目次
発刊の辞[鄭在貞]
巻頭の辞[李成制]
口絵
第1章 東海を往来した人々、その役割
1.渤海と日本の交流史[林相先]
2.武王と藤原氏[古畑徹]
コラム 渤海の文人[林相先]
3.渤海の首領[尹載云]
コラム 渤海国とソグド[金恩国]
4.僧侶[古畑徹]
コラム 靺鞨と粛慎[金恩国]
5.8世紀半ば渤海と日本の「安史の乱」認識[金貞姫]
第2章 経路と往来の痕跡
1.クラスキノ城と福良港[金恩国]
コラム 交渉の旅程[赤羽目匡由]
2.上京城と平城京[赤羽目匡由]
コラム 渤海の木簡[赤羽目匡由]
コラム 渤海の工芸[金恩国]
3.渤海船の渡来[小嶋芳孝]
コラム 上京城出土の日本銅銭[赤羽目匡由]
4.神社と海洋信仰[尹載云]
第3章 文化の交流と淵源
1.石山寺所蔵「加句霊験仏頂尊勝陀羅尼記」[林碩奎]
コラム 毛皮[尹載云]
コラム 人参[尹載云]
2.斎藤優寄贈、福井県立歴史博物館所蔵の八連城出土遺物[林碩奎]
コラム 渤海八連城出土仏像[林碩奎]
コラム 渤海上京城出土仏像[林碩奎]
コラム 沿海州渤海遺跡出土瓦についての一考察[清水信行]
索引
前書きなど
巻頭の辞
(…前略…)
東海が国際的交渉路として再び注目されるのは、渤海が高句麗の故地に建国して、唐と対立するようになってからであった。渤海は、高句麗が開拓した東海ルートによって日本との交渉を続けていった。渤海が対倭外交に乗り出した背景は、高句麗が直面した国際情勢と類似するが、対外的危機から逃れた後も、渤海の対日外交は中断しなかった。東海を対倭外交の交渉ルートとしたのは高句麗であったが、交流の内容を文化伝播に拡大して交易ルートとして利用したのは渤海だったのである。
したがって、古代環東海交流史は、高句麗後半期の歴史と渤海史の研究からは、外すことのできない重要な研究対象である。両国の対外関係史の分野に限られるのではなく、往来した人々の動向や、伝来して伝わっていった文化の諸相、さらには、東北アジア国際情勢に対する理解までも可能な課題なのである。そのため、関連文献資料とともに、考古学の遺跡、遺物に対する基礎整理と理解が緊要となる。
本研究は、東海を背景に展開された高句麗・渤海と日本列島の間の交流史研究に必要な基礎的検討に当たる。このため、まず、高句麗と渤海に時期を区分して、さらにその下に三つのテーマを設定した。三つのテーマは、「東海を往来した人々、その役割」「経路と往来の痕跡」「文化の交流と淵源」であり、テーマごとに4~6個の問題を扱った。
問題ごとの接近方式は、研究成果の整理にとどまらず、新たな代案が模索できるようにした。このために、韓日両国の研究者がそれぞれ執筆することで、お互いの異なる視角と理解を比較できるようにした。
一方、考古学の遺跡と遺物は、主に日本に残っている資料の現状把握と理解に重点を置いた。ここでは、日本の学界における調査・報告の内容を忠実に整理することを執筆者に要求した。散在している資料の性格と具体的な内容を把握することが、古代環東海交流史の研究に必要な基本作業であると考えたためである。
(…後略…)