目次
まえがき
第1章 中絶が非合法だった世紀転換期
1 「女性の純潔性」を重んじた改良へ
2 産児制限運動の歴史
第2章 中絶合法化と論争の始まり
1 ロウ判決 一九七三年
2 ロウ判決からウェブスター判決まで 一九七三〜八九年
コラム ノーマ・マッコヴィー——三〇年後のロウ判決破棄請求(二〇〇三年六月)
第3章 保守化する最高裁判所
1 最高裁の保守化——ラスト判決 一九九一年
2 大統領選挙から「消えた?」中絶問題——ケイシー判決 一九九二年
第4章 プロライフ攻勢の一九九〇年代——中絶戦争の時代、過激化するプロライフ
1 ケイシー判決以降の中絶をめぐる出来事
2 暴力への対抗手段
3 プロチョイス活動家とプロライフ活動家の平均像
第5章 プロチョイスとプロライフの指導者と会談して——一九九五年の訪問から
1 プロチョイスの指導者たち
2 プロライフの指導者たち
3 中絶問題の根底にあるものは?
第6章 活動家たちの実像と中絶医療の現在
1 一九九六年 ノースカロライナで
2 一九九七年 サンフランシスコとマウンテン・ヴューで
3 中絶医療の現在 二〇〇一年以後
4 フランシス・キスリング(CFFC)との対話
第7章 中絶問題と宗教
1 中絶問題と宗教の関係
2 カトリックによるプロチョイス運動
第8章 「部分出産中絶禁止法案」(一九九五年、九七年)をめぐるバトルとプロチョイス運動
1 一九九五年PBAB法案
2 一九九七年PBAB法案
3 法案に対するプロチョイスの認識
4 プロチョイス運動内の論議
5 アメリカ社会に与えた影響
コラム グローバル・ギャグ・ルール
第9章 「中絶ピル」RU‐四八六と緊急避妊薬(ECP)をめぐって
1 「中絶ピル」RU‐四八六の認可 二〇〇〇年
2 緊急避妊薬をめぐって
コラム W・ブッシュ、連邦最高裁判事の入れ替えか
第10章 「部分出産中絶禁止法」の復活成立(二〇〇三年)
1 ネブラスカ州「部分出産中絶禁止法」の違憲判決 二〇〇〇年
2 二〇〇三年連邦議会における「部分出産中絶禁止法」復活と成立
コラム ステムセル研究への連邦補助金部分的認可(二〇〇一年八月)
第11章 中絶や性と生殖・避妊をめぐる日米比較
1 優生保護法から母体保護法へ 一九九六年
2 避妊ピルようやくの認可 一九九九年
第12章 二一世紀も続く論争
1 胎児は法的に一人の人間か?
2 同性愛行為は憲法違反にあらず
3 同性愛カップルの結婚を認めるか
あとがき
前書きなど
まえがき
二〇〇三年三月、イラクで戦争を開始したジョージ・W・ブッシュ大統領の政権では、もうひとつの戦争が静かに確実に行われていた。妊娠中絶をめぐる戦争である。この戦争は、アメリカ国内でもイラクの戦況報道にかき消されて一般の人々の目にはとまりにくく、関心を持つ一部の人たちにしか知られていない。共和党による「部分出産中絶禁止法」という名称の法案が、事の発端である。この法案は、妊娠後期、まれに中期のやむをえない中絶に使われている手術方法を、連邦法で禁じようとするものである。この法案は、実は一九九五年以来二度連邦議会で可決されたが、いずれも時のクリントン大統領の拒否権によって成立を免れていたものだ。同様の州法は、二州について連邦最高裁判所で争われ、二〇〇〇年までにはいずれも憲法違反との連邦最高裁判決が下された。しかし、中絶絶対反対派のW・ブッシュ政権となり、上下両院とも共和党が多数派を握った二〇〇三年初め、またもや連邦議会に提出されたのである。
さらに、連邦議会でも州においても、生まれ出る前の、まだ女性の子宮内にいる胎児に一個の人格として法的地位を与える動きが、起こっている。妊娠中の女性殺害事件の場合に、その犯人を女性殺しの罪に問うだけでなく、胎児の殺人者としても起訴するケースや、妊婦に過度の飲酒癖がある場合に、「おなかの子への虐待」という理由で逮捕したり拘束したりする地域も出現している。連邦議会でも州議会でも様々な名称で、「胎児を守る」法律を制定する動きがとめどなく続いている。
