目次
はじめに
第1部 多文化教育のパラダイム転換
第1章 文化多元主義から多文化主義へ
はじめに
1 問題の所在——多文化主義をめぐって
2 ニュータイムズ
3 新しい文化ポリティクス
おわりに…多文化教育のパラダイム転換へ向けて
第2章 文化概念の再考——サラダボウルからジャズへ
はじめに
1 サラダボウルに基づく多文化教育
2 多文化教育のパラダイム転換と批判的社会理論
3 文化概念の転換——サラダボウルからジャズへ
おわりに…文化概念の再考と多文化教育
第3章 「白人性」への問いと多文化教育
はじめに
1 多文化教育と白人性を問う意味
2 多文化教育と白人性をめぐる研究動向
3 白人性と教育における不平等
4 白人性の脱構築に向けた教育実践
おわりに…「大きな物語」の脱構築と新たな共生の物語の再構築
第2部 多文化教育とカリキュラム
第4章 高等教育カリキュラムと多文化主義——一般教育をめぐる文化戦争
はじめに
1 高等教育カリキュラムと多文化主義の問題
2 高等教育における多文化主義の展開
3 スタンフォード大学の事例
4 高等教育における多文化主義の動向
おわりに…高等教育における知の再構築
第5章 初等中等教育カリキュラムと多文化主義——社会科の枠組みをめぐる文化戦争
はじめに
1 初等中等教育カリキュラムと多文化主義の問題
2 単一文化主義と多文化主義をめぐる歴史的展開
3 社会科カリキュラムをめぐる文化戦争
4 多文化主義とカリキュラム——その後の展開
おわりに…インクルージョンからトランスフォーメーションへ
第6章 多文化主義の視点に立つカリキュラム構築
はじめに
1 問題の所在と分析の枠組み
2 文化戦争の歴史的な位置
3 本質主義と保守派の描くアメリカ像
4 多文化主義と革新派の描くアメリカ像
5 多文化主義とカリキュラムの再構築
おわりに…脱中心化、多様性の多様化、ハイブリディティの視点
第3部 多文化教育と教育政策、教師教育
第7章 多文化教育と学校改革
はじめに
1 問題の所在と本章のねらい
2 学校改革としての多文化教育
3 多文化教育政策の特徴と動向
おわりに…多文化教育の理念の定着と今後の課題
第8章 多文化教育政策の類型と動向
はじめに
1 研究の目的と意義
2 多文化教育の類型化と分析方法
3 州における多文化教育政策と五つのアプローチ
おわりに…多文化教育政策の展望
第9章 多文化教育と教師教育
はじめに
1 多文化教師教育の動向
2 多文化教育と教員養成プログラム
おわりに…多文化共生社会を担う教師の育成
第4部 多文化教育と研究方法
第10章 多文化教育研究への新しい視座——白人性研究の示唆するもの
はじめに
1 白人性研究とは何か?
2 白人性をめぐる研究動向
3 なぜ、白人性という概念をつくるのか?
4 いかに白人性を明らかにするのか?
5 白人性には、どのような特徴があるのか?
6 「日本人性」と多文化教育研究
おわりに…多文化の生活世界を読み解くために
第11章 多文化教育研究と批判的エスノグラフィー
はじめに
1 批判的エスノグラフィーとは?
