目次
『ジェンダー史叢書』刊行にあたって
総論 思想の力/文化の流通(竹村和子)
第1部 学問の変革と再生
第1章 “聖なる女”の思想的系譜――ヒミコ言説の展開と天皇制・フェミニズム(義江明子)
第2章 国学思想に見るジェンダー――ケガレとムスビをめぐって(桑原恵)
第3章 科学史とジェンダー――「科学から疎外された」性が勝ち得たもの(川島慶子)
第4章 近代政治哲学とフェミニズム――その乖離の先にあるモノからの照射(岡野八代)
■コラム■
母系制の言説の生成と転換――内側から見たモソ文化(大浜慶子)
網野史学と女性(長野ひろ子)
立法過程と法理論の交差――DV法の場合(戒能民江)
第2部 信仰の主体
第1章 中国中世の道教と女性――求道と「家」(都築晶子)
第2章 知られざる鎌倉の禅尼たち――その活動と伝説化(野村育世)
第3章 アメリカにおけるキリスト教とフェミニズム――エンパワメントと抑圧の政治文化(小檜山ルイ)
第4章 イスラーム法と女性――現代エジプトを事例として(嶺崎寛子)
■コラム■
女たちのラーマーヤナ(粟屋利江)
国分尼寺と「滅罪」(吉田一彦)
女性教祖――如来教教祖喜之を例として(浅野美和子)
ヴェールの意味――その歴史的変遷(大中一彌)
第3部 文化とメディア
第1章 近世~近代における「女大学」の読み替え(菅野則子)
第2章 近現代における『源氏物語』の受容と創造(河添房江)
第3章 メディアと“女”――「犠牲者」と「テロリスト」のはざまで(岡真理)
第4章 フェミニズム映画批評の変遷と実践(斉藤綾子)
■コラム■
青楼の恋――唐代の文人と妓女(大平幸代)
日記が生まれ、読まれる時(吉野瑞恵)
『ブリタニカ』の編纂と女性たち(本田毅彦)
「思想」の流通と「女流」の声(真鍋昌賢)
コミック市場――「美少年」としてのレズビアン思春期(溝口彰子)
前書きなど
総論 思想の力/文化の流通(竹村和子)
おそらく本書を手に取った読者は、これまで目にしてきたジェンダー研究やフェミニズム研究と少し肌合いが異なることに気づくだろう。というのもここには、これまであまり触れられなかった近代以前の性体制への考察が多く含まれているからだ。性にまつわって働く社会的力学が時代や文化によって異なる様相を見せることは、すでに大方が共有している理解である。しかし幾多の時代のなかでも近代においては、それ以前と比べて、未曾有の性差別が推し進められてきた。そのため――また、いまだにその体制から抜け出せてはいないがゆえに――性にまつわる抑圧を言挙げする研究は、近代に焦点を当てて分析をおこなう場合が多かった。フェミニズム理論、ジェンダー理論と呼ばれるものも、明示的に、あるいは暗黙のうちに、近代の性体制をその考察の対象としている場合が多い。
しかし――いや、だからこそ――近代の体制が終焉を迎えつつあるように思われる今、そしてフェミニズム/ジェンダー理論が近代の負の遺産を超克して新しい時代を切り拓く理論となるためにも、ジェンダーの視点をもって今一度歴史の扉を開け、それぞれの時代に性がいかなるエイジェントとして振る舞ってきたかを詳細に検証する必要がある。それはむろん、近代の尺度を非歴史的に敷衍することではない。またむろん、近代以前を牧歌的な生物学決定論の世界に美化することでも毛頭ない。歴史が常に、その時代から振り返った過去の解釈であるならば、「歴史の歴史学」「歴史のジェンダー歴史学」を試みることである。それは同時に、学問と政治――知と権力――を媒介してきた主要な因子が、性にまつわる言説であったことを確認する試みであり、またその言説を流通させてきた文化とメディアが、それぞれの時代において、いかに性に中立的ではありえなかったかを明らかにする試みでもある。
したがって本書は、通史的あるいは網羅的に歴史を概括するものではない。むしろある特定の時代、あるいはある特定の事象のなかで、性に関わる言説がどのように捏造され、占有され、そして各時代の知の貯蔵体〈アーカイブ〉のなかで自明化されてきたかを追跡する、いわば「各論」の集合体である。そして、それぞれの論考が各論であるからこそ、逆説的に、性にまつわる言説がけっして普遍的で決定論的なものではなく、人為的で構築的なものであることが浮き彫りになってくる。本巻で扱うのは、それぞれの時代の知を司り、あるいは流通させてきた学問や宗教や文化である。近代以降、別々の領域として分化してきた学問、宗教、文化は、それ以前の時代においては互いに融合し、分離不可能な一つの知の体系を形成していた。しかし本書では、便宜的に以下の三つのトピック――「学問の変革と再生」「信仰の主体」「文化とメディア」――に分けて、それぞれの論考を収録する。