目次
まえがき
I部 民族的マイノリティ
第一章 ユダヤ人差別の系譜(浜本隆志)
1 ユダヤ人差別の根源
ステロタイプ化したユダヤ人像——グリム童話からの検証
背教者ユダと裏切りの真実
ユダヤ人差別における近親憎悪
2 キリスト教徒とユダヤ教徒との確執
アルビジョア十字軍とユダヤ人虐殺
ペストの蔓延とユダヤ人虐殺
儀礼殺人伝説
ルターのユダヤ人差別
3 ゲットーへの隔離から解放へ
ゲットーへの隔離実態
ドイツ・ナショナリズムの台頭
4 ナチスの人種主義とユダヤ人
観相学と植民地主義
アーリア民族神話と反ユダヤ主義
カタスロトフィ
5 ユダヤ人問題が照射するもの
身体的標識と差別
ユダヤ人差別におけるドイツ的特性
マイノリティとしての共生への知恵
第二章 シンティ・ロマの虚像と実像(村上嘉希)
1 ロマのイメージと偏見
楽しい幌馬車の旅
犯罪者のレッテル
「ジプシー」と呼ばれて
2 実像と歴史
とらえがたい実像
インド起源説とヨーロッパ起源説
シンティ・ロマとは
3 新たなる迫害──ナチス時代のシンティ・ロマ
軍靴の響き
人種法と優生学
マスメディアによる扇動
4 囚われた人びと──収容所のシンティ・ロマ
あるプロボクサーの悲劇
Zという刻印
地獄のなかの地獄
5 癒されぬ傷跡──ナチス以後のシンティ・ロマ
終わることのない迫害
警察機構とロベルト・リッターの後継者たち
シンティ・ロマの補償問題
これからのシンティ・ロマ
第三章 移民からドイツ人へ──ドイツ帰化テスト導入をめぐって(佐藤裕子)
1 ドイツ人と「ドイツ人」、そして移民
ジョークのなかの移民
移民の実情
2 PISAショックと移民問題
惨憺たるPISA結果
クローズアップされるトルコ移民の教育
3 移民統合の制度化
新移民法の導入
移民統合研修の実例
4 州による導入から連邦統一帰化テストへ
バーデン・ヴュルテンベルク州の帰化テスト
ヘッセン州の帰化テスト
統一帰化テストへの移行──ガルミッシュ・パルテンキルヒェン内相会議
5 連邦統一帰化テスト
問題内容
ドイツの主導文化論争
帰化テストが投げかけるもの
II部 社会的マイノリティ
第四章 マイノリティとしての作家(平井昌也)
1 一九世紀の作家事情
作家はマイノリティ?
変貌する出版と市場
格差社会のなかの出版市場
2 一九世紀の作家、ナポレオンとメッテルニヒの狭間で
出版の自由の拡大
検閲による出版統制
「青年ドイツ派」の作家活動
3 三月革命の高揚と挫折のなかの作家
ペンと革命
ペンによる抵抗運動
折れたペン
4 二〇世紀の作家──ナチスに追われた作家たち
焚書、書物を焼きつくす炎
ナチスによる文化支配
国外亡命、ドイツを去った作家たち
5 ヒトラー支配下における作家のゆくえ
国内亡命、第三帝国に残った作家たち
ついえた抵抗運動
総統のもとでの文学
第五章 同性愛の世界(須摩肇)
1 「同性愛者」の出現
ホモという言葉──ケルトベニーの考え
先人たちの努力──ウルリヒス
揺らぐ「男性性」と女性の社会進出
同性愛は病気か
2 出会いはいつもときめいて
出会いの場──ティーアガルテン(動物園)
公衆トイレと交通機関
「目で殺す」
白いチーフ
3 パラダイスを求めて
恐喝・強請
イタリアへ
グレーデン男爵
グッリェルモ・プリュショヴ
4 楽園でのスキャンダル──カプリ
カプリ島の「大砲王」
「クルップ通り」
カプリ島のソドム
5 同性愛者の運命
彷徨う解放者たち──ヒルシュフェルト
映画『他人とは違って』
アドルフ・ブラント
「主体者連盟」とアウティング
収容所への道
第六章 ドイツ近代精神医学の罪──その誕生からナチス「安楽死」まで(北川尚)
1 精神医学の誕生
問題設定
近代以前の精神病者
ドイツ近代精神医学の先駆者たち
フランスからの影響
人道主義的精神医学の後継者たち
2 自然科学主義への傾倒──一九世紀後半
グリージンガー「精神病は脳病である」
大学精神病院の登場
脳研究
3 入院患者の激増
収容先の変化と入院の容易さ
増える精神病者
医師たちの苦悩
4 遺伝と変質
モレルの変質論
断種論
クレペリンの「内因」とブロイラーの断種支持
精神病は遺伝するのか
5 悲劇の序章
ワイマル共和国時代
精神病者「安楽死論」
断種法成立と「安楽死」措置
ドイツ近代精神医学がナチスに与えたもの
あとがき
図版出典
編著者紹介
前書きなど
まえがき
(…前略…)
