目次
はじめに——私の研究遍歴(西川 潤)
本書の構成(西川 潤)
第1部 世界・地域経済の諸相
第一章 「貧困削減」国際開発戦略の脱構築に向けて(佐藤元彦)
第二章 米国の対外不均衡と為替レートの調整機能(岩壷健太郎)
第三章 中米における民族和解のその後——宗教と記憶を巡る考察(田中 高)
第四章 インドネシア共和国南スラウェシ州における住民参加型開発事業と社会ネットワーク(宇山かや子)
第五章 バングラデシュのコミラモデル——先進国が持ちこむ農村開発の虚実(鈴木弥生)
第六章 マーシャル諸島ヒバクシャから見た世界——アイルック環礁の調査から(竹峰誠一郎)
第七章 インドネシア地方分権化後の文化・観光政策と貴族の葛藤——東カリマンタン州の事例から(奧島美夏)
第八章 地理教科書・辞書に見る世界認識(大平隆彦)
第九章 「長野モデル」の真髄を学びなおす
——「命に値段がつく日」ではなく「命を皆で支え合う日」を迎えるためにも(小幡詩子)
第2部 内発的発展とエンパワーメント
第一〇章 東アフリカの内発的発展(阪本公美子)
第一一章 集団行動で検証する内発的発展——メゾ理論化の試み(山内富美)
第一二章 農山村社会における内発的発展の起動要因
——福島県伊南村大桃集落を事例として(劉 鶴烈)
第一三章 中国NGO「打工妹之家」に見る女性出稼ぎ労働者のエンパワーメント(大路紘子)
第一四章 先住民族の文化遺産保護における自決の原則
——オーストラリアと日本の二つの博物館の事例(長谷川由希)
第一五章 西北インドSEWAによる貧困層女性のエンパワーメント
——意識化促進プロセスの検証(本多かおり)
第一六章 インド・グジャラート州における女性の平和構築
——SEWAはコミュナル暴動にどう対処したか?(菅沼 愛)
第一七章 ラダックにおける教育NGOの始めた内発的発展(丸山陽子)
第一八章 東南アジアのNGOがめざす平和と発展
——カンボジア仏教NGOによる内発的な人間の安全保障(野田真里)
第3部 経済学の革新
第一九章 異質的相互作用エージェントの功利主義とモラル・サイエンスの進化(有賀裕二)
第二〇章 不変の価値尺度と現代経済学(八木尚志)
第二一章 再生産と剰余の経済学——カンティロンとケネー(黒木龍三)
第二二章 シュンペーターと思想の進化(中山智香子)
英文目次
西川潤 年譜(西川 潤)
西川潤 主要著作目録
あとがき(八木尚志・清水和巳)
執筆者紹介
前書きなど
はじめに——私の研究遍歴(西川 潤)
私が早稲田大学で教えはじめたのは一九七〇年からのことだが、それから三六年間、私の学問にもいくつかの変遷があった。私の退職に際して、若い友人たちや教え子たちが本書を編んでくださることになったのだが、この三〇数年の研究教育の歴史の中で、それぞれの時点における問題意識を皆さんが真摯に受け止められて、それぞれの立場からさらに私の問題意識を展開していただいているのには感謝の言葉もない。
いま考えてみると、やはり私は一生の学問的課題として、開発・発展の問題を追究してきたと思う。開発学に関する今日の見方に到達するまでにたどった知的遍歴を省みると、それはアメリカ製社会科学の直輸入とは異なった日本の知的風土に根ざした開発学の形成、展開を振り返ることにもなるのではないか、とひそかに思うところもないわけではない。
