目次
凡例
謝辞
名称について
第1章 先史時代の黒海
水域から見た歴史
地域・フロンティア・ネーション
黒海の誕生
地理と生態系
第2章 ギリシア・ローマと黒海――客あしらいのよい海――紀元前七〇〇年‐紀元五〇〇年
最果ての世界
ギリシア植民市の展開
混じり合う人びと――「民族の共同体」
文明を救ったスキタイ人
アルゴー号の探検
植民市の苦難――より野蛮なギリシア人
ポントス王国とローマ
トラヤヌス帝のダキア征服
アッリアノスの巡察旅行
アボノテイコスの偽預言者
第3章 ビザンツ帝国と黒海――偉大なる海――五〇〇‐一五〇〇年
「スキタイ」の脅威
秘密兵器「海の火」
諸民族の襲来――ハザール、ルーシ、ブルガール、テュルク
ガザリア交易時代――中継交易の繁栄とイタリア商人の活躍
パクス・モンゴリカ
疫病を運ぶ海――カッファ発ジェノヴァ行
トレビゾンド――コムネノスの帝国
「トルコ」の地への航海
東方からの使者
第4章 オスマン帝国と黒海――カラ・デニズ――一五〇〇‐一七〇〇年
海の王者
人を運ぶ海――「コンスタンティノープルへ!」
地元の支配者たち――ドムン、ハン、デレベイ
「船乗りたち」の落書き
カモメの水兵さん
第5章 ロシア帝国と黒海――チョールノエ・モーレ――一七〇〇‐一八六〇年
海とステップ
アゾフ海艦隊
「北のクレオパトラ」、南方を巡幸す
カルムイク人の逃避行
ヘルソンの季節
ジョン・ポール・ジョーンズあるいはジョンス海軍少将
「新ロシア」の開拓
伝染病と近代化の波――熱病、マラリア、そしてラザレット
列強の黒海進出――トラブゾンの領事館
クリミア戦争
第6章 国際社会と黒海――ブラック・シー――一八六〇‐一九九〇年
国際法体系に包まれる黒海
世界とつながる海――蒸気機関・小麦・鉄道・石油
無神経な訪問者たち
コンスタンツァ鉄道の光と影
強制移住・追放・虐殺
水域の「分割」
黒海の学術的解剖
プロメテウス運動
収奪される海
第7章 黒海の荒波を前にして
そこはパラレル・ワールドか?――解説および後書にかえて
各章扉の引用文
注
文献目録と読書案内
索引
前書きなど
そこはパラレル・ワールドか?――解説および後書にかえて
本書はCharles King, The Black Sea: A History, Oxford University Press, 2004 の全訳である。著者のチャールズ・キングは世界的にも名高いジョージタウン大学国際関係学部教授であり、二〇一五年にも『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿するなど、政治学者として活躍している。一方、歴史にも造詣が深く、二〇〇〇年に発表された『モルドヴァ人』以来、環黒海地域をあつかうさまざまな著作(通算七冊)の中で、高邁な歴史知識と「文明」に対する洞察力を披露してきた。「歴史(認識)」自体が政治問題化することも少なくない環黒海地域について、地域研究の視点、政治学による分析、歴史学による理解を巧みに組み合わせながら、地域の特色を明らかにしている。また、「読み物」としてのクオリティにもこだわっていることが豊富なエピソードの記述からもわかる。
冒頭で著者が述べているように、日本のみならず欧米でも「黒海」について具体的なイメージを持つ人びとは少ない。一般に「海」からは開放的な印象を受けるが、クリミア戦争から今日のウクライナ紛争まで「黒」い海は数々の戦乱の舞台としても記憶されてきた。有史以来、黒海とその周辺地域は文明と野蛮の物語が交錯する舞台となり、単純な決めつけをはねのける複雑怪奇な地域であり続けてきたのである。そこは、通俗的なヨーロッパとアジアの二分法でとらえることが難しい、あるいは前者が引きずりこまれていくようなユーラシア地政学の魔力が機能する磁場であった。
一見、通史として時代順に淡々とその歴史を辿るかのような構成を本書は取っている。しかし、一読すればわかるように、黒海という一つの海域世界の多面的なあり方を掬い上げようと、著者はさまざまな工夫を施している。通奏低音には「客観的であろう」とする冷徹な視線が存在し、「伝統的な」言説やそこから組み立てられてきた偏見を黒海にとどまらず、西欧にまで踏み込んで批判する。そこには「海の歴史」から時には想像されるロマンに満ちた情景よりも、むしろ単純な思い込みを裏切る生々しいリアルな人びとの姿が描かれている。読者は扉に引用される辛辣な表現に当初戸惑うかもしれない。しかし、つまるところ、清濁併せのむ、振り幅の大きな世界に生きる環黒海地域の人びととその歴史に著者は魅了されているのであり、本書を通じて、われわれはキングとともに黒海の時空を自在に旅することができる。本書の論点・読みどころは多岐にわたるが、以下、本書の特徴や制約、翻訳の問題などについて簡単に触れる。
(…後略…)