I部の民族的マイノリティのなかで、第一章ではまずユダヤ人問題を取り上げた。ユダヤ人差別はナチス時代に突発的に噴出した問題ではなく、ヨーロッパ規模において長い歴史的経緯のなかで生みだされてきた。本書ではユダヤ人問題について、ドイツを中心に系統的にたどり、古代から連綿と続いてきた差別の根源を宗教的・社会的な視点から考察した。ここからもナチスの人種主義の犠牲になったユダヤ人問題が、どのような経緯によって形成されてきたかを読み取ることができるであろう。
I部・第二章では、シンティとロマ、いわゆる「ジプシー」に光が当てられる。かれらは独自の生活文化をもっていたので、ヨーロッパのマジョリティからは異国情緒溢れるロマンティックな「自然人」、「放浪の民」、「浮浪者や泥棒」など、様々な虚像がつくられてきた。しかしその起源や実態に分け入っていくと、「ジプシー」の置かれていた実像が見えてくる。ここでは主に近代ドイツからナチス時代にかけて、「ジプシー」の悲劇の歴史の軌跡を追っていくが、とりわけかれらの強制収容所における惨状を詳細に提示した。これは、従来、被害者としてのユダヤ人だけがクローズアップされてきた見解に対し、「ジプシー」を含めた被害の全体像を見直す契機となるはずである。
I部・第三章では現代ドイツの外国人問題を扱った。かれらは移民としてドイツに生活しているが、とくにイスラーム系住民は、ドイツ社会と融合せず「平行社会」(コロニー)をつくる傾向にある。したがってドイツにおける国籍取得の場合でも、どのような基準で実施するかが、今まで論じられてきた。二〇〇五年一月に発効した新移民法では、新たに「帰化テスト」という政策が打ち出された。これにもとづいて、ドイツに居住する外国人が、ドイツ語能力養成と日常生活や法律、文化、歴史などに関する知識を習得することを目的とした、統合コース規定が設けられた。とくに「連邦統一帰化テスト」の内容は、基本法(憲法)、宗教、女性問題、婚姻、テロ、差別、教育など多岐にわたる。「帰化テスト」は見方によれば、従来の多文化主義から、ドイツ人へのアイデンティティを求めるという方針転換を意図するものと解釈できる。ここではアクチュアルな現代のマイノリティ問題を、ドイツの移民政策とのかかわりから紹介する。
次にII部の社会的マイノリティに目を転じよう。II部・第四章では作家をマイノリティと規定し、とりわけ政治的・社会的状況とのかかわりから、かれらの出版活動を分析した。一九世紀ではジャーナリズムが台頭し、職業としての作家活動が可能となったとはいえ、かれらはたえずマイノリティの立場に立たされた。当時の作家がいかなる収入を得ていたのか、副業を含めてどのような生活をしていたのかをたどることにより、その社会的立場を位置づけることができよう。また一八四八年のドイツ三月革命状況とのかかわりにおいて、作家やジャーナリストは、時の権力者との軋轢を迎える。検閲によって作家が弾圧をこうむる構図は、さらに二〇世紀のナチスの時代にピークを迎えるが、その内実についてもこの章で浮き彫りにしてみた。
II部・第五章では、性的マイノリティを取り上げ、主に男性の同性愛者がどのように生活し、社会はかれらとどう向き合ったのかがクローズアップされる。富国強兵を標榜する一九世紀後半のドイツ帝国では、同性愛は排除すべき行為であったので禁止されていた。それにもかかわらず、かれらは合図の送り方、目じるしなどの巧妙な「手口」によって相手を探す方法を編み出した。しかしかれらへの締め付けが厳しいので、裕福な者はドイツ法の適用がないイタリアの風光明媚なカプリ島へ出向いていった。ドイツのクルップ財閥の社主もそのひとりと目されたが、かれの自殺をめぐり憶測が乱れ飛んだ。このような興味深いエピソードが数多く紹介されているが、しかしその後のナチスの政策も、いうまでもなく同性愛者の排除を意図した。ナチス時代にかれらのうち一〇万人が訴訟され、半数が有罪となって収容所で虐待された。世界保健機構(WHO)が同性愛を病気の項目から外したのは、ようやく一九九〇年代になってからである。
II部・第六章では、健常者に対するマイノリティとしての精神障害者が、近代ドイツ社会でどのような扱いを受けてきたのかがテーマとなる。かつてドイツに存在した人間尊重の医療は、科学主義の展開のなかで「変質論」や「遺伝論」に歪められ、研究者が精神障害者を決定論的に解釈してしまった。こうした本末転倒した考え方は、ナチスの「劣悪な民族」の撲滅という人種論と結びつけられる。その結果、ナチスは「断種法」を制定し、かれらを「安楽死」へと導いていくのである。本来、マイノリティである精神障害者を救済すべき医者が、ナチスに協力して精神障害者を抹殺する側に立ち、蛮行を推進した。ここで問われるのは、精神科医の政治とのかかわり、精神障害者に対する眼差しである。
(…後略…)