目次
はじめに 21世紀の言語教育を創る(川上郁雄)
第1部 「移動する子どもたち」への言語教育を考える
第1章 年少者に対する日本語教育の課題(川上郁雄)
第2章 年少者日本語教育実践の観点(川上郁雄)
——「個別化」「文脈化」「統合化」
第3章 「JSLバンドスケール」の考え方と方法論(川上郁雄)
第2部 「移動する子どもたち」への日本語教育実践
「ことばの力」を育成する実践
第4章 「定住型児童」の対話と協働学習による「読む力」の育成(籔本容子)
——「イメージ化」を取り入れたピア・リーディングの実践をもとに
第5章 JSL児童の「読む」力と「自己有能感」の育成を目指した日本語教育支援(森沢小百合)
第6章 日本語力の伸長を視野に入れた漢字指導を目指して(武蔵祐子)
——内容重視の漢字指導の提案
「ことばの力」を捉え直し、主体性を育む実践
第7章 母語を活かした日本語指導(朴 智映)
——韓国人児童への支援を通して
第8章 JSL生徒の多様なリテラシーと日本語能力をどう捉えるか(太田裕子)
第9章 年少者日本語教育におけるスキャフォールディングの意味(齋藤 恵)
——あるJSL生徒の日本語支援における学びの記録から
子どもを支えるネットワークの構築へ
第10章 「JSLバンドスケール」を使った在籍クラスと日本語指導の連携による教科指導(間橋理加)
——小学校高学年JSL児童の場合
第11章 実践共同体形成と児童の学び(小池 愛)
——国語授業で学びを支えるコミュニケーション力を育む
第12章 「JSLバンドスケール」をどう使うか(渡辺啓太)
——年少者日本語教員に必要なことは何か
地域で子どもたちを育てる
第13章 ことばの力を育てる「わにっ子ワンデイキャンプ」
(渡辺千奈津・青木優子・裔立苒・韓萬基・山■遼子[■は崎の大が立]・岩本真理子・河上加苗・引地麻里)
——人と人との関係性の中で学ぶ「協働」実践の試み
第3部 年少者日本語教育をめざす人々のために
年少者日本語教育に関わる「研究書紹介」
年少者日本語教育に関わる「論文解題」
あとがき
執筆者紹介
前書きなど
はじめに
21世紀の言語教育を創る(川上郁雄)
近年、日本で増加している「日本語を第一言語としない子どもたち」を見ていて気づくことがある。それは子どもたちが「移動している」という点である。文化人類学者のアルジュン・アパデュライ(Arjun Appadurai, 1996)がかつて「グローバル・エスノスケープ」(global ethnoscapes)と呼んだトランスナショナルな大量人口移動の風景は確実に日本にも立ち現れている。「外国人労働者」「難民」「留学生」「研修生」「国際結婚」「日本人の配偶者」「不法滞在者」などとカテゴリー化される人々の随伴する子どもや、日本で生まれた子どもが日本国内において確実に増加している。子どもに近づいてみれば、子どもの親も子ども自身も複数の国や地域の間を「移動」していることがわかる。ある子どもは夏休みになるたびに、1人で祖国に「一時帰国」「一時滞在」したり、ある子どもは親が祖国や第三国に一時的に「移動」したため日本に残ったり、またある子は日本国内においても親の都合で「国内移動」をせざるをえない場合もある。「移動する子どもたち」とは、親の都合や子ども本人の理由も含め「移動せざるをえない子どもたち」とも言えよう。
そのような「移動」とは、空間的に越境するだけではない。言語間の「移動」も意味する。たとえば、家庭では母語を使い、学校では日本語を学ぶ場合や、家庭でも両親とは母語で、きょうだいで遊ぶときは日本語、あるいは、父親と日本語で、母親とは母語でコミュニケーションをとる子どもたちがいる。「移動する子どもたち」とは、空間的にも、言語間的にも、「移動する子どもたち」あるいは「移動せざるをえない子どもたち」なのである。
本書は、そのような二重の意味で「移動する子どもたち」「移動せざるをえない子どもたち」の言語教育に焦点をあてる。ここで課題となるのは、「言語学習」が分断されざるをえない、そのような子どもたちの言語発達をどのように確保していくかという課題である。それは「第一言語」であれ、「第二言語」の日本語であれ、子どもの「考える力」「生きる力」としての言語能力の育成という課題である。年少者日本語教育も、まさにその課題にどう関わるかが問われるからである。
本書は、このような問題意識にもとづき、早稲田大学大学院日本語教育研究科で行われた年少者日本語教育の実践研究をまとめたものである。もうひとつの特徴は、2002年度から同大学院の「年少者日本語教育研究室」で研究開発されてきた「JSLバンドスケール」をもとに日本語教育を行ってきたという点である。この「JSLバンドスケール」とは、日本語を第二言語として(Japanese as a Second Language: JSL)学ぶ子ども(以下、JSLの子ども)の日本語能力を把握するために開発された「ものさし」である。詳細は、本書の姉妹編である『JSLバンドスケール小学校編』『JSLバンドスケール中学・高校編』(明石書店、近刊)をご覧いただきたい。
本書の構成は以下のとおりである。
第1部は、川上が「移動する子どもたち」への言語教育をテーマに、第1章でまず「年少者に対する日本語教育の課題」を概観し、本書が扱う基本的問題について論じた。続く第2章では、「年少者日本語教育実践の観点」をテーマに日本語指導を実際に行う場合の観点と方法論について実践を交えながら論じた。第3章では、本書の特徴となる「JSLバンドスケール」の考え方と方法論について論じている。それは、「日本語能力」の捉え方が日本語指導のあり方を決定するという視点から、「JSLバンドスケール」の言語能力観、日本語能力の把握の方法、複数視点による協働的把握と協働的実践への道すじを論じた。
