目次
はじめに
Ⅰ 自然環境
第1章 火山とプレートの移動、そして水――諸島の形成
第2章 風と雨――島嶼の自然環境をつくるもの
第3章 植物の楽園か――多様な植物相
第4章 鳥類の宝庫――豊富な在来種
Ⅱ ファースト・ピープル
第5章 ポリネシア人の到来――ハワイ人の起源を探る
第6章 神々の交錯と世界の意味――ハワイ神話の世界
第7章 王族・首長・平民・奴隷――基層的社会構造
第8章 アフプアアの暮らし――コミュニティのかたち
第9章 王国の興亡――島ごとの勢力分布と恒常的戦い
Ⅲ 西欧世界との接触
第10章 クック船長の来訪――近代への入り口
第11章 カメハメハ一世による統一――王朝の形成
第12章 教育とモラル――宣教師の渡来
第13章 白檀・捕鯨・プランテーション――19世紀の経済開発
第14章 王国の転覆――ハワイ共和国の形成
【コラム1】カメハメハ一世
Ⅳ 移民の歴史
第15章 辺境の開発――プランテーション経済と移民
第16章 支配者、経営者として――白人系移民
第17章 最初の年季契約労働者――中国系移民
第18章 政府事業としての移住――日系移民の歴史
第19章 朝鮮人、韓国人、そしてアメリカン・コリアン――朝鮮人からコリアン・アメリカンへ
第20章 その他の移民コミュニティ――ポルトガル系、フィリピン系など
第21章 戦後の流入――白人、太平洋系、インドシナ難民
【コラム2】バラク・オバマ
Ⅴ 合衆国併合からハワイ州誕生へ
第22章 かなぐり捨てたモンロー主義――合衆国併合と政治制度
第23章 プランテーション労働者の権利――日系人と労働争議
第24章 アメリカ人になる夢――マイルズ・フクナガの「因果塚」
第25章 敵国人として生きる――第二次大戦と日系人の受難
第26章 ハワイ州誕生――属領、準州、そして州へ
Ⅵ 観光開発
第27章 ビーチとホテル――ワイキキの観光開発
第28章 楽園イメージの仕掛け――ハワイアン音楽とフラ
第29章 大量観光旅行の始まり――第二次大戦と兵士の休養
第30章 楽園を求めて――ハワイ・マスツーリズムの誕生と拡大
【コラム3】結婚ビジネス
Ⅶ 先住民運動
第31章 アイデンティティの回復を目指して――ハワイアン・ルネサンス
【コラム4】メリーモナーク
第32章 文化遺産を証明する旅――ホクレア号プロジェクト
【コラム5】ホクレア号日本航海
第33章 カホオラヴェ島からアカカ法案まで――ハワイ人の主権運動
第34章 タロイモ水田の意義――環境保護と先住民運動
第35章 ハワイ語の将来――危機言語と先住民運動
第36章 カラーブラインドと先住民――ハワイ先住民局(OHA)問題
Ⅷ ハワイ社会の現在
第37章 民主党の島じま――政治
第38章 観光立州――産業と経済
第39章 公教育とエリート教育――小中高での教育
【コラム6】バーニス・パウアヒ王女
第40章 大学教育とエスニシティ――ハワイ大学の現実
第41章 ハワイ農業の移り変わり――砂糖から種子産業へ
【コラム7】ファーマーズ・マーケット
第42章 ハワイ語とピジン――ハワイ社会の言語使用
第43章 虹のメタファー――マルチエスニック社会
【コラム8】武蔵丸
第44章 新聞からケーブルテレビまで――マスメディア
第45章 貧困と疎外――社会問題
Ⅸ ハワイ文化の現在
第46章 アロハシャツ・ムームー・レイ――ハワイの装い
第47章 スチール・ギター奏法――ハワイアンとブルーズの接合から見える新しい歴史
第48章 スラック・キーからジャワイアンまで――ハワイ的音楽の営み
【コラム9】ジェイク・シマブクロ
第49章 クムフラとハーラウ――生活に溶け込むフラ
第50章 ハワイらしさを求めて――アートの世界
第51章 ポイからロコモコまで――食生活
第52章 ポリネシア発祥のスポーツ――サーフィン
【コラム10】デューク・カハナモク
第53章 イメージの楽園――日米映画の中のハワイ
Ⅹ 日本とハワイ
第54章 「トリスを飲んでハワイへ行こう」――ハワイブームの火付け役
第55章 日本人とハワイアン音楽――戦前からの伝統
第56章 J‐フラ――日本でのフラの拡大と土着化
第57章 オキナワン――沖縄とハワイの特別なつながり
第58章 観光開発と投資――日本とハワイの太いきずな
第59章 ボン・ダンスにエイサー――ローカル化した日系・沖縄系の文化
第60章 戦争の傷あと――パールハーバーと広島
XI 資料
引用文献
参考文献
ハワイ歴代君主、ハワイ準州歴代知事、ハワイ州歴代知事
ハワイ在住人工のエスニック構成
ハワイ略地図
前書きなど
はじめに
