目次
序文 歴史教育に映った韓国現代史の姿
日本語版序文 民主主義のための歴史教育を期待して
一部 解放前後から一九六〇年代まで
一 皇国臣民を育てる教育――国民学校と国民科
二 解放以後の初めての国史教科書――『初等国史』と中等用『国史教本』
三 民主市民育成とアメリカ式民主主義教育――新教育運動と社会科の導入
四 民主的民族教育から科学的歴史認識まで――解放直後の朝鮮史認識と国史教育論
五 「広く人間を有益にする」――檀君思想と弘益人間の教育理念
六 李承晩政府の統治イデオロギーに変化した歴史理念――一民主義
七 互いに異なる三韓の位置――一九五〇~六〇年代の中学校国史教科書の学説問題
八 発展的観点の韓国史認識――韓国史研究と国史教科書の植民史観克服
二部 一九六〇年代後半から一九七〇年代中盤まで
九 民族中興の歴史的使命――国民教育憲章と歴史教育
十 初等学校から大学校まで国史を必修に――国史教育強化と国史科独立
十一 主体的民族史観を大義名分として――国史教科書の国定化
十二 国難克服史観と伝統倫理――朴正煕政府の歴史教育観
十三 国会に出された「国史を再び取り戻す運動」――上古史論争と国史教科書
十四 支配層の歴史から民衆の歴史へ――民衆史学の台頭と歴史教科書への批判
十五 「生きている生活のための歴史教育」――全国歴史教師の会による歴史教育運動
十六 「抗争」か「暴動」か――国史教科書準拠案の問題
三部 一九九〇年代中盤以後から現在まで
十七 歴史と社会科は敵対関係なのか――社会科の統合と国史教育の選択をめぐる論争
十八 ポストモダン歴史学と民族主義歴史学――民族主義歴史学と歴史教育の論争
十九 「西欧中心」から「ヨーロッパ中心、中国副中心」へ――ヨーロッパ中心の世界史教育批判
二十 戦争と植民地支配を合理化する歴史教育――日本の歴史歪曲と日韓歴史紛争
二十一 高句麗史はどの国の歴史であるのか――中国の東北工程と高句麗史論争
二十二 自国史を越えて地域史へ――東アジア史の誕生と歴史和解
二十三 政権が変わると教科書内容も変わるべきか――『韓国近・現代史』教科書問題
後記 歴史教育七十年の記録を残して
訳者あとがき
参考文献
索引
前書きなど
序文 歴史教育に映った韓国現代史の姿
二〇一三年の夏、韓国はいつもより暑かった。それと同じほど、歴史教育の話も熱く語られた。マスコミは、この韓国社会で将来の主人公になる生徒が、自国の歴史をよく知らないという内容を盛んに報道していた。教育部は、歴史教育を強化する方針のための準備に奔走した。一方で、近現代史認識をめぐっての論争も続いた。既存の韓国史教科書の近現代史叙述に満足しない人々が直接書いた教科書が検定を通過した。その内容について批判と憂慮の声が上がった。
歴史に対する人々の関心は高い。それは昔に対する単純な好奇心や興味だけではない。とても陳腐な言葉であるが、歴史は社会の根本であり源である。歴史は社会で生きている人々や集団が存在する根拠を与えたりもする。私たちは歴史を通して、過去の人々の生活を自己に映し出したり、生活に活かしたりもする。特に、近現代史は今日の私たちの社会が形成されてきた直接的な過程である。人々が近現代史に敏感な理由もここにある。
しかし、歴史教育と関連した問題は、学問的な関心や教育的な目的だけで始まったわけではない。政治的な意図も隠されていたり、社会の雰囲気に左右されたりする場合が多い。「教育の自主性・専門性・政治的中立性」を保証すると韓国の憲法では明示されているが、教育ほど政治の影響を強く受けるものもない。特に、歴史教育はそうである。韓国社会において、歴史教育は統治イデオロギーを伝播し、国家が必要とする国民をつくるために利用されてきた。権力を持った人々は、自身の統治を正当化するために歴史を利用しようとした。特に権威主義の政権においては、このような現象がさらに浮き彫りになる。また、独裁政権に向き合い、社会の民主化に力を尽くした人々も、社会意識を高めるのに歴史を利用した。互いの目的は正反対なのであるが、政治や社会的な理由により歴史を強調し重視するという点は同じである。このことから、特に韓国史の教育が良くないという指摘がされると社会は敏感に反応する。歴史教育を強化するための対策を講じようとする声が高くなる。だが、なぜ歴史を知らなければならないのか、どのような歴史を学ばなければならないのかについての真摯な議論はない。ただ社会の雰囲気にしたがい、歴史科目を必修にしたり、教科書の字数を増やしたり、歴史を試験科目に含めたりする程度である。この結果、学校教育において歴史教育の占める割合はある程度上がっていくものの、歴史教育が定位置を確保したという声は聞かない。時間の経過にしたがい社会の関心は減り、再び本来の状況に戻ることが繰り返されるのである。
このように、一九四五年の解放以後の歴史教育が進んできた道は社会的な産物でもある。歴史教育は韓国社会を眺め見ることができる窓なのである。教育制度や教育課程のような規定からではなく、政治・社会的観点から歴史教育を見なければならない理由がここにある。
この本では、一九四五年の解放前後から現在までの歴史教育の足跡を二十三の項目別に叙述した。「歴史教育」とするが、学校教育に限定せずに、歴史教育と関連した理念や政策や研究も含めた。最初の項目「国民学校と国民科」から、最後の項目である「『韓国近・現代史』教科書問題」まで、二十三の項目は韓国現代史の姿をそのまま映し出してくれる。最初の項目である「国民学校と国民科」は日本の植民地統治末期に起こったことがらであるが、一九四五年の解放以後の韓国教育と密接な関連があり、相当な期間、韓国の学校教育に影響を与え続けた。最後の項目である「『韓国近・現代史』教科書問題」は、筆者ととても関係の深いことがらである。今もその関係は完全に終わっておらずに進行中であるために、当初は二十三の項目から除外することにしていた。しかし、歴史教育との関連で避けることができない重要な事件であるという周囲の言葉にしたがい、項目に入れることにした。
(…後略…)