目次
はじめに
I イスラエルという国
第1章 一瞬も退屈のない国――波乱と緊張と多様性の中で
第2章 自然と気候――「肥沃な三日月地帯」の南端
【コラム1】 世界のユダヤ人とイスラエル
II 歴史
第3章 シオニズム――ユダヤ人ナショナリズムの三つの流れ
【コラム2】「近代シオニズムの父」ヘルツル
第4章 宗教共同体から民族共同体へ――ヨーロッパ近代がもたらした新たな潮流
第5章 パレスチナへの移民の波――ユダヤ人社会の誕生とアラブ系住民との軋轢
第6章 ホロコーストとシオニズム――悲劇をどう解釈するか
【コラム3】アイヒマン裁判──陳腐ではなかった悪
第7章 イスラエル独立と第一次中東戦争――民族の悲願達成、戦いの歴史の始まり
【コラム4】ダヴィッド・ベングリオン──イスラエル建国を実現
第8章 第三次中東戦争と「領土と平和の交換」原則――いまだ達せられない和平の枠組み
第9章 第四次中東戦争から現代まで――40年の変化は大きかったが
III イスラエル歳時記
第10章 夏に迎える新年――ユダヤの歴史に基づく年中行事
第11章 誕生から死まで――世俗的イスラエル人と通過儀礼
【コラム5】メア・シャリーム
第12章 聖と俗の緊張関係――ユダヤ教とイスラエル社会
【コラム6】労働禁止の安息日「シャバット」
第13章 産めよ育てよ――イスラエルの出産・子育て事情
第14章 教育重視社会――18歳で大きな転機
第15章 体外受精も保険でカバー――柔軟な医療・社会福祉制度
第16章 イスラエルのユダヤ料理――ユダヤ教の戒律と多様性
IV 多様な言語と社会
第17章 日常語になった現代ヘブライ語――手に入れた自分たちの言語
【コラム7】イディッシュ語やラディノ語の「復活」
第18章 アシュケナジームとスファラディーム――移民とイスラエル社会
第19章 世界中のユダヤ人を受け入れるイスラエル――3分の1が国外出身
第20章 いろいろ話せて当たり前――多言語社会イスラエル
第21章 活発なメディア――SNS利用時間は世界一
第22章 ホロコースト生存者――高齢化と拡大する格差の陰で
第23章 時代とともに変化し続けるキブツ――自然と社会環境の豊かな生活
V 政治と安全保障
第24章 多党化と不安定な政権――百家争鳴の政党政治
第25章 右傾化するイスラエル――背景に人口構成の変化
【コラム8】イツハク・ラビン──イスラエル建国からの“象徴”
第26章 「憲法」のない国――将来の憲法を構成する「基本法」を整備
第27章 政治と軍事――安全保障政策は誰が決定しているのか
第28章 国防軍(IDF)とイスラエル社会――「国民軍」から変わるのか
第29章 イスラエルの核戦略――曖昧政策と一方的抑止
第30章 兵器産業と武器輸出――最先端システムを支える柱
第31章 変化するイスラエルの脅威概念――「戦争を強いる」存在への変貌
第32章 情報機関――国家安全保障の根幹
第33章 モサド――失敗の系譜
第34章 軍事作戦と国際法――自衛権の行使か、過剰な軍事力の行使か
VI 経済発展の光と影
第35章 イスラエル経済の変遷――特異な発展モデル
第36章 二つの基幹産業――農業とダイヤモンド
【コラム9】イスラエル産ワイン――ストレートで味わい深く
第37章 ITからナノテクまで――ハイテク国家の旺盛な起業精神
第38章 共存の夢は遠く――進むパレスチナとの経済分離
第39章 経済を取り巻く課題――国際協調と社会的不平等の是正に向けて
VII 文化・芸術・若者
第40章 イスラエル文学――ヘブライ語の再生・建国とともに
【コラム10】村上春樹とエルサレム賞――「壁と卵」
第41章 クラシック音楽界――芸術音楽の限界と可能性
第42章 オリエント音楽からジャズまで――移民社会ゆえの多様な音階とリズム
【コラム11】今あつい「ムズィカ・ミズラヒート」
第43章 元気なイスラエル映画――「芸術的なディベート文化」の結晶
第44章 ポスト・シオニズム論争――「新しい歴史家」が提起したもの
第45章 盛んなスポーツ――そこにも政治の影が
第46章 若者文化――サブカルチャーとバックパッカー
【コラム12】二都物語――エルサレムとテルアビブ
VIII 外交
第47章 曲折の対外関係――最近は孤立傾向
第48章 米国のユダヤ人――政治的影響力の背景にも変化の兆し
【コラム13】 キリスト教シオニズム
第49章 米国との「特別な関係」――活発に議論されてきた特別さ
第50章 米国政府の対イスラエル援助――大きな規模を維持
第51章 微妙なドイツとの関係――「殺人者の国」からパートナーへ
第52章 日本とイスラエル――高い関心、でも「遠い国」
IX 中東和平問題とイスラエル
第53章 オスロ和平プロセスとその破綻――行き詰まった和平プロセス
第54章 パレスチナ問題とイスラエル世論――2000年を境に大きく変化
第55章 宗教と政治の複雑な絡みあい――エルサレム問題とイスラエル
第56章 増え続ける入植者人口――パレスチナ人の反対をよそに
第57章 「世界最大の刑務所」ガザ――新たな変化の兆しも
第58章 アラブ系国民――2割を占めるマイノリティ
