目次
はじめに――ほっとポットとはなにか
第1章 おっちゃんのためにどこまでも――路上での出会いからNPOをつくるまで
おっちゃんとの出会いからはじまった
おっちゃんが消えた!
ボランティアをしながら考えた
社会福祉学と現実とのギャップ
ポットに熱い味噌汁を入れて――名前の由来
願いのような希望の言葉を聞いて
イチかバチかの福祉事務所交渉
「ホームレスに家なんて貸せるわけないだろ!」
河川敷のホームレスがゼロになった
目からウロコの提案
NPOを立ち上げる
地域生活サポートホーム「まつかぜ荘」オープン
ついに念願の相談所を開設
第2章 問題解決をめざす創造的な福祉実践――立ちどまらない支援に向けて
おっちゃんたちと向きあう
それでもおっちゃんは生きてきた
ほっとポットの福祉実践――「何が必要か」を考える
実質的な問題解決をめざす――DIYの実践
ハウジング・ファーストと権利擁護
生活まるまるコーディネートサービス
ほっとポットにおける「ケア」の場
ソーシャルワーカーのもうひとつの任務――福祉政治
第3章 ほっとポットの新しいチャレンジ――貧困最前線からの問題提起
生活保護を軸にした支援――「必要があれば利用する」の原則
ほっとポットは「貧困ビジネス」?
住居と生活支援をセットで――脱施設化とケアを柱に
生活困窮を背景にした犯罪に挑む――更生保護の実践
現場からの問題提起――日本は貧困をどうするのか
第4章 市民のかかわりが社会を変える――ほっとポットが築く新しい福祉
ほっとポットが求める福祉
生活保護行政について考える
行政の福祉はなぜうまくいかないのか
行政を動かし、支援のネットワークをつくる
あとがき
ほっとポットの事業とスタッフ
前書きなど
あとがき
忘れられないおっちゃんがいる。2年ほどさいたま市内の河川敷を路上訪問していた時に出会った50歳代男性である。
毎回訪問するとコーヒーをご馳走してくれた。長年、全国の建築現場を渡り歩き、多くの高層ビル建築に携わってきたことを嬉しそうに話してくれた。おっちゃんは自分が高度経済成長を支えてきたことに誇りを持っている人であった。家族と離婚し、所在がわからないため、娘の様子をずっと気にしていた。いろいろな身の上話や世間話をしたものである。路上生活を5年近く続けてきたおっちゃんは、出会ってから1年くらいしてから、恥ずかしそうにしながら一緒に福祉事務所で生活保護の申請をし、アパートに入居した。路上生活が長かったためか、「アパートの布団で最初に寝たときは寝心地が悪かったよ」と照れながら話してくれた。
しかし、アパート入居の半年後に肝臓ガンが見つかった。ガンは手術でとれるものではなく、すでに全身に転移していた。医師はおっちゃんに、数年前から体のだるさなど症状が出ていたはずだと話していた。お見舞いに行ったときには、起き上がることもままならない状態であった。必死に励ましたが、残された時間が少ないことも悟っていたのだろうか。おっちゃんは、亡くなった後の遺品のことや必要最低限の連絡先を伝えようとしていた。
「短かったけどよぉ。アパートで暮らせて病院で死ねるなんて最高だったな」と話し、お礼を言ってくれた。返す言葉がなかったことを覚えている。
その4日後におっちゃんは息を引き取った。おっちゃんの望みは、アパートで暮らすこと、病院で死ぬことであった。理想を言えば、最後に娘さんに会えたら良かったかもしれない。当然、路上で暮らしている以上、アパート生活は夢のようであったのかもしれない。病院ではなく、路上で亡くなってしまっていたのかもしれない。おっちゃんにとって、少なくともアパートで暮らせたこと、病院で死ねたことには大きな意味があったのである。
あたりまえで、ふつうで、そしてささやかな望みすらも叶えられない社会ならば、いったい何のために経済が発展するのか、何のために社会福祉があるのだろうか。残念ながら、路上で亡くなる人、ホームレス状態を続けざるを得ない人々は、未だに多く存在している。
ほっとポットに相談に来られる方や、生活に困窮されている方のなかで、贅沢をしたいなどと思っている人はいない。希望を聞けば、みんな口をそろえて、「ふつうの暮らしでいいんです」「それだけで十分です」と言う。食事をしたい、屋根のあるところで暮らしたい、安心して眠りたい。どれをとっても至極当然の言葉しか出てこない。その希望すらもかなえられない今の社会福祉とは、いったい何なのだろうか。それが、本書を執筆するに至った大きな問題意識である。
(…後略…)