目次
序 世代問題の再燃――3・11以後
第Ⅰ部 死と誕生から、世代出産性へ
第一章 終わりへの存在に本来形はあるか――ハイデガーの死の分析から
第二章 出産と世話の現象学――死への先駆と世代出産性
第三章 ポイエーシスと世代出産性――『饗宴』再読
第四章 世界の終わりと世代の問題――原爆チルドレンの系譜学
第Ⅱ部 子ども、世界、老い
第五章 子どもと世界――アーレントと教育の問題
第六章 子ども、学校、世界――「リトルロック考」再考
第七章 死なせること、死なれること――死への存在の複数形
第八章 世代は乗り越えられるか――ある追悼の辞
第Ⅲ部 世代をつなぐもの
第九章 世代をつなぐもの――東京女子大学旧体育館解体問題によせて
第十章 死と誕生、もしくは世界への愛
第十一章 ある恋から教わったもの――退職にあたってのスピーチ
第十二章 せめて五十年後を考えよう――ある女性建築家への手紙
第Ⅳ部 メンテナンスの現象学
第十三章 作ること、使うこと、そして働くこと――着物と洗浄の現象学
第十四章 リニア中央新幹線について、立ち止まって考える
第十五章 アーレントとリニア新幹線――『活動的生』のテクノロジー論
第十六章 労働と世界――草取り、落葉拾い、大掃除、田植え
注
あとがき――日々是哲学の道楽
事項索引/人名索引
前書きなど
序 世代問題の再燃――3・11以後
世界内存在からの出発
われわれはこの地上に生まれ、人びとと出会い、ともに何事かを為し、やがて死んでゆく。その舞台となる世界は、しかし、われわれの生まれるずっと前から存在していたのであり、それが存続してきたのは、かつてそれを築き、担い、残してきた無数の人びとがいたからである。われわれは、われわれの世界が先人たちのたゆまぬ努力の賜物だということを知っている。また、それと同じく、今現にある世界が、われわれの死後もなお存続し、そこにたえず人びとが生まれ、住み続けるであろうことも知っている。われわれの限りあるいのちとは違って、われわれの生まれるはるか以前から存在しているこの世界と、それを形づくっているさまざまな物たちは、われわれの死後もずっとこの地上にとどまるであろうことを、われわれは知っている。
こういう周知の事柄を、しかし、われわれはこれまで深く考えてこなかった。そこに哲学的問題がひそんでいるとは、思いもよらなかった。いや、むしろ、そのような蓋然的知識は疑わしいものだとあっさり決めつけ、あるいは取るに足らぬ哲学以前の瑣末な事柄と見なして軽んじてきた。なにしろ、そもそもこの世界が実在するのか定かでなく、ここに見えているこの机、そこにいるあなたが本当に存在しているのか、確信がもてないでいるありさまなのだから。それどころか、生身のこの私の存在さえ、そのリアリティを疑ってかかることのほうが哲学的だと見なされるほどである。
外界や他者の存在は、一見当たり前に見えて、本当にその通りなのかは、じつは怪しい。自明に思える現実存在を鵜呑みにせず、一切を疑うことから哲学は始まる―と、われわれは教わってきた。認識可能性の確固たる保証が得られるまでは、世界について語るのは慎重に差し控えること、それが近代哲学のマナーとされた。だがそうなると、哲学の議論はいつまでたっても現実なるものに辿り着くことができなくなった。
それではおかしい、われわれがこの世界に現に存在しているという基本的事実から哲学は出発すべきだ、と言い始めたのが、マルティン・ハイデガー(一八八九一九七六年)である。ハイデガーによれば、哲学は長らく世界を「飛び越えて」きた。灯台下暗しのその傾向に抗して、今やはじめて世界が哲学の根本問題に据えられねばならない。物たちのもとでの存在も、人びととの共同存在も、認識論のパズルではなく、のっぴきならない実存問題として浮上してくる。無世界的主観ではなく、世界内存在が丸ごと哲学の賭金となる。
しかし、そのハイデガーにおいても、世界はべつに安泰だったわけではない。『存在と時間』の筋書きによれば、「何となく不安だ」という無気味な気分に襲われるや、それまで淀みなき有意義性を示していた世界が、俄然、無意義性の様相をおびて宙づりとなる。世界の内に存在しているはずのこの私は、自己自身へ投げ返され、物への配慮も他者への顧慮も、総じてどうでもよくなる。とりわけ、最も固有で没交渉的で追い越しえない可能性としての自分自身の死に直面するとき、実存の単独性が、隠しようもなくあらわとなる。私は結局、たった一人で死んでゆく。自己存在の終わりに臨んで、頼れるもの、すがれるものなど、何一つない。この事実は抹消不可能である。
その一方で、宙づりになったとはいえ、世界は消失してしまうのではない。無的なものと化すことで、むしろ世界はその存在をあらわにする。欠如の相においてこそ真相が示されるのが、われわれの実存の基盤としての世界なのである。これはなにも哲学理論のうえの話ではない。現代世界は、安定しているどころか、崩壊、いや虚無化の危機に瀕しているがゆえにこそ、世界の何たるかをわれわれにこれ見よがしに突きつけて迫ってくるのである。
(…後略…)