目次
監修者序文
序文
凡例
利用の手引き
略号一覧
イスラーム・シンボル事典本編
参考文献―補
翻訳上の参考文献
監訳者あとがき
日本語項目一覧(50音順)
前書きなど
監修者序文
象徴は異なる世界の境を超えて人類共通の「生ける魂の遺産」として受け継がれつづけている。象徴は実在と不在の両世界を神のように自在に繋ぐことによって、未来をも受胎し人間の営みの律動、精神の跳躍、魂のゆらめき、心の豊潤を促してきた。象徴にはどこかプネウマ(聖霊)にも似た力があったのである。
これまでの象徴事典にもイスラームの象徴を語った項はいくつもあったが、イスラーム文化の全体にまなざしを投じ、啓典『コーラン』やムハンマドの言行録『ハディース』に張り巡らされた象徴の体系をこれほどまでに簡潔に深く読み解いたものは皆無であったといえる。マレク・シェベルによって編まれた『イスラーム・シンボル事典』(アルバン・ミシェル社、1995年)の刊行はその意味では先駆的なものであると同時に先鋭的でもあり、そしていまもってこれを凌駕するものは出されていない。
著者マレク・シェべルは1953年にアルジェリアのスキークダ、かつてローマ時代ヌミディアの古市ルシカデ(カルタゴ語で火の岬の意)に生まれ、祖国で哲学とアラブ文学を学んだのち、フランスに渡り、パリで精神分析を学んだという。宗教学・歴史・文学・人類学と精神分析という複数の視座を交叉駆使して語られるイスラーム文化を彩る象徴世界の多層性に驚きを隠せないだろう。わが国の密宗にも通じる神秘主義(スーフィズム)の深淵を改めて覗き見るときめきを覚えないではいられない。
「魂の核」(アッタール『鳥の言葉』)とはなにか、イスラーム文化の色とりどりの比喩と象徴の網の目を通して初めて私たちはその答えを見つけることができるだろう。
本書はまた、わが国では残念ながらいまだほとんど紹介がなされていないが、サイードによって「卓越したオリエンタリスト」と評され、神話化された天才ルイ・マスィニョン、フランス・イスラーム学の精華ともいうべきアンリ・コルバンとジャック・ベルグ、象徴論を宇宙論に結びつけてミルチャ・エリアーデに大きな影響を与えたルネ・ゲノン、精彩なイスラーム図像学を展開したリヒャルト・エッティングハウゼン、オレグ・グラバール、といったいずれもイスラームの象徴主義を深く掘り下げた学究たちが残してくれた見事に熟した知的果実を十二分に味わう機会を与えてもくれるだろう。さらにはイブン・ハルドゥーンのようなイスラームが生み出した透徹した知性が、どれほどひろやかな文化的地層によって育まれたのかも、『イスラーム・シンボル事典』を読み終えたとき初めて感得できるにちがいない。
読者のみなさんが、イスラーム世界が抱く象徴の広大にして豊かな領域を自由に飛行し、悠然と眼下にボードレールが歌った「象徴の森」の繁みを俯瞰する喜びを存分に味わって下さることを望んでやみません。
エドワード・サイードは生前、イスラームに対する西洋とアメリカの理解の差異とその意図的な独断・偏見の根源がどこにあるか、つねに文化の問題としてその解明に力を注いできた。そしてまたイスラーム社会の言語や美の構造、嗜好の社会学や儀式などがほとんど研究されていないことを、イスラームと非イスラームのどちらにも等しく問いかけてきた。強い生きた体験から滲み出る文化の様相を捉えることなしに彼我の橋を渡ることはできないと。象徴がイスラームを伝達可能なものにできるかどうか、読者の多様で賢明な智慧との出会いを待ちたい。
2014年9月 前田耕作