目次
はじめに
第1章 〈親子になる〉こと
親子は〈なる〉もの?
ほかのだれでもなく、あなたがよかった
「まるごとあなたを好き」と伝える
お母さん、「いまのぼくではダメなの?」
自分を無条件で差し出せますか?
わたしのために、わたしが望んで、この子を育てたい
受けとめられない養親の胸のうち
子どもが思いどおりにならない!
第2章 母を求めて、母を得る――子どもの試し行動
どこまで本気でぼくを受けとめてくれるの?
この子のわがまま、どこまでやれば気がすむの?
だれでも最初は見せかけの「いい子」
なぜ見せかけの「いい子」を見せるの?
第3章 生まれ直し、育ち直し
はじめての受けとめられ体験
ぼくだけのおっぱいがほしい!
「試すこと」よりもっと切実なこと
どうしても、何としても受けとめてほしい!
いつまで試せば気がすむの?
第4章 子どもが伝えるイノセンス
受けとめ手がいなければ子どもは育たない
なぜ子どもは受けとめ手を求めるの?
「抱っこ」をせがむ
イノセンス――子どもはなにも選んでいない
イノセンス――そのままでは自分ひとりでになえない
イノセンス――どうしたら自分でになえるの?
イノセンス――だれがぼくを受けとめてくれるの?
イノセンス――どうしても「抱っこ」してほしいの
イノセンス――どうしてもそばにいてほしいの
第5章 「ママ」と呼ばれて「ママ」になる
ママ、わたしの名前を呼んで
「ママ」と呼びたい
自分の中に「ママ」がいる
「ママ」と呼んだら、「はい」と応えてほしい
何度でも、いつでも「はい」と応えて
ほんとうの「ママ」じゃないけれど
わたしだけのママでいて
「大きくなっても、ずーっと抱っこするよ」
第6章 わたしだけを受けとめて
「光の子どもの家」のこと
子どもへのまなざしがないところで子どもは育たない
血のつながりがなければほんとうの家族になれない?
「血は水よりも濃い」
身のおきどころがない
来てほしいのは、ほんとうはお母さん
どうしても埋まらないむなしい思い
むなしさに気づくことは幸せですか?
第7章 星の王子さま
いちばん大切なものは目に見えない
「とても幸せな人」ってどんな人?
「ひまつぶし」って何すること?
友だちをもつための方法
見えないものを見る心
どうしても、心ゆくまで楽しめない心
「どうせいらないし」という言葉とともに
ほんとうにほしいものは、けっして手に入らない
第8章 〈親子になる〉ことがむずかしいわけ
待てないのは親のほう
子どもの乱暴な行動は生まれついたもの?
養子だからうまくいかないの?
子どもを「よくしたい」という親の態度
その子はその子のいのちを生きるしかない
まずは、まるごと、十分に受けとめた?
お母さん、どうしておっぱいを引っ込めちゃうの?
第9章 やすらぎから遠い子どもたち
子どもがいるから母になる
子どもと仲がよくないお母さん
お母さんがいるのに、いない
おっぱいがほしいとき、いつでもそこにいてほしい
赤ちゃんは生まれたときから「ひとりの人」
子どももまた母を受けとめる
やすらぎは、受けとめることでしか得られない
自分だけのものになってくれる人がほしい
ようやく出会えた、わたしだけの受けとめ手
補章 原初(はじまり)の母性をめぐって
二つの養育のありかた
間の外に橋を架ける
自己を差し出しつつ、居続ける
母性は本能ではない
原初の母性ってなあに?
「没頭」には条件がいる
「よるべなき」子どもたち
新版 おわりに
前書きなど
新版 おわりに
この本は、二〇〇八年に『もういちど親子になりたい』というタイトルのもとに、主婦の友社から刊行されたものの新版です。
書き下ろすにあたってひそかに意図したことは、現代の親子関係に焦点をあてた養育原論、子育て原論でした。具体的には、養育(=子育て)の現場で、あるいは〈親子になる〉ための実際の過程において、待ったなしに生じてくるもろもろの出来事の意味を、子どもの側に視点を据え、可能なかぎりやさしく筋道を立てることができたらという願いです。
このような願いが実現できたかどうかの判断は読んでくださったみなさまにゆだねるとして、旧版は刊行して丸四年、在庫切れ状態に。しかし少しずつながらも需めは尽きず、このまま放置しておくのも無念と思っていたところ、ありがたいことに明石書店が新版の再刊を引き受けてくれることになったのです。
新版を出すにあたっては、必要な部分を加筆し、誤りと思えるところを訂正したのは当然ですが、さらに旧版においては触れられなかった「母性」をテーマにした一章を書き下ろし、増補しました。それが「原初の母性をめぐって」です。この母性についての一章を加えたことで、親子関係づくり――〈親子になる〉――にかんする根底部分に大きくふみこむことができ、わたしなりに意図した養育原論(子育て原論)にさらに近づけることができたものと自負しています。
そして装いを新たにすべく、タイトルを『子どものための親子論』に変えたことをおことわりしなくてはなりません。
(…後略…)