目次
本書(下巻)に登場する主な哲学者 生没年早見表
紀元前3・4世紀ごろのギリシアと周辺諸国地図
第16講 ゴルギアス
否定性の哲学
コラム:ソピスト、ゴルギアス
第17講 ソピスト――存在の残響――
技術家集団、ソピストたち。
ノモスとピュシス
第18講 プロタゴラスvsソクラテス
ソクラテスvsプロタゴラス
ソクラテス的志向性
第19講 プラトン
イデア論
知識論
想起説
分有説
魂の不死説
哲学は死の準備である。
善のイデア
弁証法
プラトンの構想する世界構造
洞窟の比喩
哲人王説
四基徳
デミウルゴス
プラトンの後期思想
コラム:プラトンの生涯と著作
第20講 アリストテレス(其の一)
哲学者アリストテレス
コラム:アリストテレスの生涯と著作
第21講 アリストテレス(其の二)
アリストテレスの学問分類
形而上学
(一)アリストテレスのイデア論批判
(二)アリストテレスの存在論
第22講 アリストテレス(其の三)
自然学
第23講 アリストテレス(其の四)
倫理学
制作術
第24講 ヘレニズム哲学(其の一)
ヘレニズム期展望
徳
(一)アンティステネスとキュニコス派
(二)ストア哲学
第25講 ヘレニズム哲学(其の二)
快
(一)キュレネ派の快楽思想
(二)エピクロス哲学
第26講 ヘレニズム哲学(其の三)
知
(一)エウクレイデスとメガラ派
(二)ヘレニズム期における懐疑哲学
第27講 新プラトン哲学
(一)新プラトン主義への前奏
(二)新プラトン哲学
コラム:新プラトン主義の諸派
第28講 ギリシア哲学と魂(プシュケー)
第29講 ハイデガーと西洋形而上学(其の一)
はじめに
主観性の形而上学
西洋形而上学(プラトニズム)と科学
主観性原理によって出現した超越の巨大な構造(中世世界)
西洋形而上学の近代における現れ(認識の哲学)
主観性の自己意識(自覚)
「正しさ」の哲学(真理の頽落態)
「正しい哲学」と後期近代世界
ヘーゲル哲学
アートマン、ブラフマンを飲み込む
西洋形而上学の帰結としての近代世界(ハイデガー対世界)
存在の故郷への望郷
第30講 ハイデガーと西洋形而上学(其の二)
はじめに
主観性原理の登場
存在(ピュシス)と主観性の初期ギリシア期における抗争
ギリシアの主観性
ヘブライズムの神(巨大な主観性)の西洋精神史への登場
「自然と主体の統合」というテーマについて。
あとがき
人名索引
前書きなど
本書「あとがき」より:
最後に私事を語ることをお許しいただきたい。
本講義の底本は『ギリシア哲学と主観性』(法政大学出版局、二〇〇五年)であるが、二〇〇六年であったか、同書をもって学位を申請させていただいた。しかし当初論文の価はあまり芳しいものではなかった。それもやむからぬことで、厳密な学術論文としての体裁という観点から見れば、はなはだ不備の多い論文といわざるをえなかったのである。しかし論述がそのようなスタイルで書かれたことはむしろ確信的になされていたことで、厳格な学術論文の実証的、対象論理的記述では、記述の全体が主観性の認識構造の内に置かれるため、存在が立ち現れてくることはないという信念のもとにそのような論述が選ばれていたのである。「何がいわれようとしているのかもうひとつよく分からない」とか「日下部君は物語を作っているだけではないのか」といった講評が審査委員会での当初の評価であった。はなはだネガティブなその場の雰囲気にやはり学位論文として理解を求めるのは無理かと沈んでいたところ、突然審査委員のひとりであられた梅原猛先生が怒りだされて、「存在がきたんや、ギリシアを出て、ドイツを経て、今日本に存在がやってきたんや」と叫ばれたのである。その文化勲章の気迫にその場の一同びっくりして(わたしも驚きました)、それで評価が劇的に変わって審査委員会を無事通過したという次第である。日本にも哲学者はいたのか、というのがその時の実感であった。その梅原先生も鬼籍に入られた。今日本のどこに哲学者はいるのかと、はなはだ淋しい気持ちである。