール
【コラム9】リトアニアの学校事情――現地からのレポート
Ⅷ 文化・芸術
第41章 文学――リトアニア人がリトアニア語で書いた文学の点描
【コラム10】クリスティヨーナス・ドネライティス――リトアニア文学の創始者
【コラム11】イマヌエル・カントと「小リトアニア」の言語文化――民族と歴史の交点
第42章 ミカローユス・コンスタティナス・チュルリョーニス――リトアニアが誇る天才芸術家
第43章 音楽――音楽が導いた独立
【コラム12】童謡「手をたたきましょう」の謎――リトアニア民謡? それともチェコ民謡?
第44章 スタルティネス――歌い継がれた多声合唱の文化遺産
第45章 歌と踊りの祭典――民族の独立と自由のシンボル
第46章 民族衣装――祝祭日を彩る晴れ着の変遷と地域性
【コラム13】民芸――暮らしの中に生きる伝統芸術
第47章 バレエ――宮廷バレエから国際化の時代へ
第48章 演劇――その歴史を築いた演劇人の足跡
第49章 映画――映像による現代史
第50章 ジョナス・メカス――追憶を綴った映像の詩人
Ⅸ 生活・習慣
第51章 食生活――蜂蜜とすりおろしじゃがいもと森の恵み
【コラム14】養 蜂――魂は蜜蜂に宿る
第52章 宗教――「異教」とキリスト教の衝突と習合
【コラム15】十字架――古の樹木信仰の名残をとどめる民衆芸術
第53章 伝統的な祝祭日――古来の祭と融合したキリスト教の祭
第54章 フォークロア――時代を超えて伝わりゆく口承
【コラム16】フォークロアにおける他民族のイメージ――タイプ化された異文化の表象
第55章 リトアニアのモード――大国からの影響と独自のアイデンティティ発信の間で
Ⅹ 日本との関係
第56章 日本・リトアニアの外交および経済交流の歴史――文久遣欧使節団から現代まで
【コラム17】日本とリトアニアの架け橋としての杉原千畝――近年の顕彰を中心に
【コラム18】映画『杉原千畝 スギハラチウネ』(チェリン・グラック監督、2015年)
第57章 日本・リトアニアの文化交流――憧れと親近感によって結ばれた「両想い」
【コラム19】姉妹都市――クライペダ市と久慈市の琥珀の絆
第58章 リトアニアにおける日本研究――日露戦争からグローバル化の現在まで
第59章 日本ブーム――リトアニアで注目を浴びる日本文化
第60章 リトアニア語に訳された日本文学――安部公房から村上春樹まで
もっとリトアニアを知りたい人のために
前書きなど
はじめに
リトアニアという国を知っていますか。この問いにうなずく日本人は、果たしてどれほどいるだろう。知っているとしても、名前を聞いたことがある程度で、ごく断片的な知識しか持たないという人がほとんどではないだろうか。たとえば、第二次世界大戦中のリトアニアで、「命のヴィザ」を発行し数千人ものユダヤ人を救った外交官、杉原千畝のことなら知っている、という人は多いだろう。20世紀末に東欧を揺るがした体制転換を記憶する世代なら、この国が、民族独立運動の急先鋒に立ち、非暴力を掲げた「歌う革命」によって、ソ連からの分離独立をやってのけた国であることを思い出すかもしれない。だが、一般的にいえば、日本人にとってリトアニアはマイナーで遠い国の一つであり、それについての情報量はきわめて限られたものである。そして、インターネットが普及した現在でも、あまり知られていない国についてのしっかりした情報をバランスよく集め、丸く全体像を摑むのは、やはり難しいことに違いない。
まずは、地図を広げてみよう。日本人にも馴染みある国の名が並んだ西欧から、北東方向に目を移すと、北欧諸国に囲まれるようにして、バルト海がある。その東岸に並んだ三つの国、いわゆる「バルト諸国」のうち、一番南に位置しているのが、リトアニアである。正式名称は、リトアニア共和国。現在は北海道の8割ほどの大きさだが、リトアニア大公国と呼ばれた中世には、黒海まで国土を広げ、東欧最大の国家として威勢を誇った。日本では、1990~91年に正式にソ連からの分離独立を果たして以来、隣国のラトヴィア、エストニアとともに、「バルト三国」と呼ばれることが多い。国土面積約6万5300平方キロメートル、人口約280万人(2019年現在)の小国ながら、フォークロアの宝庫として知られる。
さて、実際にリトアニアを訪れた人の印象は、だいたい似かよっているようだ。のんびりしていてどこか懐かしく、素朴で美しい国。これまで幾度もリトアニアを旅してきた私も、飛行機の窓から見える風景には、いつも見とれてしまう。国土の約3割を占めるという森林、なだらかに続く丘をゆったり流れる川、点在する大小様々な湖。夏は、草木の緑が目をなごませ、牧歌的な農村風景がのどかに広がる。冬は、雪に覆われる平原の向こうに、町の教会の尖塔がくっきり映える。古き良きヨーロッパの田舎を彷彿させる国、という近年定着しつつあるイメージに加えて、シャイで柔和なリトアニア人の民族性に親近感を抱き、この国に惚れ込んでしまう人は後を絶たない。
(…中略…)
じつは、リトアニア出身の著名人以上に、リトアニア人の民族的アイデンティティを象徴し、この国の名を広めるのに一役買ってきたものに、リトアニア語がある。何しろ、リトアニア語が、インド・ヨーロッパ語族の現代語中で最も古風な言語であるということは、言語学の分野ではすでに一種の常識となっているほどなのだ。私自身、言語学を学ぶ学生時代、リトアニアという国のことは何も知らずに、リトアニア語の講義を受講した。ずっと後になって分かったことだが、私の出身大学は、ソ連時代の1970年前後、アジアで最初にリトアニア語の講座を開設した高等教育機関として、世界のリトアニア語教育史に名を刻んでいたのだった。また、私がリトアニア語を学び始めたのと時を同じくして、何かの導きのように、私の母校は初めてリトアニアからの留学生を受け入れた。数年後、親しい友人となっていた彼女に招かれて、首都のヴィルニュス大学の夏期講習に参加したのが、私の最初のリトアニアへの旅となった。こうして、幾つかの偶然と必然に導かれるようにして、私とリトアニアのつきあいが始まったのである。
それから数十年、リトアニアを見守り続けてきた私だが、どうしても関心は文化面に偏りがちで、バランスよく全体を把握できているとは言いがたい。また、この国への愛情ゆえに、私には見えずにいる短所や問題も当然あるに違いない。そこで、本著を編集するにあたり、できるだけ多面的・総合的にこの国を紹介することを目指して、章ごとに最もふさわしいと思う方々に執筆をお願いし、さらにリトアニアからもそれぞれの専門家に参加していただいた。結果として、これまで私がお世話になってきた、日本とリトアニアの恩師や友人たち、さらにはその知り合いの方々が集う、リトアニア・フォーラムとも呼べそうな本が出来上がった。編者の思い入れが強すぎたこと、また怠慢もあって、出版にこぎつけるまでに想像以上の年月を費やしてしまったが、この本が、手に取ってくださった方々にとってリトアニアとの幸福な出会いとなり、さらなる旅のきっかけとなれば、この上ない喜びである。
(…後略…)