目次
巻頭言(水野孝夫)
I 特別掲載
三国志全体序文の発見ほか――古田史学の会・新年賀詞交換会(古田武彦)
九州王朝新発見の現在――久留米大学公開講座 古田講演(古田武彦)
九州王朝終末期の史料批判――(白鳳年号をめぐって)(古田武彦)
II 研究論文
東北水稲稲作の北方ルート伝播説の強化(佐々木広堂)
九州王朝鎮魂の寺――法隆寺天平八年二月二二日法会の真実(古賀達也)
不破道を塞げ 五――古人は白村江の勇将の主君、吉野山・瀬田・山前は妙見を祀る(秀島哲雄)
九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について(正木裕)
「筑紫なる飛鳥宮」を探る(正木裕)
「帯方郡」の所在地――倭人伝の記述する「帯方」の探求(野田利郎)
長屋王のタタリ(水野孝夫)
III 付録――会則/原稿募集要項/他
古田史学の会・会則
「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
第十六集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
編集後記
前書きなど
巻頭言 会員論集・第十五集発刊に当たって(古田史学の会代表:水野孝夫)
「古田史学の会」は一九九四年に発足した会です。十七年目を迎えました。会の目的は会則第二条に記載されています。
「本会は、古田武彦氏の研究活動を支援し、旧来の一元通念を否定した氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。」
定期的な情報として発行する、会員論集「古代に真実を求めて」はここに第十五集を迎え、会員用のニュース紙として発行する、「古田史学会報」(年六回)はこちらも一〇八号を発行しました。古田武彦氏の新しい研究や講演内容もあれば、それに刺激された会員の研究成果などが絶えず掲載されています。これらの情報の一部はインターネットのホームページ「新古代学の扉」にも発表されています。古田武彦氏の言説に関心のある方々のご利用をお待ちします。
古田武彦氏は昭和四十七年の著書『「邪馬台国」はなかった』以来、定説を否定する驚くべき古代史像を世間に提供してこられました。三国志のすべての写本に「邪馬台国」と書いたものはなく、「邪馬壹(または一)国」であり、後代の文献に「邪馬臺国」とあるからといって、「壹は臺の誤り」とする根拠にはならないとする氏の説は、これを当然とする、われわれの会の原点であります。この目で見てゆくと、後代の学者の考えで原典の文字を勝手に変えた例が歴史資料に多いことに驚かされます。
平成二十三年も古田武彦氏の学問にとって画期的なテーマが次々に登場しました。「三国志全体の序文の発見」。これは氏が自ら「畢生の書」といわれた『俾弥呼』(ミネルヴァ書房刊)に述べつくされています。古事記国生み神話に登場する「女島」は宣長が「日女島」にしてしまった。隋書にある「阿蘇山は“故なく”火起こる」の解釈、三国志版本にある「郡支國と都支國」「黄幢と黄憧」の文字の異同問題、「君が代」「竹島」「曽根崎心中」などなど。ミネルヴァ書房から古田氏の旧刊が次々と復刊されておりますが、各巻巻末に新説部分が追録されつつあります。
古田説では三世紀は「邪馬壹国は九州」「その後身は九州王朝」、つまり「中国の王朝から認められた日本列島の代表者は九州に居た」ので、八世紀初頭に周(唐)の則天皇帝から認められた「日本国」の都は現奈良県・大和ですから、この期間内に政権と都の変遷がなければなりません。これは「九州説」のもつ必然です。
古田氏は八十五歳ながらお元気です。ますますの御活躍を願っております。
会員論集は会員のどなたにも、定説にとらわれることなく「真実」を探求した成果を発表する場であります。今後とも活発なご投稿をお願い致します。