目次
改訂増補版序文
序章 屋久島を問う、ということ
第1章 森への視線
1 世界システムのなかへ
2 持続する森
3 入会権をめぐる闘い
第2章 開発の時代
1 国有林経営の開始
2 開発の時代
3 「自然の宝庫」という神話
第3章 山と海をつなぐ円環
1 山と海との出あい
2 岳参りの宇宙
3 海と常世
第4章 人と動物
1 亀女踊りの描くユートピア
2 伝承のなかの「山の大将」
3 椰子の実を採るサルの話
第5章 縄文杉の神話作用
1 序列化された時間
2 縄文杉巡礼
3 カリフォルニアの巨人
終章 「世界遺産」という怪物
補章1 環境民俗学の可能性――屋久島の事例を中心として
補章2 ガイドという職業の誕生――世界遺産登録後の屋久島における暮らしと観光
1 世界遺産登録後の屋久島の状況
2 町認定ガイド構想の挫折
3 登録・認定ガイド制度の出発
4 屋久島ガイドの未来――提言
補章3 屋久島のエネルギー問題――電力供給の公共性
前書きなど
序章 屋久島を問う、ということ
(…前略…)
本書は、『季刊生命の島』(屋久島産業文化研究所刊)に「屋久島の環境イメージ」と題して、一九九三年一月から一九九五年二月まで九回にわたって連載(第二五~三三号)したとき私が考えていたものを、一冊の本としてまとめたものである。基本的な構想は連載当時と変わっていないが、論題を系統的に整理し、文章を大幅に書き換え、資料的な裏づけでは万全を期した。それでも本書は学術書ではないので、煩瑣な議論になるのは避けた。
私が本書で一貫して追求してきたことは、「自然の宝庫屋久島」という言説を疑うことであった。この言説には、屋久島の自然が過去たどってきた開発の波の存在が全く感じられないし、それに屋久島の人間にも生活があるということすら消去してしまう。
本書で私は、屋久島の森に対する異なった視線を問題としている。一つはローカルな視線である。それはレヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだものであるのだが、民俗社会の論理であり、その世界観、宇宙観である。他方は近代的な視線である。それは島津の屋久杉伐採に発し、国有林への編入と国有林経営、開発、それに世界自然遺産指定へと通じてくる流れである。
本書の目的は森への二つの異なる視線を、持続性という観点から統合することである。少なくとも、屋久島でつい最近まで行なわれ、次第にその意味が失われていきつつある民俗社会の慣行を、今一度考え直してみる必要はあるだろう。自然保護と大上段から発言しなくても、自然と人間とのあるべき関係への豊かな知恵がそこに存在していたことに気づくであろう。
第1章3は、屋久島における国有林下げ戻しをめぐる行政訴訟を、全国的に展開された入会権をめぐる闘争として捉えたところに新鮮味があるだろう。第3章で検討した岳参りをめぐる問題では、屋久島の山中にまつられている「イッポンホウジュゴンゲン」の祠を、「一品宝珠権現」と解釈し、「一品法寿権現」ではないと否定していることが論争を呼ぶだろう。今後なお検討する余地は残っている。
第4章1の「亀女踊りの描くユートピア」は、一九九七年一二月、丸橋珠樹、川谷直大とともに行なった「自然の語り方――屋久島の事例より」と題する日本民族学会関東例会(於・東京外大)での私の発表をまとめたものである。
第4章3の「椰子の実を採るサルの話」は、一九九五年一〇月『季刊生命の島』第三六号の内容をほぼそのまま掲載した。インドネシアの政治をめぐる状況は、一九九八年五月のスハルト退陣で大きく状況が変化したが、その問題に言及するには状況があまりにも複雑なので、元の原稿をほぼそのまま掲載した。
また第5章3は、完全な書き下ろしである。
(…後略…)