目次
財団設立一〇周年記念論集『越境するジェンダー研究』の発刊にあたって(西山惠美)
はしがき(安川悦子)
○女性たちの今
後戻りさせない──フェミニズムの歴史的復活(エステル・B・フリードマン)
スウェーデンにおける平等の機会──個人的見解(スサンヌ・ガイエ)
○家族と労働と福祉と
「ワーク・ライフ・バランス」社会実現の可能性(新井美佐子)
日本における子どもの貧困とジェンダー(中田照子)
ケアの倫理とジェンダー(別所良美)
中国における労働力移動からみた農村のジェンダー構造(金一虹)
○人権(平等法)の現在
日本の女性議員のクォータ観──考察の試み(岩本美砂子)
ジェンダー平等政策の一〇年をふり返って──一九九〇年代から二〇〇〇年代への「失われた一〇年」の検証(杉本貴代栄)
「ジェンダーに基づく差別」禁止と人権条約──フランスにおける性差別禁止に関する国内法制と人権条約(建石真公子)
スポーツと性にかかわる差別に対する近年の動向──欧州評議会の文書を中心に(來田享子)
アイルランドの家族法に関する最新の研究結果(キャロル・コールター)
○歴史の中のジェンダー
国際的女性運動の形成と展開を回顧して──「女性参政権国際連合」を中心に(河村貞枝)
世界の中の日本のフェミニズム(ヴェラ・マッキー)
女性の政治進出と社会の対応(早川紀代)
○教育とジェンダー
大学におけるジェンダー教育の実践──一橋大学における歩み(木本喜美子)
キャンパス・セクシュアル・ハラスメント──現状と課題(武田万里子)
データにみる高等教育におけるジェンダー教育の推移(藤原直子)
自然科学系分野における男女共同参画とポジティブ・アクション(増井孝子)
ジェンダー平等の今──二十一世紀の課題
日本の科学史研究とジェンダー──ある女性科学史研究者の軌跡(川島慶子)
○フェミニズムの諸相
構造的暴力に抗するフェミニズムへ(大越愛子)
宗教とフェミニズム──二律背反から開かれた関係へ(川橋範子)
リバータリアン・フェミニストのすすめ:ジェンダー理論の核心を生きるとは、普遍に自己を還元しないこと(藤森かよこ)
ボーヴォワールとフリーダンにおけるフェミニズムと反エイジズ──福祉国家のパラダイム・チェンジ(安川悦子)
記念論集座談会
あとがき(中田照子)
執筆者・訳者プロフィール)
前書きなど
はしがき
(…前略…)
本書に収録された二三編の論文は、さまざまな専門の分野とキャリアをもつ研究者から寄せられたもので、その形式も文体もさまざまであるが、内容にしたがって六つに分類し、それぞれに総タイトルをつけて収録した。
冒頭の「女性たちの今」というテーマに収録されたフリードマン論文とガイエ論文は、本書の総論ともいえる内容をもつものである。「後戻りさせない──フェミニズムの歴史的復活」と題するフリードマン論文は、フェミニズムの使命は、二〇世紀とともに終わったとする最近のジャーナリズムの論調に対して批判し、二一世紀の今、フェミニズムは、新たな課題を取り入れながら、女性に対する完全な、経済的政治的市民権を獲得するための力となり続けるだろうと主張している。ガイエ論文は、彼女の祖母、母親、そして自分という三代にわたるスウェーデンの女性の歴史を具体的に描きながら、歴史をとおしてジェンダー平等が具体化し、進んできた様子が書かれている。フェミニズムに関する限り、歴史は決して後戻りしないということの具体例である。
「家族と労働と福祉と」というテーマには、新井、中田、別所、そして金の論文が収録されている。新井論文、中田論文、そして別所論文では、福祉国家日本における「家族」の生活や子育て、そして介護の現状と問題と、ケア労働のもつ理論的意味あいが分析されている。現代日本のいわゆる性別分業家族(男性一人パンの稼ぎ手家族)を想定した社会政策が、今や現実と大きく乖離してしまっており、そこから子どもの貧困をはじめさまざまな問題が生みだされていることが明らかにされている。金論文は、中国における農村労働力のジェンダー構造を分析し、都会に出稼ぎにでる若年男子労働力と、農村労働の女性化、高齢化の問題を明らかにしている。ここでも、「家族」がもはや労働力の再生産の場としての機能を果たしえなくなっており、社会政策のパラダイム・チェンジの必要が説かれている。