第59章 占領上の要衝ゴラン高原――シリアとの最前線
第60章 〈終章〉イスラエルはどこに向かうのか――「普通」と「特別」のはざまで
イスラエルを知るための文献・情報ガイド
前書きなど
はじめに
イスラエルのユダヤ人社会の間ではいつも、一体性と多様性という相反する力が作用している。
同じ宗教を信じ、過去の栄光や迫害の歴史など集団的な記憶を共有してきたことは、まったく異なる環境に住む世界各地のユダヤ人に「われわれ」という帰属意識を与えてきた。独立以降、ずっと直面してきた安全保障上の困難さは、ユダヤ系国民の間に強い一体感を生み出してきた。宗教上の理由から兵役が免除されている超正統派(ハレディーム)の若者は別として、ほとんどのユダヤ系国民の若者にとって徴兵に応じることはある種の通過儀礼であり、男女を問わず「国を守る」という意識はかなり強い。祝祭日の多くはユダヤ暦に基づいており、世俗派も宗教派も伝統や習慣を守ろうとしている。学校教育でもユダヤ的な伝統や行事は積極的に取り入れられている。
本書の第II部(歴史)で触れているように、イスラエルはもともとユダヤ人の民族主義運動「シオニズム」によって生まれてきたイデオロギー国家だ。シオニズムに対する批判は世界的には非常に強いが、イスラエルの圧倒的多数のユダヤ系国民は濃淡の違いはあってもシオニズムを是として受け入れている。その意味で彼らのほとんどは「シオニスト」であり、シオニズムとユダヤ教ないしユダヤ的伝統を通じて自分たちの一体性を日々確認している。
その一方で、イスラエルのユダヤ人社会は多様だ。第一に同じユダヤ系国民といっても、本人あるいは両親の出身地はさまざまで、背景となっている文化や言語、伝統、習慣などは千差万別だ。1960年代までイスラエルの移民受け入れ政策は「離散ユダヤ人の融合」だった。つまり多様な背景をもつ移民が融合し合い「新しいユダヤ人」に生まれ変わることが、想定され期待されていた。しかし、さまざまな出自をもつ人々が簡単に融合しないことは、同じ移民社会の米国でも実証されている。イスラエルでも1980年代頃からアジア・アフリカ系ユダヤ人(スファラディームないしミズラヒーム)たちが自分たち独自の文化的背景の見直し作業に取り組むなど、エスニック的な「違い」が強調され、時に尊重されるようになっている。
「ユダヤ教徒」イコール「ユダヤ人」といっても、宗教の位置づけや信仰の度合いは個人によって異なっている。その結果、宗教と社会の関係をどう規定するかは独立以前から重大な問題であり、世俗派と宗教派との間で繰り広げられている「聖」と「俗」の対立は近年、ますます拡大している。
こうした構造的な多様性に加えユダヤ人社会ではことのほか、人とは異なる意見や行動が重視される。幼稚園の子どもさえ「ディベート(討論)ごっこ」で遊んでいるし、イスラエル軍でも上官への批判は日常的に行われている。「横並び」や「前例がない」といったことが物事の基準になっている日本社会とは対極にあるといってよい。それだけに科学や芸術分野ではもちろんのこと、経済活動や日常生活でも個性や独自性が追及されている。イスラエル映画が最近、日本で注目されているのも、個性的な作品が多く生み出されているからだろう。
本書は歴史や政治、安全保障、パレスチナ問題などイスラエルを語るときに通常使われる切り口に加えて、歳時記や人の一生、言語、料理、文学、音楽や映画、メディア、経済などの側面を取り上げ、イスラエルのユダヤ人社会の中で、一体性と多様性という相反する力が作用している状況を浮かび上がらせようと試みた。
イスラエルのクラシック音楽は日本でもかなり知られているが、ミズラヒームの音楽やジャズ・ファンが若者の間でも増えていることはイスラエル国外ではほとんど知られていないだろう。「産めよ育てよ」といった子育て事情や、教育熱心な「ジューイッシュ・マザー」の存在は、イスラエル社会の日常的な光景であり、ユダヤ的伝統に基づいたそれなりの背景をもっている。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の利用時間が世界一というのも、「おしゃべりはイスラエルのナショナル・スポーツ」といわれるほど議論好きな国民性が、新しいメディアの活用にそのまま反映された現代イスラエルの一側面だ。
もちろん、イスラエルはユダヤ人だけのものではない。人口の25パーセントは非ユダヤ人であり、なかでも5人に1人はアラブ系国民(パレスチナ人)だ。パレスチナ問題の一方の当事者である彼らの地位や帰属意識はきわめて複雑である。本書でアラブ系国民の問題を正面から取り上げたのは第58章だけで、決して十分とはいえない。一冊の本としてそれこそ一体性を保持するために、イスラエルのユダヤ人社会に一定程度焦点を絞らざるを得なかったからである。
もちろん、多くの課題やジレンマを抱えているイスラエルのユダヤ人社会のすべてを60章で書き表すことは不可能だ。それでも普段あまり紹介されることのない面を含め、イスラエルのユダヤ人社会のさまざまな顔を知る上で、本書が少しでも役に立てば幸いである。
(…後略…)