本書では第1部で、世界・地域経済の諸相の分析、第2部では、私どもがある程度その展開に関わった内発的発展の理論と社会開発、社会的弱者のエンパワーメントへのアプローチ、第3部では、教歴の初期に行った正統派経済学批判に、それぞれ関連した諸論稿を集めている。いま、私の研究遍歴を振り返ってみると、次のようないくつかの時期を区分することができると思う。つまり、第一には一九六〇年代、ヨーロッパ近代化論を摂取し、市民社会論に傾倒した時期、第二には一九七〇年代、欧米起源の近代化論に対抗して南の世界、第三世界で形成された構造学派、従属論の紹介・適用に努めた時期、第三は一九八〇年代、アジア発の発展論として内発的発展論の理論的彫琢に加わった時期、第四は一九九〇年代半ば以降、新たにそれまでの開発概念、即ち豊かさと貧しさの概念を見直し、その手段としての市民社会理論に再び着目した時期、これらの諸時期である。この四つの時期において私の開発観がどのように変化してきたかを、私自身の学問的到達点を明らかにするためにも、ここで整理してみたい。
このように時代区分をしてみると、ここに集められた諸論稿がある面では、私どもが手をつけた分野をさらに深めていること、また他の面ではさらに進んで社会科学面での新境地を開拓していることが読者に理解していただけると思う。
(中略)
本書の構成
ここでは本書の構成について述べておきたい。全体は三部に分かれている。
第1部「世界・地域経済の諸相」は、主として、世界経済、地域経済についての支配的見方を再考し、より現実に迫ろうとする意欲的な論文を集めている。
第一章・佐藤元彦「『貧困削減』国際開発戦略の脱構築に向けて」は、世界銀行など国際機関の「貧困削減」戦略が貧困者を客体化することによって、グローバリゼーションの補完物化している実情を明らかにし、実効性を持った貧困削減戦略の再構築のためには、南の人々の主体性の回復が必要であることを示している。
第二章・岩壷健太郎「米国の対外不均衡と為替レートの調整機能」は、世界経済の安定に大きな責任を持つアメリカ経済が、財政赤字・経常赤字の「双生児の赤字」を続け、変動為替制の下でも必ずしも対外均衡が実現しない状況を理解するために、アメリカ経済の生産性上昇、政府支出増大など「外生的要因」と為替レート変動間の関係を分析し、為替調整の働かないメカニズムを論じている。
第三章・田中高「中米における民族和解のその後——宗教と記憶を巡る考察」は、ニカラグアとエルサルバドルにおける内戦後、民族和解がどのように政府・民族諸団体の努力により進められているか、平和構築の過程をたどる中で、内戦の最大の犠牲者であった貧困層がいまだ社会の中で必要な発言の場を確保していない事実を明らかにしている。
第四章・宇山かや子「インドネシア共和国南スラウェシ州における住民参加型開発事業と社会ネットワーク」は、JICA(国際協力機構)やNGO(非政府機関、国際開発協力団体)が南スラウェシで行っている社会開発・参加型開発のモデル事業を村に住み込んで調査し、ODA(政府開発援助)やNGOの開発プロジェクトが、現地社会の社会ネットワークを考慮しないで進められるとき、それは既存の権力機構の強化、地元社会内の格差拡大を導くことを論証している。
第五章・鈴木弥生「バングラデシュのコミラモデル——先進国が持ちこむ農村開発の虚実」は、バングラデシュ農村で、日本とアメリカが農村のコミュニティ開発のモデル・プロジェクトとして支持している「コミラモデル」が、実際は地方有力者の立場と富と機会の強化に用いられ、最貧層の立場改善に至っていないことを分析している。
第六章・竹峰誠一郎「マーシャル諸島ヒバクシャから見た世界——アイルック環礁の調査から」は、アメリカのビキニ水爆実験のヒバクシャとなったマーシャル諸島住民が「核被爆はない」とするアメリカ政府に対し、自らの権利回復のためにいかに闘ったか、これらヒバクシャの現在の生活、要求は何かを、現地調査の上に明示し、平和の実現のために「見えざるものを見とおす」視点の重要性を強調している。
第七章・奧島美夏「インドネシア地方分権化後の文化・観光政策と貴族の葛藤——東カリマンタン州の事例から」は、地方分権化政策により政治的役割の増大する宮廷や貴族の現代的役割を問うている。貴族たちは大きな文化的資源を背負っているが、それを民主的国作りのために活用するには、貴族たちの自己変革が必要になる。
