目次
はじめに フクシマの後[ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲/訳)]
Ⅰ 核時代の政治
第1章 フクシマ――犠牲のシステム[高橋哲哉]
コラム(1) 「フクシマ」の記念碑化[岩田渉]
第2章 フクシマは今――エコロジー的危機の政治哲学のための12の註記[エティエンヌ・タッサン(渡名喜庸哲/訳)]
コラム(2) 隔たりのなかでの闘い[堀切さとみ]
第3章 核時代の生――哲学・思想からの提言[山口祐弘]
Ⅱ 核時代の倫理
第4章 ぼくら、アトムの子どもたち 1962~1992~2011[加藤和哉]
コラム(3) 「震災ユートピア」のあとで――被曝低減活動の現在[疋田香澄]
第5章 予防原則の適用と環境倫理の方向性[山口一郎]
コラム(4) 福島原発告訴団の報告[武藤類子]
Ⅲ 来たるべき哲学の課題
第6章 放射線被曝下の倫理と哲学、あるいは、「人」の取り戻し[村上勝三]
コラム(5) 避難支援活動を続けてきて[木田裕子]
第7章 「理想」を語る哲学[納富信留]
コラム(6) 小さき声のカノン――選択する人々、意志が芽生える瞬間[鎌仲ひとみ]
第8章 為しえることと為しえないこと[ベルンハルト・ヴァルデンフェルス(武藤伸司/訳)]
あとがき
前書きなど
あとがき
(…前略…)
少しも解決の目途が立っていない。東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故はまだ続いている。原発事故被災者は膨大な困難を蒙りながらそれに相応しい対応を受けていない。そればかりではない。これから表に現れてくる健康被害に対して、その人の生涯にわたって国が生活と健康を支えるための補償をするのだろうか。嘘と不誠実さばかりか、愚かしさ、幼稚さが見える現政府の運営に、情けなさとともに難しさを痛感する。そのようないま、私たちにとって自分の未来を切り拓くために、何をどうしたらよいのか。そのことに少しでも応えたいという思いがこの書物の原動力になった。
哲学を研究する者が実践的な支援者の経験から学びながらどのように「いま、ここ」を越えて、将来に向けてのしっかりした議論を提供できるのか。これが私たちの問いであった。この書物の軸を形成する哲学に携わる人たちの論考が、コラムを書いた人たちの経験と思いをどのように汲み取りえたのか。私たちが目指したところの一つはここにあった。もっと一般的に言えば、実経験から学びながら自らの哲学を先に進め、それを社会に返すということになる。編者の代表として、この目的を成し遂げることができたのか問い直して難しさを痛感する。私たちはこの成果をもって国際哲学研究センターの事業をいったん終える。本書の試みは、実践的課題を経験の場としながら哲学研究を行うという方法の第一歩である。この方法がさらに変更されながら試行されていくことを願う。
(…後略…)