目次
日本の読者への序
謝辞
図表一覧
第一章 序論:日本における社会的排除の研究
第一節 児童福祉(養護)制度を基礎づける諸問題の日英比較検討
第二節 本書の構成
第二章 日本における児童福祉(とくに児童養護)制度の仕組と展開
第一節 児童相談所
第二節 母子寮(母子生活支援施設)
第三節 教護院(一九九七年法改正により児童自立支援施設と改称)
第四節 乳児院(あるいは乳幼児入所型保育施設)
第五節 児童養護施設
第六節 一九九七年児童福祉法改正
第三章 児童養護施設の運営と職員配置
第一節 画一性と相違(格差)
第二節 民間児童養護施設の運営(と経営)
第三節 職員配置
第四節 職員の給与・手当およびその他の待遇
第五節 児童養護施設職員の諸資格
第六節 児童養護施設の職員募集・採用
第七節 児童養護施設で働く動機
第八節 直接処遇(養護)職員の役割と業務
第九節 保育士と児童指導員の分業体制
第一〇節 人材確保とキャリアー問題
第一一節 労働組合
第一二節 職員の現任研修(インサービス・スタッフ・トレーニング)
第一三節 児童養護施設の施設長
第一四節 ヴォランティア
第一五節 治療職(セラピスト)と治療的支援
第四章 児童養護施設における子どもの暮らしの仕組とその実際
第一節 子どもの生活集団の形成
第二節 個性の発達(開発)
第三節 階層(序列)制(Hierarchy)の発展
第四節 地域社会との関係(つながり)
第五節 地域社会が関与する行事(催し物)
第五章 子どもを守り育てる社会資源としての児童養護施設の有効性
第一節 子どもの福祉の物的・情緒的・身体的諸条件
第二節 児童養護施設児童の教育ニード
第三節 児童養護施設退所後の生活への備え
第六章 児童養護施設にかわる別選択肢としての社会的養護制度(資源):里親委託と養子縁組
第一節 里親委託
第二節 養子縁組
第七章 一九九〇年代の社会変動と児童養護施設の新たな役割:戦後体制・少子化問題・国連子どもの権利条約・児童虐待問題
第一節 変わらなかった児童養護施設:敗戦後から九〇年代後半まで
第二節 児童養護施設と出生率低下(少子化)問題
第三節 児童養護施設と国連子どもの権利条約
第四節 児童虐待問題の発見と児童養護施設
むすび:新たな児童養護施設の役割——その方向性
注記
訳者あとがき
文献
索引
前書きなど
訳者あとがき
本書は、Roger Goodman (2000) Children of the Japanese State: The Changing Role of Child Protection Institutions in Contemporary Japan, Oxford University Pressのほぼ全訳である(原著との異同については、本稿の三を参照していただきたい)。原著のとおりにタイトルをつければ、『日本という国家の子どもたち:現代日本における児童福祉(養護)施設の役割変容』というふうになろう。『日本の児童養護:児童養護学への招待』というタイトルは、できるだけ多くの日本人に読んでもらいたい著者・訳者(そして出版社)の意向から採用した。原著はトロント大学イト・ペン教授を含む多くの英語圏読者に好評を博し、訳者の入手した書評を読む限りでも、日本の児童養護制度、民間児童養護施設、同族経営、大規模集団養護依存、低劣な職員定数基準、児童相談所の実態などのような具体的な施策・制度の分析記述だけではなく、そうした記述を通じて日本社会の特性の一断面を社会人類学的にみごとに呈示した優れた業績であり、日本社会とは何か、日本人・日本国家とは何かを知るうえで不可欠な知的産物として読み続けられるであろう、と推奨されている。
一 本書の意義
本書は、イギリスの気鋭の社会人類学者による日本社会分析の成果である。日本社会の特性を分析する対象として、日本国民の多くの眼には依然として隠されている要養護児童(以下、養護児童と表す。諸事情で実家庭を離れ、国家責任による社会的養護に委託されており、大多数は大規模な入所施設で暮らす子どもたち)の扱われ方を設定している。著者が日本社会の特性分析を「帰国子女」研究から始め、後に「養護学校生徒(障碍児)」研究へ移ろうとしていた際に、はからずも遭遇した名実ともにマイノリティと規定するにふさわしい日本人人口(集団)が、養護児童であった(この調査対象の変遷については第一章に詳述)。こうした児童集団(養護児童)の扱いについては、児童福祉論(学)、児童養護論、施設養護論、養護原理などと題するあまたの刊行物、あるいは若干の里親・養子縁組関連文献に、歴史・法規・組織・職員・処遇理念などとともに、多様な様式・次元で記述されている。そうした刊行物・文献と本書の本質上の違いは、以下の三点(社会的排除概念の採用、民間施設経営の分析、児童養護系施設の役割の普遍化)に集約できよう。
1 社会的排除概念と養護児童
