目次
はじめに
第2版刊行にあたって
Ⅰ 自然環境とその利用
第1章 自然環境――豊かな自然、多様な地域
【コラム1】「赤道」はどこに
第2章 環境利用と生活――赤道山地の生態とその利用
Ⅱ 社会の形成と発展
第3章 先史時代――商業活動を通して各地を経めぐった先住民
第4章 植民地時代――スペイン植民地の諸相
第5章 独立・国家形成と地域の再編――エクアドルの誕生
第6章 19世紀のエクアドル――カウディーリョ支配からガルシア・モレノ時代へ
第7章 自由主義革命――エロイ・アルファロと自由主義支配の時代
【コラム2】交通機関とマスメディア
第8章 政治の流れ――ポピュリズム・軍政・民主化/59
第9章 政治アクターとしての軍――拡大された役割と高い威信
第10章 国境の政治学――対ペルー国境紛争とナショナリズム
第11章 民主化の諸問題――参加拡大と政治危機の弁証法
第12章 コレア政権――左派政権による「市民革命」
第13章 経済ブームから経済危機へ――保護的輸出経済の転換と経済自由化の明暗
第14章 社会問題の諸相――格差構造と貧困
Ⅲ 文化とアイデンティティの探求
第15章 先史時代の諸遺跡――モニュメントの不在
第16章 博物館――待たれる展示活動の活性化
第17章 文化遺産の政治学――政治と経済に翻弄されるインカの遺跡
【コラム3】メディアのなかの「エクアドル」
第18章 ナショナルアイデンティティ――エクアドル人とは誰か
第19章 先住民のアイデンティティ――先住民とは誰か
第20章 先住民運動――議場に響く先住民の声
第21章 アフロ系エクアドル人――黒人の歴史と社会
第22章 女性の歩み――抑圧からのエンパワーメント
Ⅳ 豊かな生活文化
第23章 教育制度――格差の是正を目指して
第24章 子どもと学校――教育支援を受けるシエラ北部の子どもたち
第25章 先住民の二言語教育――多文化共存・共生に向けた新たな挑戦
第26章 エクアドル文学――社会性あふれる作品の宝庫
第27章 表現の可能性への多彩な挑戦――エクアドルの現代小説
第28章 フォークロアの空間――現代社会に息づく民話・伝説・神話
第29章 エクアドル美術の5000年――赤道直下の国に花咲く個性
第30章 20世紀の現代美術作家たち――モダニズムの系譜
第31章 音楽――豊かな楽曲と音楽家たち
第32章 宗教――圧倒的なカトリック、進出するプロテスタント
【コラム4】エル・シスネの聖母と巡礼
第33章 食文化――エクアドル料理を楽しむ
第34章 スポーツ――エクアドルサッカーチーム、ワールドカップへの道
Ⅴ 都市の風景
第35章 キト――歴史を刻む高地都市
第36章 世界遺産となったキト旧市街の建築――地震に耐えたカトリックの世界
第37章 グアヤキル――最大の港湾都市
第38章 クエンカ――南部の文化都市
Ⅵ 地域と民族の活力
第39章 歴史のなかのアマゾン――破壊と変容、そして生成のプロセス
第40章 アマゾンの民族文化――彩り豊かな文化とアイデンティティ
第41章 アマゾンのエコツーリズム――先住民からの誘い
第42章 開発のなかのアマゾン――石油開発と先住民社会の変容
第43章 ガラパゴスの生物研究――進化論の舞台を探訪する(1)
第44章 ガラパゴスのエコツーリズム――進化論の舞台を探訪する(2)
【コラム5】ガラパゴスの人間社会
第45章 オタバロ――国際化する先住民の経済活動と社会変容
第46章 コタカチ――環境保全郡の挑戦
第47章 サリナス――自立発展のモデル地域
第48章 黒人が暮らす村の1日――エクアドル・コロンビアにまたがる黒人世界
第49章 バイーア・デ・カラケス――エコシティ宣言による街の再生
第50章 マンタ――水産業と国際空港の発展