第2部には、日本語教育研究科の「年少者日本語教育研究室」の院生たちが、「JSLバンドスケール」によりJSLの子どもたちの日本語能力を把握しつつ、自ら行った日本語教育実践研究の論文を配している。早稲田大学大学院日本語教育研究科は2002年度に、大学の地元である新宿区の教育委員会と「日本語教育ボランティア」に関する協定を締結した。それにより、本研究科の院生が新宿区内の公立学校に派遣され、「日本語指導が必要な児童生徒」にボランティアで日本語指導を行っている。本書の第2部の実践研究はその成果でもある。
まず、「ことばの力」を育成する実践として3本の論考を紹介する。籔本容子論文(第4章)は、小学校に在籍する「定住型児童」を対象にピア・リーディング実践による「対話と協働学習」を通じて「読む力」の育成をめざした研究である。日本語能力に差があるJSLの子どもたちのグループでどのように言語能力を伸長するかがテーマである。
森沢小百合論文(第5章)は、JSLの子どもの読む力を育成する過程で見えた子どもと支援者の間の関係性から「支援」(スキャフォールディング)のあり方が変化することを詳述している。その方向性は学習者である子どもの「自己有能感」の育成につながると論じている。
武蔵祐子論文(第6章)は、日本語学習の中でJSLの子どもたちの負担になる漢字学習をテーマにしている。武蔵は、子どもの興味や関心を生かし、内容を重視した漢字指導を試みている。JSLの子どもへの漢字指導のあり方に問題提起する論考と言える。
続く3本の論考は、「ことばの力」を捉え直し、学習者の主体性を育む実践である。朴智映論文(第7章)は、韓国語を母語とする小学生のJSLの子どもに対して、韓国語母語話者でもある朴が、母語である韓国語の育成も図りつつ、日本語の指導を行った実践について論じている。母語のわかる支援者による日本語指導のあり方を考えるうえで示唆的な論考である。
太田裕子論文(第8章)は、中学生の興味や特性を生かしたユニークな日本語指導について論じている。中国からきた子どもを対象に、支援者との間で、学習内容やテーマを発展させながら、学習者である子どもの主体的な学びのプロセスを設計しようとした意欲的な実践研究である。
齋藤恵論文(第9章)は、JSLの中学生への日本語指導を通じて、年少者日本語教育におけるスキャフォールディングとは何かについて論じた貴重な論考である。学習者の主体性を生かす日本語指導のあり方を問題提起している。
次の3本の論考は、子どもたちを支えるネットワークの構築に焦点をあてた研究論文である。間橋理加論文(第10章)は、いわゆる取り出しによる個別指導と在籍クラスとの連携による教科指導をどう行うかを論じている。そのためには、日本語指導の中で子どもの言語能力を把握し、それにもとづく日本語指導と教科指導をつなげていく視点が重要であることを強調する。
小池愛論文(11章)は、日本で育ったために日本語が「第一言語」となっている子どもと近年入国したために日本語を「第二言語」として学ぶ子どもが「国語」の授業の中でいかに学びあう関係になるかを実践共同体の形成に視点をおきながら考察した論考である。
渡辺啓太論文(第12章)は、「JSLバンドスケール」を使い、日本語指導を行う支援者をテーマに論じている。年少者日本語教育に必要な専門性のある教員の養成をどう行っていくかについて正面から論ずる論考と言えよう。
最後の論文(第13章)は、大学院生たちの学生サークル「早稲田こども日本語クラブ」の実践研究である。新宿区教育委員会と新宿区立小中学校、および日本語教育研究科を結び、年少者日本語教育のボランティア活動を通じて、社会貢献と教員育成を同時に追求する「早稲田モデル」の中で、学生たちは、毎年2回、自主的に「わにっ子ワンデイキャンプ」を運営してきた。本論文は、その「わにっ子ワンデイキャンプ」に参加するJSLの子どもと日本語母語話者の子どもの相互のやりとりを通じて「ことばの力」を育成する試みについて論じている。
第3部の「年少者日本語教育をめざす人々のために」には、年少者日本語教育に関わる「基本研究書の紹介」と「基本論文の解題」を配した。これらは、「年少者日本語教育研究室」が独自に選出した研究書および研究論文である。第2部の実践研究の先行研究としても参考にし、研究室でも勉強し、検討した研究ばかりである。これから年少者日本語教育をめざす人には、ぜひ読んで参考にしてほしいものである。
以上が、本書のあらましである。本書は、早稲田大学大学院日本語教育研究科「年少者日本語教育研究室」が2002年度からこれまで実践研究を重ねてきた成果である。毎週、研究室で、教室で資料を読み、実践を振り返りながら、長時間議論を重ねてきた論考である。院生たちの論考の多くは、修士論文や実践研究論文としてすでに公表されているものもあるし、改めて、書き下ろしたものもある。いずれも、今後の年少者日本語教育の地平を切り開くべく果敢に挑戦した論考である。
なお、本書で使用される「JSLバンドスケール」は検証用として開発された「試行版」をさしている。本書の姉妹編として刊行される予定のものと内容は基本的に変わらないものである。