養護児童を社会的に排除されている典型的人口と位置づけていることは、日本における養護児童を対象とするこの種の研究では空前絶後の業績であろう。訳者もこの分野では研究してきたし、イギリスで進展している社会的排除研究の成果(すなわち自治体育成委託児——養護児童のこと——および同経験者——ケア・リーヴァー——の多くが社会的排除を被っていること)を知らぬわけではなかったが、養護児童を社会的に排除されたマイノリティ集団と真正面から範疇化するには至らなかった。おとなと子ども、非帰国子女と帰国子女、非障碍児と障碍児、一般家庭児と養護児童、日本社会におけるそれぞれの存在を政治・経済・社会的権力の中枢からの距離で測れば、最も遠い周縁に追いやられている人口はどれであるか容易に理解できよう。その人口は約四万人(全人口の約三〇〇〇分の一)にすぎず、中央・地方政府の政策対象としては極めて周縁的(マージナル)・残余的(レジデュアル)であり、親(保護者)・親族から身を賭して護ってもらえる可能性のほとんどない一群の子どもたちである。そのわずかな被社会的排除人口を日本国家がどのように扱っているか、これが日本社会の基本特性のリトマス試験紙であるというのが、著者の論点である(このことは訳者の実感とまったく一致する)。彼らのほとんどは、家庭に代わる環境からはほど遠い大規模な施設での集団生活を余儀なくされている。そうした施設の大部分は、さまざまな社会福祉法人が設置した民間施設である。したがって、著者の研究対象は、こうした子どもの大多数を日々集団で養護している民間児童養護施設へと向かわざるをえなかったのである。
2 民間児童養護施設経営(組織・運営)特性の分析
第三、四、五章が本書の中核であり、これらの章を構成する知見はすべて著者の八カ月間にわたるフィールドワーク(実地調査)に基づいている。ある典型的民間児童養護施設(西東京にある全国的に評判の高い同族経営の社会福祉法人施設)におけるヴォランティア活動を通じて実施された参与観察の成果は、社会人類学者としての面目躍如たるものがある。これまで、民間児童養護施設をここまで内部に立ち入って詳細に記述した研究業績・文献が我が国に存在していたであろうか。著者は児童養護施設の同族経営システムについての分析結果を示し、社会人類学的に優れた成果を提供しているが、そのシステムそのものへの評価(存在意義・功罪に関する)については(学術研究者としては当然ながら)中立を保ち、こうした民間施設(資源)依存の児童養護施策(養護児童に提供する日々の生活の質と水準が決まる)のなかに日本社会の(名実共にマイノリティな人口への扱い方の)特性を探っている。専門研究者のみならず、こうした民間児童養護施設への就職を希望している多くの社会福祉・保育専攻学生にとって、最も興味深い読み物となるのが本書のこれらの部分であることは確実であろう。
3 児童養護系施設の役割の拡大と普遍化
以上のような民間施設の分析の後に、(児童ソーシャルワーク機関であるはずの児童相談所の実態分析を踏まえ)施設に代わる児童養護施策の別選択肢(家族委託:里親委託と養子縁組)の検討をも並行して実施し、著者は最終的につぎのような結論に至っている。すなわち、出生率減少(少子化)の影響で一九八〇年代半ばには存続の危機にさらされていた児童養護施設は、国連子どもの権利条約の衝撃および家庭内児童虐待の「発見」により、九〇年代には新たな社会的役割期待に直面し、大改革期を迎えざるをえず、第二次大戦後最も大がかりな変容を遂げてきた。そして、二一世紀近未来における児童養護施設の役割は、これまで以上の多機能地域資源(地域における児童養護施策遂行の拠点)として拡大・開発されていくであろう。しかもそれは欧米(少なくともイギリス)モデルとはまったく異なったシステムであり続けるであろう。言い換えると、日本の児童養護施設(や乳児院あるいは一部の児童自立支援施設や母子生活支援施設、Child Protection Institutions)は、(児童虐待防止における警察的・危機介入的機能を除くと)児童ソーシャルワーク機関として機能する可能性のほぼ見込めない児童相談所の役割をも徐々に取り込み代替し(心理療法士、家庭支援専門相談員——ファミリー・ソーシャルワーカー——の導入のように)、今後もなおいっそう拡充を続け、その結果、地域総合児童社会サービス・リソースセンターとして変容してゆかざるをえず、(本書のコドモ学園のように)それに成功する施設とそうでない(旧態依然として実質「前の孤児院」と五十歩百歩の)施設に分かれていくであろう、と結論づけているといえよう。後者に留まる少なからぬ民間児童養護系施設に待ち受けている運命がいかなるものであるかは容易に想像できよう。このような著者の分析と展望に訳者もおおむね同意せざるをえないものの、かつて長嶋引退に模して、「児童養護施設は永遠です!」と酒の席で叫んでいた同族経営施設長の言葉が、逆説的にではあるが、脳裏に浮かんでくる。もっとも、こうしたシステムの永続が日本の養護児童のひとりひとりにとって最善の利益となるかどうかは、まったく別次元の問題であるには違いないのだが。
二 児童養護学について
