目次
凡例
日本語版への序文
序文
第1部 物語の背景
第1章 植民地朝鮮における社会階級と支配機構
植民地統治機構〔朝鮮総督府〕
鉄道網の発達
商業
労働力の動員
抵抗運動
第2章 植民地朝鮮における地主と小作人の関係
日帝時代の農業
朝鮮の農民と市場の出現
民族の移動と朝鮮人の流浪
動員と反乱
結論
第3章 革命と反動――一九四五年八月から九月まで
日帝植民地統治の終焉
建国準備委員会(建準)
朝鮮人民共和国(人共)
人民共和国に対する反対
結論
第4章 坩堝の中の対朝鮮政策――アメリカにおける一国独占主義と国際協調主義の対立 一九四三年‐一九四五年
信託統治案の出現――一九四三年三月
カイロ会談――「やがて」In Due Courseにおける独立
ヤルタとポツダム――宙に浮く信託統治案
戦後最初のコンテインメント(封じ込め)作戦――朝鮮の分断 一九四五年八月
沖縄からソウルヘの「スクランブル」(緊急発進)
出発前の政策と計画
結論
第2部 中央におけるアメリカ占領軍の政策 一九四五年‐一九四七年
第5章 新しい秩序の創出――アメリカ軍の上陸と官僚機構、警察、軍に対する政策
仁川とソウル――新しい敵と味方
植民地官僚機構の復活
司法と警察機構
国防警備隊の出現
第6章 南朝鮮の単独政府に向かって
臨時政府の帰国と「政務委員会」(Governing Commission)
左翼に対する弾圧
土地及び米穀に関する政策
結論
第7章 国際協調主義的政策と一国独占主義的論理――中央における態度の硬化 一九四六年
後見制と独立、裏切り者と愛国者、そして信託統治をめぐる紛糾
窮地に追い込まれたホッジ
米ソ共同委員会から南朝鮮過渡政府に至るまで
結論――「憤懣の声」
第3部 地方における朝鮮人と米軍の激突 一九四五年‐一九四七年
第8章 各道における人民委員会の概観
人口の変化
輸送と通信の状況
土地所有の関係
地理的位置
空白期間の長短
政治的前史と指標
米軍による各道の占領
第9章 各道における人民委員会の運命
全羅南道人民委員会
全羅北道人民委員会
慶尚南道人民委員会
慶尚北道人民委員会
忠清南北道人民委員会
江原道と京畿道の人民委員会
済州島人民委員会
結論
第10章 九月ゼネストと一〇月人民蜂起
九月ゼネスト
一〇月蜂起
鎮圧の方法
ストと蜂起の原因
結論
第11章 北朝鮮の風――社会主義改革の展開
ソ連による占領
下意上達の政治
上命下服の政治
社会革命
統一戦線政策
南に吹きよせる北の風
結論
第12章 結論――踏みにじられた解放
原注
原著で使用されている略称の一覧
資料
参考文献
事項索引
人名索引
前書きなど
日本語版への序文(ブルース・カミングス)
鄭敬謨氏の監修により『朝鮮戦争の起源』が日本語に翻訳されることは、私にとって光栄の至りであり、心底から嬉しく思う。研究の過程で、同氏の著作から多くのことを学んだのはむしろ私の方であり、したがって、とくに朝鮮の問題を俎上にのせた本著のために鄭氏が長い時間をかけ、より広範な読者が手にとって読めるようにして下さったことは、二重の感謝にたえない。日本の読者と私にとって、恐らく鄭敬謨氏にまさる翻訳者を見つけることはむつかしかっただろうと思う。鄭氏は本書に関連する凡ての語学に堪能な人であるだけでなく、自らの祖国の真実を語ることにおいても、人間味あふれる情熱を傾けてこられたからである。
私が研究を始めたときは、これが一冊の本として、せまい学者のサークルを超えた一般読者の関心を呼ぶとは想像もしていなかった。振り返ってみると、私の当初の目的は、朝鮮とアメリカの関係のそもそもの起源について、私自身の疑問に答えたいということであったと思う。二〇年前、初めて韓国を訪れたとき、私の脳裏に焼きつけられた強烈な印象は、米韓関係に対する一般的な考え方には何か根本的な誤りが介在しており、そのイメージがバラ色に彩られている両国関係の偽りは遠からずしてあばかれざるをえないだろうということであった。一九六七年当時、朝鮮にいるアメリカ人の大半は、植民地総督のような暮らし方をしていた。彼らの住む租界もどきの居留地は高いフェンスにとり囲まれており、それは現地住民とアメリカ人との間の越え難い隔絶を鮮明に象徴するものであった。かれらの態度は韓国人に対する傲慢さと恩着せがましさに満ちており、韓国人の自由を守ってやっているのは自分たちアメリカ人であるという考え方に浸っていた。