2 批判的エスノグラフィーの歴史的な展開
3 批判的な研究パラダイムの基本的な特徴
4 研究の方法と手順
5 批判的エスノグラフィーの具体例と課題
おわりに…解放的知識の創造をめざして
前書きなど
はじめに
本書は、グローバリゼーションにともなうアメリカ社会の急激な多文化化の進行、あるいは、ポスト構造主義、ポスト植民地主義、批判理論など批判的な社会理論の影響を背景に、パラダイム転換が進むアメリカ多文化教育の新しい動向について明らかにすることを目的としている。
多文化教育は、マイノリティの視点に立ち、社会的公正の立場から多文化社会における多様な人種・民族あるいは文化集団の共存・共生をめざす教育理念であり、また、その実現に向けた教育実践でもある。一九六〇年代から一九七〇年代のアメリカで展開した民族の台頭や公民権運動を背景に生まれた多文化教育は、文化の独自性を捨て主流文化に適応させる「同化・融合主義」に対抗して、文化の多様性を価値ある資源として尊重する「文化多元主義」に理論的な基礎を置き、さまざまな人種・民族や文化を維持し奨励することを通した「多様性の統一」を追究してきたといえる。
アメリカの多文化教育の発展はめざましく、現在では、多文化社会アメリカを表現するポスターがなく、国内の多様な文化集団を学習しない学校を見つけることの方が難しいほど、アメリカ教育のなかに浸透している。Research & Multicultural Education: From the Margins to the Mainstream(C.A.Grant eds., 1992)という書名に表されているように、アメリカの学校教育のなかで多文化教育は、もはや周縁ではなく中心に位置するまでに発展してきたのである。
例えば、学問的な状況をみても、多文化教育の学会である全米多文化教育学会(National Association of Multicultural Education、略称NAME)(一九九一年)が設立されたり、それまでの蓄積された研究成果をレビューする多文化教育研究ハンドブック(Banks & Banks, 1998, 2004)が出版されたり、あるいは、教育学最大の学会であるアメリカ教育研究協会(American Education Research Association、略称AERA)において多文化教育研究者であるジェームズ・A・バンクス(J. A. Banks)やグローリア・ラドソン=ビリングズ(G. Ladson-Billings)らが学会長を務めるなど、一つの学問領域としての地位を築いている。
また、教育実践への浸透をみても、全米教師教育資格認定協議会(National Council for Accreditation of Teacher Education、略称NCATE)や全米幼児教育学会(National Association for the Education of Young Children、略称NAEYC)などでは、教師教育や幼児教育のスタンダードのなかに多文化教育の視点を導入するまでに至っている。
しかしながら、多文化教育はアメリカ教育のなかに存在感を増す一方で、人種主義や不平等な社会構造に対抗して誕生したというその創設の精神が主流集団の言説に囲い込まれ、脱政治化が進んでいったことも事実である。多文化教育の実践では、ツーリストアプローチと揶揄されるような、食べ物(food)、衣装(fashion)、祭り(festival)など3Fのテーマを取り扱うだけの、異なる文化の表面的な理解に終始する取り組みが主流になっていったのである。
それが近年、アメリカの多文化教育においては、これまでの実践が社会的な差別構造の克服には必ずしも貢献してこなかったとの反省から、批判的な社会理論を取り込みながら、より平等で公正な多文化社会への変革をめざす原点回帰を志向した新しいパラダイム構築が進んでいるのである。
本書では、このアメリカの多文化教育における新しい動向をとらえる際に、一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけて展開した文化戦争に注目したい。この時期、アメリカにおいては、「文化多元主義」に代わり「多文化主義」という言葉が一般化するとともに、多文化共生のあり方についてさまざまな議論が展開されるようになった。
本書では、こうした動向を文化多元主義(サラダボウル)から多文化主義(ジャズ)への移行として整理するとともに、多文化教育の支える理論的な枠組みをめぐる新たなパラダイムの構築が進行しているものととらえたい。
