目次
日本語版への序文
謝辞
第1章 十六世紀最大の戦争、壬辰戦争(鄭杜煕、李ギョンスン)
一、十五世紀朝鮮の世界認識
二、国家史に閉じ込められた戦争の叙述
三、壬辰戦争と東アジア世界
第2章 私たちはなぜ壬辰戦争を研究するのか(キム・ジャヒョン)
一、概念化の問題
二、民族概念の形成
三、戦争と歴史——韓国の視点
四、壬辰戦争を研究する理由
第3章 「壬辰倭乱」と「妓生」の記憶——朝鮮戦争以後の「論介」についての想像と専有(鄭智泳)
一、生きている論介——記憶の系譜
二、戦争と妓生
1.壬辰倭乱と朝鮮戦争
2.妓生から娘子軍へ
3.誘惑と慰労
三、戦争と愛の物語——論介と金時敏
1.金時敏という男性——指導者の肖像
2.論介の片思い——自発的動員
四、純潔の身の英雄、論介の献身——女性主体の誕生
五、愛、純潔、そして死——「忠」の完成
第4章 朝鮮侵略後における被虜人の本国送還について(米谷均)
一、はじめに
二、朝鮮被虜人の本国帰還
三、被虜人招募のための諸道具
四、被虜人招募の実態
五、被虜人帰還後の処遇
六、むすびにかえて
第5章 火旺山城の記憶——神話となった義兵士への再照明(河永輝)
一、歴史的知識、歴史的事実
二、火旺山城の守備——事実
三、「火旺入城同苦録」
四、実記と各種の会盟録
五、歴史的記憶、社会的記憶
第6章 豊臣秀吉の朝鮮侵略 民衆の記憶と民族意識の形成——『壬辰録』などの民間伝承に現れた民衆の民族意識(ジョン・ダンカン)
一、歴史における記憶の問題
二、民族に対する認識と民間伝承
三、朝鮮時代の国家と平民
四、外侵の影響
五、民衆の記憶
第7章 近代日本と豊臣秀吉(高木博志)
一、はじめに
二、明治維新期の功臣・豊臣秀吉
三、紀念祭の時代と豊臣秀吉
四、帝国と豊臣秀吉
五、むすび
第8章 李舜臣に関する記憶の歴史と歴史化——四百年続いた李舜臣言説の系譜学(鄭杜煕)
一、記憶の歴史
二、朝鮮時代の李舜臣論
1.壬辰戦争直後の論功行賞の過程と『宣祖実録』の李舜臣論
2.『宣祖実録』修正作業とその後の李舜臣追慕事業
3.正祖代における『李忠武公全書』の編纂
三、植民地時代の李舜臣論
1.申采浩の李舜臣伝
2.一九二〇年代の李舜臣論
3.一九三〇年代の李舜臣論
四、李殷相の『国訳註解李忠武公全書』と「民族の太陽李舜臣」
五、一九八〇年代以後の新たな議論
六、李舜臣論と韓国人の日本観
第9章 『朝鮮征伐記』に描かれた戦争——戦後のある日本人儒学者の視線から見た秀吉(ウィレム・ブート)
一、ヒストリオグラフィー(Historiography)
二、堀杏庵の『朝鮮征伐記』
三、書名に込められた意味
四、近づきがたい威厳と権威
五、豊臣秀吉の懸念
六、北京での論争
七、現代における解釈
第10章 壬辰倭乱の国際的環境——中国的世界秩序の崩壊(金翰奎)
一、十六世紀東アジアの国際秩序
二、明代の遼東
三、明の海禁
四、日本の琉球・台湾経略
五、冊封−朝貢体制の破綻
六、壬辰倭乱の国際的環境を理解するために
第11章 唇亡びて歯寒し——明が参戦せざるをえなかった理由(ケネス・スウォープ)
一、万暦帝のリーダーシップ
二、明代末期の軍事力
三、西北辺境の反乱
四、朝鮮に対する明の義務
五、唇歯のごとく親密な関係
六、万暦帝の攻撃命令
七、宣祖に送った勅書
第12章 壬辰倭乱とヌルハチ(桂勝範)
一、七年間抑えられた軍事的膨張
二、ヌルハチの成長
三、ヌルハチの対朝鮮政策
四、ヌルハチと秀吉
第13章 古地図の中に描かれた日本——朝鮮知識人が独占した日本のイメージ(ケネス・ロビンソン)
一、地図の想像世界
二、行基式日本地図
三、『海東諸国紀』の日本地図
四、姜ハンの「倭国地図」
五、金世濂の日本地図
六、「天下輿地図」
七、尹斗緒の「日本輿図」
八、朝鮮の中の日本
日本語版監訳によせて
訳者あとがき
事項索引
人名索引
前書きなど
「日本語版への序文」より抜粋
壬辰戦争の実像はどのようなものであったのか。この戦争でどの国家が勝利したと主張できるのか。この戦争が崇高な目的を達成するために避けられない計画であったというが、その崇高な目的とはいかなるものであったのか。陸地や海を問わず、韓半島(朝鮮半島)全域で痛ましく犠牲となった罪のない韓国(朝鮮)の良民はもちろんのこと、名分のない戦争に動員され死んでいった東アジア三国の多くの若き兵士の人生を、誰が代弁するというのか。
本書の最も大きな特徴は、タイトルを「壬辰戦争」としたところにあると考える。この戦争をめぐって東アジア各国では、みな自国史の立場から「壬辰倭乱」(韓国)、「豊臣秀吉の朝鮮侵略」(日本)、そして「抗倭援朝」(中国)などと呼んでいるのが実情である。……東アジア三国は、十二干支で年代を表記する長い伝統を持っているという点に注目し、この戦争が最初に勃発したとき(1592年)が壬辰年であったことから、これを「壬辰戦争」とし、当時韓国(朝鮮王朝)が主たる戦場であったことから、これを韓国語の発音(壬辰)で読むことにしたのである。……これらは結局、この戦争を国家史の枠組みを越え、国際的視野から考察するとともに、民族主義的偏見から解放させねばならないという確信によるものであった。