ハワイ、というと日本人には一定のイメージが湧くようで、知らない、という人には会ったことがないが、その実ほとんどの人のハワイのイメージはステレオタイプに終始し、それ以上のものではない。日本語が通じますよね、とか毎日碧い海を眺めるんですね、といったコメントがほとんどだが、それはあなたがいらしたワイキキの話でしょう、とよく申し上げる。
考えてみるとハワイは、官約移民によって始めて公式に日本から移民が送られて以降、長らく日本人にとっての主たる海外移住先であり、第二次大戦前に日系人が最大人口を占めるという土地柄だったが、それにもかかわらず、不幸にも日米間の険悪が最初に現れた真珠湾攻撃の標的となった。一方戦後30年経つと、今度は日本人が最初に訪れる海外観光先として、もっぱらその名を馳せるようになった。日本人にとってはかなり因縁の深い土地柄だが、しかしその割に観光地のイメージが一人歩きして、その重層的な姿は明らかではない。
一方で、ハワイは地域研究の対象として、大変豊かな条件をもっている。北太平洋にある比較的大きな諸島として、その自然環境において豊かな特性をもつと同時に、ソシエテ諸島から1000年紀半ばにやってきたオーストロネジア語族が長らくここに住み着き、いくつもの首長国の誕生を見た。18世紀の後半から、西欧との接触を通じて、ハワイは歴史時代を迎えることになるが、王国の誕生から多くの移民を迎えてマルチエスニック社会に生まれ変わるまでの過程は、植民地主義時代の歴史の典型でもある。先住民を含む絶対多数なきマルチエスニック社会は、摩擦や葛藤をはらみつつも、さまざまな文化の表出や融合を見た。一方戦後プランテーション農業が立ち行かなくなった後の観光開発は、見事な変身ではあるが、一方で新たな植民地主義的なにおいと無縁ではない。
ハワイはアメリカ合衆国の一州ではあるが、しばしば本土の人々にはアメリカではないと勘違いされる。編者の山田は、本土から郵便物を送る際に受付の人に「国際郵便になります」と言われた経験をもつ。ハワイの人々はそんな話を聞いて本気で怒るが、レイやアロハシャツ、ムームーといった正装はハワイ独自のものだし、流れる音楽も街路樹も本土とは異なる。ハワイはユニークな土地柄なのだ。しかし一方で、ハワイは基本的には英語でコミュニケーションがなされ、他の州と同様な州政府や大学や経済の仕組みをもち、自由と自律を重んじる。その意味でハワイはまさにアメリカである。現在のハワイ社会は、多様性を大切にし、多様であることこそが自分たちの活力であると考えているという意味で、きわめてアメリカ的な社会であるといえよう。
ハワイをまるごと紹介するのは、実は大変難しい。これまでハワイを紹介する邦文の単行本は数多く出版されてきたが、このように包括的に地域を記述するものはほとんどが観光でこの地を訪れる人々のためのものだった。特定のテーマで書かれた作品やエッセイを超えて、しかも旅行案内の限界を超えてハワイのことを包括的に知りたいという人々のために、この書が編集されることとなった。
この本の書き手は、みなハワイで調査を行った経験があり、現場でハワイを見てきた者ばかりである。日本語の書き手が見つからなかった項目も、翻訳で対処した。歴史的な記述から現在のハワイの姿までをバランス良く配置して、一般の読者向けに、平易な言葉を使って書くことを旨とした。ハワイにすでに関心を持っている人だけではなく、これから関心を持つかもしれない人たちや、ハワイ研究やハワイ留学を志している若者たち、そして職務でハワイに関係することになった人たちが、ハワイとはこういうところなのか、こういうところがあるとは知らなかった、とますます興味をそそられるような本にしたいと考えて編集を行った。ハワイの全魅力を余すところなく記述することはとてもできないが、ハワイを学ぼうとしている人々にとっての格好の入門書となれば、と考えている。そのために本の終わりに、厳選した参考文献や若干の資料を付けてある。
さて、ポリネシア社会の文化人類学的研究を行っている山本は、必ずしもハワイの社会と文化に集中して研究をしてきたわけではないが、ご縁があってこの本を編集することとなった。幸い勤め先からサバティカルをもらい、2011年度の半分をハワイで過ごすチャンスを得たので、知識の不足は多いに補充することができた。山本が4月に来布したとき、山田亨はハワイ大学人類学部(大学院)を修了するところで、修了と同時に一緒に編集に携わることとなった。
最後に、明石書店で本書の編集を誘ってくださり、一緒に企画を行った大槻武志氏、最後まで編集におつきあいくださった明石書店編集部の兼子千亜紀氏、閏月社の德宮峻氏、またお名前は挙げないが写真を提供してくださった方々、撮影を快諾してくださった方々や団体に感謝したい。
2013年1月吉日 山本真鳥・山田亨