目次
教室に生まれる文学の言葉 佐藤 学(東京大学教授)
はじめに
1 読むこと 学び合うこと
1 今、「学び合う学び」への転換を
2 文学に出会う喜び、ことばに触れる愉しみ
2 「学び合う学び」が読みをひらく
1 草野心平「春のうた」をたのしむ
2 河井酔茗「ゆずり葉」を読む
3 宮沢賢治「やまなし」を読み味わう
3 「学び合う学び」が成立するとき
1 一人ひとりのテキストとの対話から
2 聴き合い、つなぎ合う学びに
3 聴ける教師、つながりの見える教師に
4 テキストへの戻しが読みの基本
5 「学び合う学び」が深まるとき
6 グループ、ペアで、すべての子どもの学びを
7 多様な読みを交流する愉しさ
解説 石井順治さんに学ぶ——秋田喜代美(東京大学教授)
前書きなど
はじめに
文学の授業のあり方は、ふるくて新しいテーマである。日本の国語教育はあまりにも文学に偏り過ぎたと言われるほどその取り組みの歴史は長い。それでいて、その授業のあり方については依然としてかまびすしい論議が続いている。それはそのまま文学の複雑さと、奥深さと、それでいて決してなくなることのない魅力を表していると言っていいだろう。
子どもたちの学力低下が社会問題化し、「ゆとり教育」が諸悪の根源であるかのような取り上げ方をされ、総合学習に対する熱が急速に冷える中で焦点化されてきたのは「ことばの教育」である。中でも、経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)において日本の一五歳の子どもの読解力が一四位に凋落したことを受けて、子どもたちの文章を読む力が問題視された。文部科学省は国語力向上事業を立ち上げ、文化庁は「これからの時代に求められる国語力について」の答申を出し、「文字・活字文化振興法」も制定した。こうして、日本の学校は、「国語力」、「国語力」の大合唱状態になった。
長年、国語教育を軸に子どもの教育にかかわってきた一人として、ことばの教育に光が当てられたことは歓迎ではある。けれども、どうしてもっと腰を落ち着けて子どもの教育を考えることができないのかと、その一貫性のないゆれ方にあきれてしまう。ことばの教育がどれだけ重要なものであるかは、言をまたないことではないか。ことばは、自己の存在を見つめ、複雑で多様な世界と出会い、他者とのつながりを築く、つまり生きていく私たちにとって欠かすことのできない大切なものである。にもかかわらず、調査の結果を受けてあわてて対策を講じるなど、場当たり的体質そのものである。
私は、数多くの子どもたちとの授業を通じて、文学を読む魅力は、自分にはない人生を生きられることだと思うようになった。ことばに出会い、ことばに触れ、そのことばを通して出会うことのできるもの、それが読み手である子どもたちの喜びになり、愉しみになる。その味わいを深めることこそ、文学の授業の本来のすがたではないかと思うようになった。そして、今、話題になっている「ことばの力」を、こと文学の読みに関しては、そういう喜びや愉しみを生み出すものとして子どもたちに伝えていきたいと思っている。
その一方で、子どもが「学ぶ」とは、一方的に知識を伝達されるものではなく、子どもが考え、探求し、発見するものでありたいとも考えてきた。そして、そのような発見的・探求的な学びには、他者との協同的なかかわりが不可欠であり、他者関係が希薄化する今、学び方としても生き方としても「学び合う学び」に転換する必要があるのだとも考えてきた。そうしないと、学力はおろか、人間性や社会のあり方にまで影響を及ぼすことになると思うからである。
本書は、そうした私の文学の授業への模索と「学び合う学び」への挑戦の接点から生まれたものである。とは言っても、すでに退職して四年目を迎える私には授業をする場はない。しかし、ありがたいことに、退職以来各地の学校を訪問し、毎日のように教師と子どもとのいとなみに立ち会いそのあり方についてともに考え合う機会を得てきた。そうした日々の授業へのかかわりの中から、本書に紹介した授業が生まれた。
そういう意味で、2章に収めた授業の授業者である足立信子さん、佐藤直子さん、川端紀代美さんに心からのお礼を申し上げるとともに、素敵な学びの事実を提供してくれた子どもたち、写真の掲載を了解してくれた子どもたちや保護者の皆様に感謝のことばを呈したい(子どもたちの名前は仮名としました。ご了承ください)。
さらに、こうした私の活動をいつも支えてくださったばかりか、本書に温かいおことばを寄せてくださった佐藤学先生、秋田喜代美先生に厚く厚く御礼を申し上げる。私の現在は、お二人との出会いとつながりなくしてはありえない。そのお二人にことばを頂いた書を出せる幸せをみ締めている。
仲間とつながり合い学び合ういとなみを通じて、文学の読みをひらいた子どもたちが、豊かな未来を切りひらいてくれることを祈りつつ。感謝合掌。
二〇〇六年九月 著者