目次
図表一覧
凡例
謝辞
日本語版の出版によせて
プロローグ
第一章 ふるさと広島
第二章 初期の移民たち
第三章 出稼ぎとその後
第四章 女性の到来
第五章 農業者たち
第六章 分裂する都市コミュニティ
第七章 二世世代
結章
エピローグ
資料に関する覚書
註
参考文献
訳者あとがき
前書きなど
日本語版の出版によせて
子供のころ、私は二つの世界に住んでいた。一つは、日本語を話し、日本食を食べ、「ねまき」で床に入った、家庭での世界だった。しかし、家から一歩外に出ると、近所の子供と話す言葉、そして外の世界とやりとりする言葉は英語だった。
日本人移民たちは、「カナダ人」になる努力をほとんどしなかった。目標は、故郷に帰って、土地を買い、商売を始め、借金を返すために十分なお金を稼ぐことだったのだ。十九世紀の終わりごろ、広島市周辺の多数の人々がハワイのサトウキビ畑で働いて成功した、といううわさが広まった。私の祖父もそのような夢を抱き、六人の子供と尾道の近くにあった小さな棚田を長男に任せ、1906年か1907年に「あめりか」へと発った。当初の契約はハワイで働くというものだったが、そのうち、より遠く、北米へ渡るよう要請された。私の父が、進学するための資金援助を祖父に願い出ると、祖父は、手に職をつけ、カナダにきて一緒に働くよう、父にいった。こうして父子は、ブリティッシュ・コロンビアで、同じ広島県出身の労働請負人を通じて、仕事にありつけるところにはどこにでも出かけた。労働者はボスに依存し、またボスを信頼していた。ボスは儲かったが、労働者たちはそうではなかった。それでも、他の県の人よりは、同郷者のほうが信頼できると人々は考えていたのだった。
故郷に帰ることを夢見ていたため、移民の子供たちは日本の社会に溶け込めるように育てられた。したがって、昼間のカナダの学校の後、子供たちは日本語学校に通った。日本語学校の教科書は、日本で使われていたものと同じだった。子供たちは、読み書きや日本の創生神話を習った。日本の民話にも慣れ親しんだ。こうして、カナダ生まれの子供たちは、二つの世界に住むことになったのだ。それは、他のカナダ人たちとの日々の付き合いという現実の世界と、花が咲き、豊かな水田が広がる、美しい国に住む超人的ヒーローが活躍する神話の世界だった。
一世たちは、おもに、同じ県の出身者と付き合っていた。県人会は、人々の娯楽のため、ピクニックやコンサートを催した。県人会はまた、困った人々を互いに助け、葬式なども執り行っていた。日本人移民は、苦労して英語を話さなくても日本食やその他の物資を買うことができる、会社町や炭鉱町、あるいはバンクーバーのパウエル街近辺で暮らしていたので、外の社会とつながる必要がなかったのだ。しかし、二世は、多かれ少なかれ、日本人コミュニティ以外の人々とも付き合い、多くが西洋化していった。パイオニア世代の人々は、大金を持って故郷に錦を飾るという夢をかなえることなく、カナダ生まれの子供たちが日本になじむことはないことを認識するにつれて、当初の目標を考え直さざるを得なくなった。
1942年、カナダ政府が西海岸から日系の人々を追放し、すべての資産と事業を彼らから取り上げたことで、一世パイオニアの世界は消滅した。戦前にあったコミュニティが復活することは二度となかった。時が経ち、かつての日本人移民に関する記憶は、消滅しつつある。本書のもととなった研究を行ったのは、このような現状のためだった。しかし、出身県によって、移民たちの目指したものやライフスタイルは大きく異なった。そこで、私は、広島県出身者に的を絞ることにした。同郷者は親戚のように受け止められていたので、私が広島県出身者の子であることは、そうでなければ開かれなかったであろう、多くの扉を開けることにもつながった。
日系カナダ人の戦時中の体験は、多くの場合、かつて二世が抱いていた祖先に対する誇りを打ち砕いた。私も、自分が日系であることを長らく恥じていた。夫と私は、子供に自分の戦時中の体験を伝えなかった。しかし、年月が経つにつれて、抱いていた痛みや恥は、徐々に薄らいでいった。1983年、私は生まれて初めて、祖先の地を訪ねた。東京から日光、松江の温泉、箱根、そして、京都、尾道、広島市、その他の場所を訪ね歩くうち、日本への憧れ、その歴史や神話への陶酔がよみがえった。幼少のころ、私は日系であることを誇りに思っていた。日本を旅して、再びその誇りを取り戻したのだった。そして、初めて親戚と顔を合わせた時、私は、なぜ両親が、故郷にいつか戻ることをいつも夢見ていたのかを、ようやく理解したのだ。
この旅の後、すでに五十歳を過ぎていたが、私は日本史を学びはじめ、日本語を再び勉強するようになった。その後日本へは、歴史研究者と話をし、初期の移民パイオニアたちの子孫の方々にインタビューを行うために、二回戻った。
博士論文をもとにしたこの著書は、2008年にブリティッシュ・コロンビア大学出版会より出版された。研究を助けてくれた人々へのお礼として、その本を持って日本に戻った時、私は、和泉真澄博士にこの本の日本語訳を依頼した。カナダへ渡った人々がどのような苦労をし、どのような社会を築いたのかを、日本を離れなかった人々にも知ってもらいたかったからだ。
和泉氏とは、彼女が大学院生でビクトリア大学に留学していた時に知り合った。出会ってすぐ、彼女の研究のレベルと真摯な姿勢に感銘を受けた。そこで、日本語版を出すなら、ぜひとも彼女に翻訳をお願いしたいと思った。和泉氏は、カナダで暮らしたことがあり、日系カナダ人社会のさまざまな活動に参加し、それについて素晴らしい研究を積み上げてこられた。彼女の手によって日本語版が世に出せたことに、ただただ感謝あるのみである。
また、この本の出版を引き受けてくださった明石書店にも感謝の意を表したい。日本のいろいろな地方から、夢を抱き、そしてカナダで直面した苦難の人生に耐える強靭さを備えていた人々の物語に、日本の人々が関心を抱くと信じてくださったことに、心からお礼を申し上げたい。カナダに渡った人々は、祖国をたいへん誇りに思っていた。そして、子供たちにその誇りをしっかりと伝えたことを、日本の読者にもわかっていただければ幸いである。