本書の副題に「児童養護学」という言葉が登場しているが、これは日本的脈絡における本書の学術的アプローチを他の言葉では示し得ないので、著者や出版社の同意を得たうえでやむを得ず使用したものである。著者の主たる学術的アプローチは、社会人類学として包括できるであろうし、当初本書のタイトルを『児童養護施設の社会人類学』とさえ想定していたほどである。が、本書ではあえて児童養護学とさせていただいた。社会人類学そのものは、イギリスで発展した人類学のアプローチであり(アメリカでは文化人類学と呼ばれる)、社会・人文・自然科学の総合的な視野に立ち、あらゆる学術方法を駆使したフィールドワークに基づき、種族・民族・共同体・集団・社会・国家の文化構造・社会構造・事象・特性を分析する実証科学である。本書に通底する社会構築主義的分析視角は、九〇年代初めに著者と偶然に出会ってから以降、訳者が著者から影響を受け続けているものである。訳者は、七〇年代イギリスにおける「養護児童の声」運動の紹介・検討作業から、児童養護学を開始した。児童養護施策は既得権益者の都合でほぼ構築されているという訳者の認識は、著者との出会いで学術的再検討を迫られ、今日まで、施設養護、家族委託(里親委託・養子縁組)の日本的展開の分析をイギリスとの対比でおこなうようになってきている。その過程で、永年実感し、実証しようと温めてきた研究対象が、社会人類学的(とりわけ社会構築主義)アプローチで、かくも実質的に記述できるのであるか、著者から親しく学ばせていただいたことは訳者にとって大きな喜びである。
こうした観点から、訳者は本書を評価し、本書は日本における「児童養護学」の先駆的業績として位置づけられると考えようになった。では、児童養護学とは何か、どう規定されるのか、今後充分な定義づけや概念の精緻化が要請されるであろうが、現時点では一応つぎのように述べておこう。
「児童養護学とは、社会的養護を必要とする児童をある社会(国家)がなぜ(国際社会におおむね共通する方法とは異なる)固有の扱い方をしているのか、社会構築主義的観点から分析、その特性を究明し、その社会(国家)の属性(の一断面)を明確にする一学術分野である」。
このように規定すると、日本の児童養護が民間施設による集団養護に著しく依存している事実の前提となる民間児童養護施設自体の分析を、本書がほぼ包括的におこなっていることの意味の重さに気づく。これまでに訳者を含む日本の研究者が本書のような実証研究を怠ってきたことへの反省もおこなわなければならないであろう。そうした反省をふまえたうえで、この著者の業績の上に、我々自身がさらに新たな探求作業(実証研究)を積み重ね、日本社会の究極的社会構築物(読者よ悟れ)の脱構築を目指すに等しいほどの視野と覚悟のもとに、「永遠に続く」民間児童養護施設を濫用する児童養護(児童福祉)施策の脱構築に向けてささやかな歩みを進めなければならないのである。
三 原著との異同
原著は欧米英語圏の読者を対象としており、第二章は日本の社会福祉サービスの歴史と現行制度の概説(The Development and Delivery of Welfare in Japan)であり、全面的に割愛した。したがって第二章の内容を要約している序論の部分も省いている。その他、日本の都道府県地図(Map of Prefectures in Japan)、本文で使用されている新聞やその他の資料を表す略号の一覧表(List of Abbreviations for Newspapers and Reports Cited in the Text)、日本の固有名詞の英語表記やポンド/円換算などついての読者への注記 (A Note for Reader)、用語解説(Glossary : Including Dates of Major Periods in Japanese History)なども、日本人読者には不要であり割愛している。
さらに、原著とは異なる部分が他に三カ所ある。まず、原著第八章の第四節「児童虐待」の部分(Child Abuse, pp.160-174)は、著者の意向で(二〇〇〇年以降の展開を補充すべく)、大幅に加筆され頁数が増えている。第二に、その影響で、訳書の第七章の頁数が他章と著しく均衡を欠くようになり、同章の末尾にある結論部分(Towards A New Role for Child Protection Institutions in Japan, pp.175-179)をむすびとして独立させている。第三に、訳書には冒頭に著者による日本人読者への序文が加えられ、過去数年間の施策動向を本書の脈絡において紹介している。
以上の変更は、すべて著者および原著刊行元との協議を経ておこなわれている。
本書ができるだけ多くの日本人に読まれ、ひとりでも多くの国民がこのマイノリティ集団(養護児童)への日本国の扱いに眼を開かれるよう期待したい。こうした人口に対する扱いが、子どもひとりひとりの個別の発達の機会を保障し、自立した納税者となって日本社会を支える若者を育成するに相応しいシステムへと改革されるかどうか、読者にも責任の一端があることを確認するとともに、その責任遂行義務をひとりひとりが自覚してくださることを切望しつつ。
二〇〇六年春 水仙の香ただよう研究室にて
津崎 哲雄