では、この新しいパラダイムとはどのようなものだろうか。また、新たな文化認識のもと、多文化教育はいかに生まれ変わろうとしているのだろうか。本書では、アメリカで展開する多文化教育の最近の動向を手がかりにしながら、多文化共生をめざした教育の新たなあり方について考察したい。
さて、本書は、以下のように、四部一一章から構成されている。
第1部の「多文化教育のパラダイム転換」では、文化多元主義(サラダボウル)から多文化主義(ジャズ)への展開のなかで、アメリカの多文化教育では、どのような新たなパラダイムが構築されようとしているのかについて検討する。
第1章「文化多元主義から多文化主義へ」では、文化多元主義と多文化主義の概念を整理するとともに、文化多元主義から多文化主義への転換を示すことから、多文化教育の新たな理論枠組みを提示する。
第2章「文化概念の再考——サラダボウルからジャズへ」では、多文化教育が批判的社会理論の影響を受け、いかに展開しているのかを、サラダボウルとジャズのメタファーをもとに、前者から後者への転換という形で示すとともに、文化概念の再考という問題を考察する。
第3章「『白人性』への問いと多文化教育」では、一九九〇年代以降に大きな展開をみせている「白人性研究(whiteness studies)」の理論をもとに、これから求められる多文化教育の新しい方向性について検討する。
第2部の「多文化教育とカリキュラム」では、多文化主義をめぐる文化戦争の分析を通して、多文化教育カリキュラムのあり方について考察する。
第4章「高等教育カリキュラムと多文化主義——一般教育をめぐる文化戦争」では、文化戦争の引き金となったスタンフォード大学の一般教育カリキュラムの多文化主義論争に焦点を当てる。
第5章「初等中等教育カリキュラムと多文化主義——社会科の枠組みをめぐる文化戦争」では、スタンフォード大学の文化戦争を引き継ぐ形で展開した、カリフォルニア州およびニューヨーク州の社会科カリキュラムの枠組みをめぐる論争を検討する。
第6章「多文化主義の視点に立つカリキュラム構築」では、第4章と第5章の事例をもとに、多文化社会の新たな社会関係を構築するせめぎ合いとしての文化戦争の分析から、多文化主義のもとでカリキュラムをデザインするための編成原理について考察する。
第3部の「多文化教育と教育政策、教師教育」では、多文化教育における教育政策および教師教育の動向についてみていく。
第7章「多文化教育と学校改革」では、州レベルの多文化教育政策の動向を、カリキュラムのみならず、指導方法、評価、教師の態度、学校文化を含めたシステムとしての学校改革という視点から検討する。
第8章「多文化教育政策の類型と動向」では、クリスティン・スリーター(C. E. Sleeter)とカール・グラント(C. A. Grant)の多文化教育の五類型をもとに、州レベルの多文化教育政策を分類するとともに、その動向を明らかにする。
第9章「多文化教育と教師教育」では、多文化教師教育の歴史的な展開をみていくとともに、教師の意識変革を指向した多文化教師教育プログラムを紹介する。
第4部の「多文化教育と研究方法」では、新しいパラダイムのもとで、多文化教育研究をどのように進めていけばよいのか、その研究方法について検討する。
第10章「多文化教育研究への新しい視座——白人性研究の示唆するもの」では、白人性研究の知見から、これからの多文化教育研究に求められる新しい視座について提言する。
第11章「多文化教育研究と批判的エスノグラフィー」では、新しい文化観に立って多文化教育研究を進めていく一つの手法として、批判的エスノグラフィーという質的研究法を紹介する。
さて、本書は、筆者が「多文化教育とは何か」を追究してきたこの10年ほどの間に、学会誌、書籍、報告書などに執筆した論文(巻末の初出一覧を参照)を加筆修正してまとめたものである。とくに、多文化教育研究の最先端であるウィスコンシン大学大学院において、ラドソン=ビリングズ、グラント、マイケル・アップル(M. Apple)、ステイシー・リー(S. Lee)、ジョン・フィスク(J. Fiske)をはじめとする諸先生方から学び、博士論文に取り組んだことがもとになっている。
差異をどうとらえるのか、多文化主義とは何か、多文化社会における教育のあり方とはどうあるべきかなど、まだまだ研究の途上にあるが、この時点で、これまでの研究成果の一端を一つの形にすることにした。なお、アメリカにおいてパラダイム転換が進む多文化教育の新しい動向を明らかにするという本書の意図が達せられたかどうかは、読者の皆様からの忌憚のないご批評を待ちたい。