Ⅶ 開発の歩みと展望
第51章 フェアトレード――美味しいコーヒーと持続可能な地域づくりをつなげる
第52章 マハグアール――巨大マングローブの森
第53章 タグア――グリーンコンシューマーの試み
【コラム6】パナマ帽
第54章 バナナ――世界最大の輸出国エクアドル
第55章 農村開発――多民族が共存するための開発を目指して
第56章 農業部門の再編――多様化が進むコスタと停滞するシエラ
Ⅷ 対外関係
第57章 対外関係と人の移動――多角化するエクアドルの国際関係
第58章 対日関係の歩み――赤道下に根づく日本人の社会
【コラム7】野口英世の足跡
第59章 古川拓殖とマニラ麻栽培――日本人移住者の足跡
【コラム8】ビルカバンバと大谷孝吉病院
第60章 移民――中国系・レバノン系・ユダヤ人の知られざる歴史
エクアドルを知るためのブックガイド
前書きなど
はじめに
「コントラストの国(Country of Contrasts)」―あるイギリス人はエクアドルに関する自著をこのように命名しました。1954年のことです。たしかにこの国は、比較的小さな国土のなかに地勢面だけでなく、人種民族や社会文化面でも多様性と対称性を抱え込み、一つのイメージで代表するのがむずかしいほどです。そのとらえどころのなさを背景に、1987年には自著に『アンデスの謎(An Andean Enigma)』というタイトルをつけたアメリカ人もいます。また2005年に出版された日本で最初の体系的な書籍では、エクアドルを想起させるキーワードを並べて「ガラパゴス・ノグチ・パナマ帽の国」という副題がつけられています。このようにエクアドルは、欧米でも日本でも強烈なイメージを結ばない国として紹介されてきたといえましょう。では、コントラストが強調されるというそんな多様性を積極的に評価できないでしょうか。
アンデス諸国のなかでエクアドルはあまりなじみがない国かもしれません。ガラパゴスを除けば私たちに届く情報はずっと減りますし、そのガラパゴスにしてもエクアドル領である事実がしっかり認識されているとは限りません。しかし本書で紹介されるように、エクアドルはさまざまな現実と魅力に満ちています。自然や民族の多様性はいうまでもありません。アンデスとかアマゾンの一事象をとっても、そこには現代世界の今が反映しています。この国を万華鏡とか宝石箱にたとえる人がいますが、歴史文化から政治経済までの多面にわたり、世界のほかの諸国や地域と共通するか異なるさまざまな要素や事項を見出すことができます。まとまった像を結びがたい、強烈なイメージが伝わらないという点も、見方を変えて個性の一つだと理解した方がよさそうです。
まず相手を知るために、本書では社会問題やマイナス面にも目を向けて章立てや事項を選定しました。また国家の枠組みを必ずしも前提にしない記述や情報も取り入れました。一見すると、ナショナルな歴史の叙述が少ない印象を受けるかもしれません。しかし歴史は国家の独占物ではなく、地域や人やモノから歴史や現在を描く方法も有効でしょう。越境がふつうのグローバル時代には、国境をまたぐ事象を積極的に取り上げたり、事象の内実や意味を問いかけたりすべきではないでしょうか。そうした試みがかえって人びとの実感に直結し、読者に訴えかける点が多々あるだろうと考えました。といっても、ガラパゴス関係以外では既存の日本語文献、とくに単行本がわずかなので、執筆陣の独自性を発揮していただきながら、多面的かつ立体的な構成の本になるように心がけました。多数の写真や図表を掲載できたことも幸いです(撮影者名を明記しない写真は各章の執筆者自身の作品です)。こうした意図や、全体がかもし出すメッセージが読者に伝わるのならば、本書の役割は十分に果たされたことになるでしょう。
(…後略…)