第八章・大平隆彦「地理教科書・辞書に見る世界認識」は、日本の辞書、また、中学、高校で用いられている地理教科書の世界の国名や人名の表記、また、歴史的事実の表現がしばしば、欧米流の呼び方や単純な誤記を含んでいる事実を調べ、正確な世界認識が正確な表記から始まるべきことを訴えている。
第九章・小幡詩子「『長野モデル』の真髄を学びなおす——『命に値段がつく日』ではなく『命を皆で支え合う日』を迎えるためにも」は、信州の長野県佐久市で医療と保健を統合した「長野モデル」をつくり上げた若月俊一の業績を検討し、このような地域モデルがその後、いかに発展したか、またフィリピンとの関わり合いを通じて、どのように「国際保健医療モデル」として展開しているかを分析している。
第2部「内発的発展とエンパワーメント」は、それぞれの地域において、内発的発展、また住民参加によるコミュニティ発展とエンパワーメントの諸相を検証している。
第一〇章・阪本公美子「東アフリカの内発的発展」は、著者が五年間在勤したタンザニアで、国際機関が持ち込む「社会開発」は通りいっぺんのものに終わるが、住民自身のそれぞれの民族集団の文化を背景とした独自の発展過程が進行していることを見い出し、それを土台に、アフリカの地域社会の条件に即した文化と社会の統合モデルを構想している。
第一一章・山内富美「集団行動で検証する内発的発展——メゾ理論化の試み」は、内発的発展を社会集団の行動分析という、メゾ・レベルでの社会心理学的分析で捉えようとするもので、ネットワーク論を援用しつつ、内発的発展をよりオペレーショナルな次元で展開しようとする試みである。
第一二章・劉鶴烈「農山村社会における内発的発展の起動要因——福島県伊南村大桃集落を事例として」は、会津地方の過疎化する中山間地での現地調査により、地域興しの起動要因を具体的に調べた研究である。とりわけ、人的資源と社会規範(信頼、交流など)の役割が強調される。キー・パーソンと地域文化の役割が内発的発展にとって重要であることが分かる。
第一三章・大路紘子「中国NGO『打工妹之家』に見る女性出稼ぎ労働者のエンパワーメント」は、高成長の中国で見られる出稼ぎ労働力、特に女性の労働者を支援するNGOの思想、行動、サポート効果を現地調査に基づいて分析している。十分な社会的サポートなくして大都会に放り出される女性たちのエンパワーメントにどの程度、NGOが役割を発揮できるかを、中国で検証した貴重な研究である。
第一四章・長谷川由希「先住民族の文化遺産保護における自決の原則——オーストラリアと日本の二つの博物館の事例」は、メルボルン博物館におけるアボリジニ展示の更新と、北海道の開拓記念館におけるアイヌの民族展示の検討を通じ、いかに先住民族の文化遺産保存・展示・解説に先住民族自身の意思決定力が働くようになってきたか、その変遷を示している。さらに先住民族の立場に立った展示のためには、民族自決の原則に立った先住民族政策が必要であることを論じている。
第一五章・本多かおり「西北インドSEWAによる貧困層女性のエンパワーメント——意識化促進プロセスの検証」は、インド西北部で発達している女性自営労働者協会(SEWA)で行われている研修コースの分析を通じて、いかに社会底辺の貧困女性が自分たちの置かれた状況を認識し、自分と社会の関係を理解し、そして他者と社会に対する発言力を獲得していくかを、明らかにした。
第一六章・菅沼愛「インド・グジャラート州における女性の平和構築——SEWAはコミュナル暴動にどう対処したか?」では、同じSEWAが二〇〇二年に起こったヒンドゥー、イスラム両宗派の衝突、コミュナル紛争勃発後、シャンティパス・センターを開設して、両教徒の和解に努めるその方法・効果・評価を、センター活動に参加観察してまとめた。
