目次
はじめに
1.ミャンマーの風土と農業
山と平原とデルタ
国境は少数民族が支配
雨季・涼季・暑季
地形と気候に適合した三種類の農業形態
ミャンマー式農政
経済および国土に占める農業の位置
米つくりの世紀
村落法
2.ミャンマーの村と村人たち
ミャンマー農村の景観
ミャンマーに農家はない
農民の一年
籾米供出制と市場経済化
ナーレーフム
「バカ」の話
農村土地なし層
多就業構造
De-agrarianization
3.私的村落経験から見た日本とミャンマー
村に入ること
牛乳にまつわる話
組合と入会地裁判
結とレッサー・アライッ
デモンストレーション効果とヴェブレン効果
村で老いるということ
4.日本の村、ミャンマーの村
共同体とコミュニティ
自然村と家連合
検地と査定調査
年貢と供出制度
用水組合と村仕事
ミャンマー式資源管理
チンの焼畑と共有地
仏教とナッ
人間関係の作り方と村内の集団
ミャンマー的村落共同体
共同体の失敗
あとがき
参考文献
前書きなど
はじめに
ミャンマー(ビルマ・緬甸)研究を始めて三〇年、訪問したミャンマー国内の農村は優に二〇〇を超える。私は一介のミャンマー研究者として、と同時に、日本の農村で生まれ育った、専業農家の長男として、いわば二つの顔を持ちながら、通訳なしに直接ミャンマー語で無数の村人と語り合ってきた。本書は日本の農民の子供であるミャンマー研究者が見たミャンマー農村社会に関する叙述である。
(…中略…)
本書の目的はまずミャンマーの村を日本の読者に紹介することである。本書で語られるのは、私が農村で調査を始めた時から続いてきた社会主義政権、軍事政権といった抑圧的な政権のもとに置かれたミャンマーの村と村人たちのお話である。ただし、その前のイギリス植民地期と独立後の民政期および二〇一一年の民主化以降の状況についても、必要に応じて言及する。一九六二年の社会主義政権以来ミャンマーは、資本、援助、人(労働力)の出入りを厳しく制限する「鎖国的」政策を採る一方、自国内で採れる一次産品を輸出して、それで獲得した外貨で原材料、中間財、技術等を買って工業化する、という発展戦略を採った。なかでも米は最重要輸出品であったので、それを生産する農村は国家の財政と国民の食糧を支える基盤として厳しい管理下にあった。(……)本書では、なるべく分析や加工を加えずに、私自身の体験にひきつけて、ミャンマーの村で見聞きした事柄を記述してみたいと考える。ただし、私の経験は何もミャンマーの村に限ったことではなく、いろいろ場所で、いろいろな時に、いろいろな人や物について、いろいろな経験をしてきた。そのなかで、本書では、日本の農村で専業農家の長男として育った私、という経歴を色眼鏡のなかに加えて、ミャンマー農村の素顔に迫ってみたい。
そこで必然的に第二の視点が生まれる。日本の村とミャンマーの村、日本の村人とミャンマーの村人との比較である。今では鬼籍に入った人が多いが、私がミャンマーの村で調査を始めてから、当地を何度も訪ねる旧日本軍の兵隊さんたちに数多くお会いした。また、その家族の方々の団体にも何度か遭遇したことがある。彼らが折りに触れて口にするのは、敗走する兵士たちを匿い、自分たちが食べるのにさえ不十分な食糧を分けてくれたミャンマーの村人たちへの感謝の念である。(……)
本書の第三の目論見は、日緬の農村比較を通じてミャンマー農村の特質を抽出し、ミャンマー村落社会論の構築を試みることである。そして、さらにはミャンマーの心に迫ってみたい。村落社会といえば共同体とかコミュニティといった用語が想起される。本書でもこの二つの概念から入って、日本とミャンマーにおける私的経験と村落の歴史を比較対照しつつ、ミャンマー村落社会の共同体あるいはコミュニティとしての特性を描き出してみたい。村落社会の外枠を形成してきた政治権力との関係を歴史的に考察するとともに、村落社会の内部まで深く入り込んでミャンマーの村人たちの対人関係の作り方から集団論まで、多方向からミャンマー農村社会の本質に迫るのである。そこから見えてくるミャンマーの村人像は意外にも自立的で自由な人々である。厳しい農産物供出制や農地国有制、さまざまな人権問題等、社会主義政権そして軍事政権下のミャンマーを外から見ると、あるいはミャンマーに住んでいる人でさえ、ミャンマーの村人たちはまるで軍事政権の奴隷のような印象を受けるかもしれない。しかし村に入ってみると、今は社会主義だから軍政だから仕方がないという諦めはあるものの、人々は自由に語り合い、行き来し、外国人の私でさえ気楽に受け入れてくれる。戦前日本の「農村ファシズム」のような雰囲気は微塵も感じられない。本書では、抑圧的な体制下にありながら村人たちはなぜ「自由」であるのか、という問いに、日本の農村との比較のなかから答えていきたいと考える。
ミャンマーは民主化も経済発展も遅れた後発途上国であり、農村には電気やガスがないどころではなく、道路や水呑場さえ満足にない。私がミャンマーの役人を対象に講演する時も、ミャンマーの農民と話し合う時も、ミャンマーは遅れているから村の発展のためにお金も技術もほしい、という反応ばかりが返ってくる。ミャンマーの村は結構住み易いいいところですよ、と言っても誰も信じてくれない。そんな経験を踏まえつつ、本書ではミャンマーの村の「いいところ」を描き出したいと考えている。
(…後略…)