目次
まえがき
序章 帰国船は舞い戻ってきた
一九四五年夏、一路故郷へ出発
日本の敗戦を船上で聞く
再び日本で
第一章 故郷を離れハルピンへ、そして日本へ
貧しい中国東北での生まれ
張作霖爆殺事件から「満洲国」建国へ
ハルピン第一国民高等学校へ
「満洲国留学生」として日本へ
親切な日本の学友たち
迫ってきた日本の敗北
「満洲国政府」から帰国命令
第二章 焼け跡闇市時代の日本で
混沌とした日本の敗戦直後
焼け跡闇市の日本で
毛沢東より人気があった介石
国民党への失望
新米記者誕生
東京工業大学へ進学
憂鬱な時代
国民党、敗北へ
第三章 新中国誕生へ
盛り上がる全学連運動
中華人民共和国の誕生
勝利に導いた寛大な解放軍精神
進展する日中友好運動
大陸派と台湾派に分かれた在日華僑たち
「歌と踊り」で結束する華僑たち
映画『白毛女』に感動
恋人美津と結婚
始まった日中友好運動
秘密党員として活動
第四章 高まる華僑帰国運動
祖国建設のために
帰国の呼びかけに応えた学生たち
祖国中国へ帰国する華僑たち
国民党員の父は息子の帰国に反対した
残留日本人たちの中国からの引き揚げ
第五章 廖承志との運命的な出会い
帰国者を見送り舞鶴へ
学生代表として中国天津へ
運命を変えた廖承志の一言
第六章 「冬の時代」の日中関係
華僑向け新聞の発刊準備
『大地報』の創刊
「李徳全旋風」巻き起こる
廖承志との再会
呉学文との出会い
京劇の名優、梅蘭芳の来日
梅蘭芳という男
周恩来も気をつかった梅の日本公演
台湾派が梅公演を妨害
浮上した中ソ対立
大陸帰りの日本人たちとの出会い
第七章 「文化大革命」前の古き良き日中時代
憧れの作家、巴金が来日した
川端康成と骨董談義
映画スター趙丹との出会い
趙丹『東京の休日』 高峰秀子との友情
趙丹らの日本滞在報告
今井正ら日本の映画人を回想
六〇年安保闘争後の日本
〈文革〉で消えた趙丹
さまざまな訪日団
〈日本の工業技術を中国へ伝えたい〉
雑誌創刊の企画に横やり
第八章 「文化大革命」に翻弄される
宮本顕治による招宴
毛沢東、文化大革命を発動
至るところに影響を及ぼした文革
難産だった『日本工業技術』の創刊
『大地報』の廃刊
親族を訪ねて中国へ
「スパイ」と疑われていた韓慶愈
娘との再会
第九章 国交回復から文革終結へ
電撃的なニクソン訪中発表
「馬賊」も現れた日中国交回復前後
キッシンジャー極秘訪中に馬賊も走る
ついに日中国交回復なる
周恩来、朱徳、毛沢東の死
九月九日、毛沢東が死んだ
中国の激変に翻弄される華僑たち
第一〇章 改革・開放体制へ
新たな時代の始まり
太極拳の楊名時を中国へ案内
趙丹との懐かしい再会
始まった中国との広告交流
日中ビデオネットワークの設立
中国広告では電通、博報堂をしのぐ
『鉄腕アトム』が中国で大人気
多士済々の人材がいた?! 向陽社
新たな公益法人設立へ
終章 「もうひとつの昭和史」の扉
韓との最初の出会い
秘められた日中関係史
あとがき
解説[加藤千洋]
関連年表
前書きなど
まえがき
在日華僑、中国大陸を出自に持ち、一九四九年に成立した新中国を支持する華僑は、時に愛国華僑と呼ばれる。本書の主人公である韓慶愈はまさに愛国華僑の代表的な一人であると言っていいだろう。戦後の在日華僑史を語る場合、彼の存在抜きに考えることはできないだろうと思う。しかし、そのように思えるようになったのは、韓から直接、彼の人生を聞きだすことになったからである。
二〇〇五年、私は仲間たちと「方正友好交流の会」(以下、「方正の会」とする)を立ち上げた。中国の黒竜江省ハルピン市郊外の方正県は、戦前、「満洲」に開拓団として入った人たちが流浪の末たどり着いた地だった。壮年の男たちが召集され、残った老人や婦人、子供たちがソ連参戦と日本の敗戦後の混乱のなか難民になり、飢餓と発疹チブスなどで斃れた。そんな人たちが五〇〇〇人ほど葬られている日本人公墓が、この方正に建立されている。
散乱する累々たる日本人の白骨の山を見た残留婦人は、自分たちで葬りたいと県政府に願い出た。当時の中国の周恩来総理は、「日本人も日本の軍国主義の犠牲者である」と、人々が安らかに眠れるように日本人公墓を建立してくれた。中国の輝かしい国際主義的な精神が脈々と生きていた一九六三年のことである。
「方正の会」の顧問に就任してもらった韓に創立総会の際、挨拶をしてもらった。日本の敗戦後、自分が日本に残留せざるを得なかった当時の思いを重ねて、中国に残留した日本婦人のことを語った韓の話は、少なからぬ人々に感動をもたらした。
それから一年後の総会を終えた懇親会のことである。一五人ほどが集まり、それぞれ自己紹介をした。その時韓は、中国に帰国しようとして乗船したが、広島の原爆投下のため、日本に戻らざるを得なかった経緯などを語ったところ、「そういう体験を聞くのは初めてだ。ぜひ本にしたらどうか」という意見が出た。私は、その数年前から、韓から彼の辿った波瀾に満ちた人生について聴き取りをしていたが、そんな声を聞いて、韓の人生を紹介する意味を改めて確認したのであった。
多くの日本人は敗戦の時、涙を流した。しかし韓のような中国人たちにとって、日本の敗戦は悲しい出来事ではなく、まさに喜びに満ちた「解放」だった。この事実一つを取ってみても、多くの日本人にとって常識として映るような出来事も、また違ったおもむきや意味をもつものである。
中国大陸にルーツを持つ華僑は、度重なる戦乱を潜り抜けてきた人々の末裔らしく、自己の人生を大仰に語らないように思える。いつも淡々と生きているかのように見える。韓もその一人かもしれないが、韓の人生は、多くの日本人にとって知られざる戦中戦後史であると断言していいだろう。いわば秘められた昭和史なのである。日本と中国との長い交流の歴史も、韓のような人々の歩みを通して存続してきたのだろう思う。本書を通してそのことが実感してもらえれば嬉しい限りである。