「人権(平等法)の現在」というテーマには、岩本、杉本、建石、來田、そしてコールターの論文が収録されている。これらは、人権としてのジェンダー平等がどこまで進んでいるかを知るカレントな主題を扱っている。岩本論文は日本の女性国会議員のアンケートによる平等意識を扱っており、杉本論文では一九九〇年代の失われた一〇年と言われる時代の日本のジェンダー平等政策と今日の課題が論じられている。建石論文は二〇〇年以上も前に、女性にも納税する権利があり死刑になる権利があるとする「女性の人権宣言」を書いたオランプ・ドゥ・グージュの国フランスにおける女子差別撤廃条約と国内法の問題を扱っており、來田論文ではEUの欧州評議会にみられるスポーツにおけるジェンダー平等政策の動きが扱われている。コールター論文では長らくカソリック教国として離婚の合法性を認めてこなかったアイルランドにおいて離婚の合法性への道筋がどのようにつけられているのかが明らかにされている。
「歴史の中のジェンダー」というテーマには、主として女性の政治的権利を求めて活躍した女性の歴史や運動の歴史を扱った河村、マッキー、早川の論文が収録されている。河村論文は、フェミニズム運動のインタナショナリズムの歴史、具体的には第一次世界大戦前後の時代にはじまる国際的な女性運動の歴史を扱っており、マッキー論文も国際的な女性運動の歴史の中に、日本の女性運動を位置づける、つまりトランス・ナショナルな視点から日本の女性運動をとらえる必要を説いており、早川論文は、戦後民主化の歴史的起点である一九四六年の最初の総選挙に、女性の投票率も高く、女性議員の当選も驚くほど多かった歴史的事実を扱っており、それは戦時中の女性の活動を背景にしていると分析している。ここからも歴史的な視点からのジェンダー平等への歩みは、決して後戻りしていないことがみえてくる。
「教育とジェンダー」というテーマに収録された五つの論文は、主として日本の大学教育におけるジェンダー平等問題を扱ったものである。女子学生が増えたとはいえ、共学の大学でのジェンダー平等の教育の推進は、やっと緒に就いた所である。木本論文は、一橋大学という共学の大学におけるジェンダー平等教育の問題を扱ったもので、その具体的なプログラム例などを提示している。武田論文は、大学内での主として教員と学生の間におきるセクシュアル・ハラスメント問題を扱ったものであり、藤原論文は、二〇世紀から二一世紀への世紀転換の時代の一〇年間に、日本の高等教育におけるジェンダー偏在の構造を扱ったものである。増井論文と川島論文は、圧倒的に男子学生に偏在化してきた日本の大学の自然科学系学部の問題と研究者の問題を扱ったもので、増井論文は、自然科学系に進む女子学生や女性研究者への積極的支援策の必要性を説き、川島論文は、自然科学研究におけるジェンダー視座の重要性とそれが生み出す研究成果について論じている。
最後の「フェミニズムの諸相」に収録された論文は、思想あるいは思想のパラダイムとしてのフェミニズムを扱ったものである。大越論文は、戦前からの日本のフェミニズム思想をとりあげ、それが国家体制がらみの構造的暴力とどう対峙したかを問題にしている。川橋論文は、宗教とフェミニズムの問題を扱っており、カソリックがジェンダーやフェミニズムの問題を一貫して軽視してきたとともに、ジェンダー研究における宗教研究の周縁化について論じている。藤森論文は、リバータリアンの立場からフェミニズムを論じたもので、保護のシステムとしての福祉国家とフェミニズムの矛盾について指摘している。最後の安川論文は、フェミニズムがこれまでほとんど無視してきたエイジズムをとりあげ、ボーヴォワールやフリーダンのエイジズム批判の構造が、彼女らのセクシズム批判、つまりフェミニズムの構造と同じ思想構造であることを明らかにしている。
はじめは人権と福祉の問題として提起されたフェミニズムつまりジェンダー平等の理念が、社会のさまざまな部面に現実的に影響を及ぼし、そうすることをとおして、ジェンダー平等つまりフェミニズムの理念が一層深まり、練りなおされ、新たな広がりを見せるようになった。本書に収録された諸論文をとおしてこのことが明らかになり、本書が二一世紀のフェミニズム像を刻みあげる手がかりになればと思う。
歴史は後戻りしないし、後戻りさせてはならない。フリードマンのこの言葉を結びにして「はしがき」を終わりにしたい。
(…後略…)