目次
はじめに
序章 ナショナル・アイデンティティの葛藤
一 「朝鮮人」として
1 両親のこと
2 朝鮮学校の模範生
二 ナショナル・アイデンティティの悩み
1 二つの名前
2 フェミニズムとの出会い
三 韓国留学と「慰安婦」問題
1 梨大女性学科
2 尹貞玉先生との出会い
3 一九九〇年五月の女性界声明
四 「挺身隊」問題の浮上が示すもの
1 闇に埋もれてきた「挺身隊」問題
2 「挺身隊」問題の浮上
3 「謝罪」に対する韓国の世論
4 名乗り出た「挺身隊」被害者たち
5 植民地時代の女性収奪
6 良き隣人関係の構築のために
第一章 日本軍「慰安所」制度の背景——朝鮮の公娼制度
一 公娼制度実施の背景
1 日本人居留地における遊廓の形成
2 朝鮮人売春業の増加
二 朝鮮人売春婦に対する公娼化政策
1 性病検査の実施
2 妓生団束令・娼妓団束令
三 公娼制度の確立
1 各道における公娼制度の実施
2 公娼制度の全国的実施
四 公娼制度の展開
1 統一規則発布後の取り締まり
2 性病に関して
3 接客業婦たちの様相
4 人身売買
5 周辺地域の売春とその取り締まり
小括
第二章 日本軍による性的暴力の諸相とその特徴
一 性的暴力の類型と特徴
二 「慰安所」制度の土壌
1 公娼制度の延長
2 近代日本と性
三 性的暴力の構造
1 日本軍の特質
2 戦争と性暴力
小括
第三章 韓国女性学と民族
一 女性学の成立と“民族”問題
1 女性運動と民族問題
2 女性学と女性運動
二 日本軍「慰安婦」問題をめぐる“民族”議論
1 “民族”言説
2 性と民族
3 女性学的認識
三 アジア女性学への視点
小括
第四章 韓国における「慰安婦」問題の展開と課題——性的被害の視点から
一 「慰安婦」問題の展開と民族主義
1 民族問題としての拡大
2 運動の二重構図
二 「慰安婦」と公娼
三 性的被害とは何か
1 性的被害
2 被害の重層性
小括
第五章 韓国における「慰安婦」問題解決運動の位相——八〇〜九〇年代の性暴力追放運動との関連で
一 民族民主運動と性暴力追放運動——八〇年代の女性運動
1 民族民主運動への統合
2 民族民主運動の性暴力認識
3 性売買問題への取り組み
二 性暴力追放運動の質的転換——九〇年代の女性運動
1 性暴力事件の衝撃
2 性暴力相談所の開設と性暴力問題の世論化
3 性暴力特別法制定運動
4 性暴力追放運動の急進化
三 「慰安婦」問題解決運動の位相
1 「慰安婦」運動の形成経緯
2 「売春」と民族言説
3 民族運動としての意義と限界
小括
終章 ナショナリズムを乗り越えるために
一 「慰安婦」問題とナショナリズム——二〇〇〇年法廷後の課題
1 韓国軍「慰安婦」問題の提起
2 公表の意義
3 韓国での反応——日本軍「慰安婦」との“比較”
4 「慰安婦」問題認識とナショナリズム
5 今後の課題
二 日・韓ナショナリズムと「慰安婦」問題——朴裕河著『和解のために』をめぐって
1 「あいだ」に立つということ
2 韓国の男性中心社会と運動体
3 「国民基金」をめぐって
4 開かれた運動のために
三 排除と差別に抗する視点
1 二者択一の意味
2 “国家”の枠組み
3 “国家”枠組みと「慰安婦」問題
〔補論〕勤労挺身隊となった人々の人生被害について
一 朝鮮人少女たちにとって「勤労挺身隊に行く」ということが意味したもの
二 日本に行って受けたであろう衝撃
三 朝鮮に戻ってからの人生の困難——勤労挺身隊に行ったことが朝鮮社会で意味したもの
1 「挺身隊」言説
2 対日協力者
四 日本軍「慰安婦」問題との関連
1 「挺身隊」被害申告の殺到
2 再び置き去りにされた勤労挺身隊問題
五 日本政府及び関連企業の責任