また、私はこの国の物質的な貧しさと、個々の朝鮮人が担っている高度の文明との間の裂け目に強い衝撃を受けた。これほど優れた資質と才能に恵まれた民族が、これほどの貧困にあえいでいる理由はいったい何であるのか。一方わがアメリカはいかにその富が豊かであるにせよ、文化的に何を朝鮮に提供することができたのか。こうした疑問が私の念頭を去ろうとしなかったので、私は現代史にその答えを見出そうとした。
二〇世紀に入ってからの朝鮮の歴史は、激動と災難の歴史であった。まず、この国は鎖国の夢を破られたが、しかしその結果は帝国主義の犠牲になったということでしかなかった。朝鮮を植民地とした日本人は、朝鮮人が自主的な発展をめざす権利を凡て奪ってしまってから、朝鮮人にはその能力はないと独善的にきめつけた。これらの要因が混じり合って不幸な結果となり、消え去りがたい強烈な憎悪をうみだした。これに匹敵する例といえば英国とアイルランド、ないしはポーランドとドイツの関係くらいではなかろうか。今日ですら、朝鮮人に対する日本人の態度の中には、先の世代が犯した罪が繰り返されている一面がないとは言えないだろう。私は著者として本書がアメリカ人の間に真面目な反省をよび覚ましてくれることを願っているものであるが、日本人の中にもいく分かでも同じような反省が呼び覚まされることを期待したい。
二〇世紀前半の朝鮮については日本にどれほど責任があるとしても、後半の朝鮮の分断と戦争について全面的な責任を負うべき国はアメリカである。ソ連も同様に一つの役割を演じたとはいえ、三八度線を引いたのはアメリカであり、そのあとソ連は、アメリカに求められるまま、これに黙認を与えただけである。さらに、朝鮮の革命的ナショナリズムを敵視しこれに介入したのもアメリカであり、これに対しソ連はまたも受動的な役割を演じただけであった。内戦における一方へのアメリカのかかわり合いが他方へのソ連のかかわり合いよりもはるかに大きかったことは、朝鮮戦争によって示されている通りであり、このことは今日に至るまで変わらない。二〇世紀の前半の朝鮮の運命を決めたのが帝国主義国としての日本だったとすれば、アメリカは後半の運命を決めた帝国主義国であり、朝鮮に惨禍をもたらした張本人でもあるが、いまもってこのことをはっきり認識している人は少ない。
いずれにせよ、現代史を直視しこれを客観的に検証すれば、このことは明白な事実であろうと私は思う。とはいえ、私が述べた如上のことは米国内で一致している見方からはほど遠い。米国内で語られているのは、戦後の韓国にたいするアメリカの気前のよさと私欲のない援助の話ばかりである。アメリカ人も日本人に劣らず、朝鮮での自らの行動が実際にどのような深刻な災害を朝鮮民族にもたらしたかについて、真摯に反省することが余りにもなさすぎる。
この二つの帝国主義国家の下で、朝鮮人は苦闘し、屈辱を強いられながらも生き残り、強靱な精神力で苦難をのりこえ、今は繁栄をすらかちとった。結局、朝鮮人は勝利したのだ。なぜなら、二つの朝鮮が今日達成した近代化と工業生産力は、日本も米国もまったく期待もしなければ予想もしえなかったものであるからである。一九五三年、戦争が終わったときのこの半島の荒廃を知っているものには、信じられないようなことに違いない。いつの日か朝鮮の統一が実現すれば、そのとき朝鮮は自らをとり戻し、この国が秘めている真の潜在力をより十分に発揮することができるだろう。そうした意味で、私はこの日本語版を朝鮮民族の和解と統一のために捧げたい。
一言つけ加えるなら、本書の翻訳に関してはいかなる言語であれ、この日本語版が私が承認を与えた唯一のものである。ほかに朝鮮語のものがいくつか出回っているが、英語の本文に忠実であり、原書に則していると読者が信頼しうるのは、この日本語版のみである。
一九八八年六月