アメリカ社会では、中絶が合法となった一九七三年以来今日に至るまで、中絶は、日本のように「安全に」「確実に」「世間からの攻撃を受けることなく」ひっそりと行われる医療手術ではない。女性の体は女性個人のものというよりは、まるで「世間」や「社会」といった公的な所有物であるかのように、しばしば扱われてきている。妊娠中絶をめぐる論議は、大統領選挙をはじめ連邦議会議員・州議会議員・州知事選挙や最高裁判事の任命といった政治にも関わる、世論を二分する大きな問題である。
望まない妊娠や、何らかの理由で産めない・産みたくない場合には女性の選択として中絶を認めるべきだと考える人々は、女性の選択(チョイス)権に賛成(プロ)という意味で「プロチョイス」と自称する。一方、いかなる場合も中絶には絶対反対、あるいは母体の生命の危険の場合を除き中絶は許さないと考える反対派は、胎児の生命(ライフ)を尊重する(プロ)という意図で「プロライフ」と自称する。両派の活動家たちは、中絶を合法化した一九七三年のロウ判決以来対峙している。今やアメリカにおいて「チョイス」と言えばすなわち中絶権擁護派を意味し、「ライフ」と言えばまっさきに「中絶反対、胎児の生命尊重」の意味に使われているといっても過言ではない。
アメリカ社会に対する日本人の関心は高いが、このように日本の状況とは極端に異なる中絶をめぐる論争や問題は、一般にはまだあまり知られていないように思う。私は、アメリカにおける妊娠中絶をめぐる問題や論争・裁判を、七三年の中絶合法化以降を中心に、八九年以来一六年にわたって追ってきた。
七八年から八〇年まで二年間、アメリカ南部のノースカロライナ大学チャペルヒルで大学院生活を送ったが、オリエンテーションで授業案内などとともに手にした、もし妊娠したらどこへ相談したらよいか、中絶を受けたい場合にはどうしたらよいか、あるいはレイプされたらどこへ駆け込めばよいか、などといった情報を載せたパンフレットを見て、驚いた経験がある。日本の大学では想像もできないことだった。同時に、アメリカとはなんと自由で、懐が広いのだろうと、単純に感心したものである。カルチャーショックであった。
そのアメリカが、一九八九年の最高裁裁判ウェブスター事件で妊娠中絶再非合法化の瀬戸際にあるという報道を日本で知った時は、別の意味でショックを受けた。以来、中絶に関わる連邦最高裁判所の動きとアメリカ社会における中絶論争に強い関心を持ってきた。元来はアメリカ女性史研究者としてトレーニングを受けたのだが、アメリカや女性史への学問的関心だけでなく、中絶は一女性としても追わずにはいられぬテーマとなった。日本では中絶や避妊の問題がどのように扱われているのか、またその歴史にも関心を持つようになった。
この間、これらのテーマに関する論文や記事を書き続け、国内外で口頭発表も行ってきた。一九九五年にアメリカ政府のインターナショナル・ビジター・プログラム(IVP)でアメリカ各地を四週間訪れ、中絶問題を現地調査することができた。それをもとに九五年に『朝日新聞』や『読売新聞』に発表した記事には、かなりの反響があり、一般読者の関心が高いことも知った。今回、これまでの研究論文や記事を整理し、まとめ直して、単著として出版することにした。
この本では、アメリカにおける中絶問題を中心軸としてすえ、現代だけでなく一九世紀後半の歴史事象にも言及する。アメリカの歴史を踏まえた上で、中絶をめぐる問題をとおして、アメリカ社会の何が見えるのか、日本とどのような違いが見えるのかをも考察する。中絶論争を中心に、性や生殖・妊娠・避妊・女性と男性の関係(ジェンダー関係)といった問題についての日米比較を行い、これらの観点からアメリカ社会を描いてみる。これにより、多くの日本の人々に、アメリカの妊娠中絶をめぐる問題や状況、アメリカ人の考え方を知ってもらえればありがたい。