あとがき
初出一覧
参考文献
索引
前書きなど
はじめに(一部抜粋)
(…前略…)
章ごとの内容は以下の通りである。
まず序章では、私自身のアイデンティティの悩みの原点にさかのぼり、両親のこと、子ども時代のこと、そして、韓国に留学して「慰安婦」問題に取り組む経緯について述べた。
第一章では、「慰安婦」、また「慰安所」制度とは何かという問いから、この制度の土台となった朝鮮の公娼制度について考察した。私がこの研究を始めた九〇年代初めは、朝鮮の公娼制度に関する研究は日本でも韓国でも皆無に近かった。そこで、一九世紀末から二〇世紀初めにかけて、どのような経緯で日本式の公娼制度が朝鮮に導入され、その特徴はいかなるものであったのかについて調べた。朝鮮での「慰安婦」徴集が大規模に行われえた背景に、公娼制度の浸透と、それにともなう周旋業者や人身売買のしくみがあったのは明らかである。
第二章では、「慰安所」制度を日本軍の性的暴力の全体像の中に位置づけ、戦争と性暴力という側面から「慰安婦」問題を相対化して捉えようと試みた。そうすることで、日本軍の性的暴力の特徴や「慰安婦」の歴史的性格がより明確になると考えたからである。
第三章では、女性学の視点から、韓国の「慰安婦」問題に関連して、いわゆる民族主義的な認識について批判した。そして、フェミニズムの視点による「慰安婦」認識とは何かについて論じた。これは梨花女子大学大学院の女性学科で学び、議論したことが土台になっている。
第四章では、前章で論じた問題をさらにもう一歩進めて、なぜ運動体の活動家たちがこうした認識を持つに至ったかについて見た。特に、ジュディス・ハーマンの研究を取り入れて、「慰安婦」のサバイバーたちを性暴力被害者とみなすことの重要性と、活動家たちもまた植民地支配による心の傷を
受けたことに触れた。
第五章は、前章の問題意識を共有しつつ、ここでは角度を変えて、韓国の「慰安婦」問題解決運動の主体を八〇年代以降の女性運動の流れの中に位置づけようとした。運動体の中心をなした韓国女性団体連合は、民主化運動の歩みと密接な関わりをもっている。こうした流れと、韓国での女性学やフェミニズム運動の系譜はどのように交わっているのかを見た。
日本社会であれ韓国社会であれ、近代に形成された民族意識は、男性中心の家父長制をその土台としている。それはいずれも女性の主体性を認めず、家族や社会は女性の従属を求めてきた。その規範を破ったり従属しない女性は排除され、差別の対象となった。この排除と差別の対象は、その子どもや外国人、そして“異質”とみなされる人々にも及んだ。「朝鮮(韓国)人か日本人か」という二者択一の問いは、そもそもそうした他者排除の社会構造の上に成り立ってきたのではなかったのか。韓国の民族主義的「慰安婦」認識について考察するうちに、そのことが明確に見えたような気がした。二者択一を他者に強いることが家父長的思考方式であり、二者択一を前に悩むことすらも、自らそれを内面化している証だといえるであろう。終章はそのような思いを込めたものである。
ところで、本文でもたびたび言及するが、韓国における「慰安婦」問題は、運動が起こった当初から「挺身隊」という言葉を日本軍「慰安婦」の意味で使っていた。それは、解放後の韓国で集団的記憶として形成されたといえるだろう。しかし、「女子挺身勤労令」(一九四四年八月に日本で公布)にもとづいて(実際にはそれ以前からであるが)日本の軍需工場などで働かされた約四○○○人にのぼる朝鮮人女子挺身隊員たちは、解放後、「慰安婦」と混同されることになる。ここに「慰安婦」問題の韓国的特徴があるといえるだろう。補論は、この問題について論じたものである。
(…後略…)