目次
総説
1 小国の歩み
第1章 フィンランド史の展開と地理的状況との関係——ロシアとスウェーデンの狭間で
第2章 スウェーデン王国の東の辺境として——六世紀間にわたるスウェーデン統治
第3章 ロシアの支配と民族の目覚め——フィンランド独立への道
第4章 独立フィンランドと小国の命運——両大戦間
第5章 第二次世界大戦下のフィンランド——冬戦争と継続戦争
第6章 現実に向き合った戦後フィンランド——パーシキヴィの登場
第7章 「われらは、ここに生きる」——ケッコネンの時代
第8章 北欧とのきずな——冷戦とポスト冷戦を貫く「北欧協力」
第9章 冷戦終焉後のフィンランド——ヨーロッパの中のフィンランド
●コラム1 祖国のために——戦争記念碑、戦没兵士墓地、対ソ連戦跡を見る
●コラム2 戦争の子どもたち——フィンランドの学童疎開
2 現代フィンランドの諸相
第10章 フィンランド憲法の歩み——ランド法から「フィンランド基本法」まで
第11章 フィンランドの地方自治——「住民の共同体」の分権と自立
第12章 スウェーデン語系住民の地位——二つの「国語」と言語への権利
第13章 非武装と自治の島々——オーランド諸島
第14章 先住民・サーミの人々——現在の暮らしとその地位・言語的権利
第15章 フィンランドの政党——フィンランドの政党政治が歩んだ道
第16章 EUとしてのフィンランド——積極的EU外交と北欧の価値
第17章 フィンランド国防軍——フィンランド安全保障の要
第18章 フィンランドの産業と経済——発展の軌跡
第19章 フィンランドの経済——一九九〇年代以降のイノベーション立国
第20章 福祉社会の形成と現況——そのエッセンス
第21章 フィンランドの教育の現状——その核心に迫る
第22章 科学と技術——フィンランドにおける科学技術発展の概観
●コラム3 「フィンランド化」という言葉——冷戦時代の亡霊のように
3 文化としてのフィンランド
第23章 フィンランド語とはどんな言語か?——「アジア系言語」の真実
第24章 フィンランドの現代文学——「大きな物語」から多様性へ
第25章 フィンランド民族叙事詩『カレワラ』の誕生と一九世紀フィンランド文学——翻訳文学の隆盛とフィンランド民族文化の模索
第26章 戦争と文学——ヴァイノ・リンナと大岡昇平
第27章 トーベ・ヤンソンの世界——描くことと書くこと
第28章 ムーミン・ファンの想い——ファンはキャンバスに何を描くか
第29章 フィンランドのジャーナリズム——その歴史と知恵
第30章 フィンランドの音楽——展望
第31章 フィンランドの美術——概観と代表的な作品
第32章 フィンランドの建築——現代まで受け継がれる「自然」との絆
第33章 フィンランドのスポーツ——実践者が語る
第34章 フィンランドの食文化——皆さんは知っていますか?
●コラム4 フィンランドの旅に思う——タンペレを訪れて
●コラム5 フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの世界
4 交流の歩みから
第35章 フィンランド観光の旅——こんな所にお勧めの場所が
第36章 ラムステット公使とエスペラント仲間——エスペラント仲間たちが支えた日フィン親善
第37章 「神様の愛を日本に」——フィンランドのルーテル教会の日本伝道の歴史
第38章 在日フィンランド人第二世代のアイデンティティ——言語を中心にして
第39章 さまざまな地域間の交流——一人のフィンランド人の目から見た概観
第40章 フィンランドと私の「出会い」——文通から始まった二七年間の交流
第41章 日本でフィンランドを語る——思い出と現在
第42章 日本における『カレワラ』の受容——「平和的」叙事詩としての『カレワラ』
第43章 マンネルヘイムのアジア旅行——将軍の新しい顔
●コラム6 ラムステット代理公使異聞——補遺として
●コラム7 文化を政治から守った市河代理公使——日本外交史夜話
●コラム8 気になる話題——「隣の隣」
第44章 フィンランドと私——交流の歩みを語る
あとがき
前書きなど
あとがき
日本人の手によって書かれたフィンランド関係の概説的な文献で的確な情報を伝えている例は、まだまだ僅少である。本来フィンランドの専門家でない書き手たちが、北欧諸国を扱うなかでフィンランドを大胆に語っている例が多いことも、こうした印象を増幅させている。とくにそうした仕事の場合、各ページごと、どころか各段落ごとに、重大なまちがいがある場合さえ見受けられる。それも悲しいことに、書き手の本人たちがフィンランドに対して好意を寄せ、親しみを込めて書いているつもりの文献に、実は手のつけようのない事実誤認が続発している場合が珍しくないのである。
(…中略…)
だが、考えてみると、フィンランドに関する正確な知識をもつことは、レベルの違った話ではあれ、日本以外の諸外国の研究者にとっても容易なことではなかった、といえるかもしれない。第二次世界大戦終結からほど遠くない時期に出版されたアメリカの百科事典類には、フィンランドがファシズムの国に近くなったかのような記述がなされている。そのうち冷戦による東西対立が強まると、アメリカの研究者は、フィンランドが親独極右の反省から平和共存の道を歩んでいるとして絶賛しだしたが、フィンランドで講演すると反発をくらって立ち往生するという場面に遭遇した。
列強の権力外交がもたらした世界政治の捩れこそが、フィンランドという小国にたいする認識のゆがみをもたらした、というほかはない。だが、同じ「小国」といっても、フィンランドには、強国なみに「突っ張った」姿勢で切り抜けるとか、スイスのように国際政治に超然として調停役を買って出るなりして生きのびる道が開けていたわけではない。どこの国も味方に付いてはくれず、昨日まで戦火を交えていた巨大な強国の前に擁護者もなく一人立ったフィンランドにとって可能であったのは、近代権力政治に向き合って現実の困難を打開していくことでしかなかったのである。
悪夢のような国際権力政治との闘いの日々が冷戦の終焉とソ連の崩壊で終わった時、フィンランドは、かつてその国土を覆っていた氷が去って国土が浮かび上がったように、新たな発展の時を迎えた。そこで、またわれわれは迂闊にいいかねない。「フィンランドは過去と絶縁し、ヨーロッパに戻ったのだ」と。だが、それは半面の真理だ。シスの根性をもつフィンランド人は、住み家を変えたわけではない。父祖のスオミの地にこれまでも住み続けてきたし、これからも住みながら、現実と向き合った過去の経験を、バルト海地域で、ヨーロッパで、これからの厳しい地球人類の世界で、役立てていくにちがいない。
(百瀬宏)