第一七章・丸山陽子「ラダックにおける教育NGOの始めた内発的発展」は、インド北方ヒマラヤ山岳地帯のチベット系少数民族地域ラダックで、近代化の中で人々が自らのアイデンティティを失い、社会が荒廃していく過程で、伝統文化、民族言語に根ざした教育の実施を青年学生のNGOが始めた事例に着目し、このような教育発展が地域の立て直しに及ぼした役割を調べている。
第一八章・野田真里「東南アジアのNGOがめざす平和と発展——カンボジア仏教NGOによる内発的な人間の安全保障」は、主としてカンボジアにおけるNGOや仏教者たちが、まず伝統文化たる仏教の刷新を通じて、内発的平和形成の運動をどう進めているか、そこでの課題は何か、を分析したものである。
第3部「経済学の革新」は、経済学研究で、西川指導下に、経済学批判を学んだ四人の論文を集めている。有賀、八木、黒木はいずれも新古典派を批判するポスト・ケインズ派、とくにスラッファ経済学の立場から主流派経済学に対するオルターナティブを提起している。中山は経済思想史の分野で、シュンペーターの進化経済学の起源を論じている。なお、第3部では数式が頻出する論文が多いため、この部のみ横組みとしたことを申し添えておく。
第一九章・有賀裕二「異質的相互作用エージェントの功利主義とモラル・サイエンスの進化」は、西欧的な個人主義ベースの功利主義に代わる経済学の思想的基礎として、古代中国の墨家思想に注目し、墨子の強調する兼愛、人々が交々にあい利する(交相利)集団主義的道徳律を引き出し、異質性を重視しながら、かつ相互の利益をはかる「アジア的」功利主義の可能性を論じている。
第二〇章・八木尚志「不変の価値尺度と現代経済学」は、リカードウが探究した不変の価値尺度の問題に対して、スラッファ、パシネッティ、ヒックスを手がかりに、標準生産性指数、標準所得指数、通時的標準商品、通時的標準労働などの新たな概念を構築し、不変の価値尺度の探究に対するひとつの解答を提案している。
第二一章・黒木龍三「再生産と剰余の経済学——カンティロンとケネー」は、再生産とそこに占める剰余の概念を明確に示したうえで、経済全体を通じての市場機構や競争の分け隔てない貫徹を描いたカンティロンの経済学と、土地という「自然」の持つ生産性を強調したケネーら重農学派の経済学との相違を、モデルを通じて示している。
第二二章・中山智香子「シュンペーターと思想の進化」は、シュンペーターにおけるワルラスとマルクスの影響について考察し、シュンペーターの経済学が、経済学の次元でも、また思想の次元でも、人間学的なバイアスを取り除いた経済の自己発展のメカニズムを明らかにしようとしたことを論証した。ここに、オーストリア学派から切り離された進化主義経済学が生まれる。
これらの論文はいずれも、理論を理論として奉るのではなく、絶えず現実と突き合わせる中で、理論(現実世界解釈の手段)の発展をはかっていくという、西川ゼミのよき伝統を受け継いでいる。あるいは世界経済システム分析に影響を受け、あるいは、文化と内発的発展、弱者層のエンパワーメントから出発し、あるいはまた、経済学批判から始まり、それぞれの分野で開発、発展、グローバリズム、これらを分析する経済学、社会科学の再吟味を、それぞれ独自の問題意識に基づき、具体的な事例を通じて進めている。世界システム論や内発的発展、社会開発、そして経済学批判の研究を若い世代が一段と進め、新しい世界と地域を見る視点を築きつつ、平和な世界を展望している知的情況がここに見てとれることは、まことに心強いかぎりである。現実世界の再解釈による開発、発展概念の進展、また、ひろく学問と現実の関係に関心を持たれる読者にとってのよい参考となることを、編者としては期待したい。