目次
日本語版序文(小泉英明)
はじめに
謝辞
序章
第1部 前提
第1章 教育状況
1.1. なぜ、そして誰が学習するのか
1.2. 何を、いつ学習するのか
1.3. どのように、どこで学習するのか
第2章 認知神経科学はいかにして教育の政策と実践を啓発することができるか
2.1. 認知神経科学でわかったことは
2.2. 教育政策への啓発
第2部 認知神経科学と教育の出会い
第3章 三つの国際フォーラム
3.1. 脳メカニズムと幼年期学習:ニューヨークフォーラム
3.2. 脳メカニズムと青年期学習:グラナダフォーラム
3.3. 脳メカニズムと老年期学習:東京フォーラム
第4章 神経科学的アプローチからみた学習
4.1. 脳組織と神経情報処理についての原理
4.1.1. ニューロン、精神状態、知識、学習
4.1.2. 機能組織
4.2. 研究方法、方法論、教育的重要性:脳機能イメージング法の影響
4.3. 読み書き能力と計算能力
4.3.1. 言語学習
4.3.2. 読むスキル
4.3.3. 数学的スキル
4.4. 情動と学習
4.4.1. 情動脳
4.4.2. 情動調整と情動イメージ
4.4.3. 努力を要する抑制:教育的変数
4.5. 生涯学習の脳
4.5.1. 老化と病気:アルツハイマー病と老年期うつ病
4.5.2. 健康と認知活力
4.5.3. 可塑性と生涯学習
4.6. 神経神話
4.6.1. 科学と憶測の分離
4.6.2. 大脳半球優位性(あるいは大脳半球特異性)
4.6.3. シナプス発達、「豊かな」環境、「臨界期」
第3部 結論
第5章 研究展望
5.1. 環学的(trans-disciplinary)アプローチに基づく新しい学習科学に向けて
5.2. 次へのステップ:研究ネットワーク
5.2.1. 研究の種類と方法論
5.2.2. 三つの研究領域
領域1:脳発達と読み書き能力
領域2:脳発達と計算能力
領域3:脳発達と生涯学習
5.2.3. 三つの研究ネットワーク:構成と期待される成果
付録
用語集
三つのフォーラムの議題
参考文献
人名索引
監修者あとがき(小泉英明)
前書きなど
日本語版序文 脳の本質を知って、いつかはそれを人間理解や社会問題の解決に結びつけることは、長い間、脳科学者の夢であった。最近になって、完全に非侵襲(身体を傷つけず無害)な脳機能イメージング法が急速に進展したことにより、日常的な精神活動を含めた脳の高次機能の一部を、安全かつ経時的に観察することが可能になってきた。そのために、脳科学を学習や教育に役立てるという夢が実現する兆しが見えつつある。 私たちの思考・判断・創造などはすべて脳の働きによっている。人間の深い思索や、心の働き、そして愛や憎しみなどにかかわるのは人文学や芸術であり、さらには人間の社会を研究するのは社会科学の範疇であった。しかし、今、脳科学の仲立ちによって、自然科学と人文・社会科学、さらには芸術の世界が互いに架橋・融合される兆候が顕在化しつつある。 この潮流から生まれた新分野の典型が「脳科学と教育」という研究領域である。OECDの「学習科学と脳研究」もまさにこのアプローチのひとつと捉えられる。 従来、学習や教育については、教育学や教育心理学を基調とした文科系の実践分野とされてきた。しかし、学習や教育の概念を生物学的に捉え直すことによって、脳科学と結びつけることが可能となりつつある。すなわち、「学習」とは、「環境(自分以外のすべて)からの外部刺激によって、神経回路網が構築される過程」であり、一方の「教育」とは、「神経回路網構築に必要な外部刺激を制御・補完する過程」である。もちろん、一般には、より善き価値観を基調にした学習と教育がデザインされると考えられている。しかし、一度、価値観を削ぎ落として生物学の視座から「学習」と「教育」を捉え直すと、自然科学として客観的に研究することが可能となってくる。 学習・教育を自然科学の視座から捉え直すと、命を授かった直後の胎児期から始まり、幼年期、若年期、やがては高齢期を経て死に至る一生を通じた包括的かつ一般化された概念として浮かび上がってくる。胎児期の羊水中の環境問題から、育児、保育、初等・中等・高等教育、語学教育、特殊教育、虐待問題、リハビリテーション、業務教育、認知症予防・治療、非行防止・刑法、メディアの影響など、学習と教育の全体を生物学的視座から俯瞰統合的に見直すことが可能となる。 特に乳幼児期は、考える基本・感じる基本となる神経回路の基礎・基盤が構築される時期であり、脳神経科学による深い理解が必要とされてくる。また、自我が芽生えたあとには社会的に生きて行くためのスキルやマナーが躾けられる。思春期には、情操が芽生えてくる。さらに、高齢になると、健やかに老いるための学習が必要となってくる。迫りくる少子高齢化社会には種々の深刻な社会問題が予想されるので、確実な対策が必要である。 OECDの「学習科学と脳研究」に関する国際プログラムの創始には、1999年当時、OECD教育研究革新センター(CERI)の長であったヤール・ベングソン博士(Dr. Jarl Bengtsson)の功績が大きい。新たに配属されたフランスの外交官であったブルーノ・デラ・キエザ博士(Dr. Bruno dela Chiesa)とともに、手探りでこの分野が成立し得るかを調査した。そのために、人間の一生を幼年期・青年期・老年期の三つの期間に区分して、世界のトップ水準の関係研究者を集めてブレーン・ストーミングを実施した。2000年にはニューヨークにて、2001年にはグラナダと東京にて、三つの期間に分けたフォーラムが開催されたのである。これらの斬新な連続ブレーン・ストーミングの結果、新領域が確実に形成し得ることが見出された。 そして、2002年4月に英国王立研究所において、国際プログラム「脳科学と学習研究」を立ち上げるための最初の会議が開催されたのであった。このときの議論を基調として、現在は三つの研究ネットワークにて約30の国際研究チームが鋭意研究を進めている。米国が取りまとめる研究ネットワークは「読み書き(literacy)」に関する脳研究、EUが取りまとめる研究ネットワークは「計算(numeracy)」に関する研究、アジアが取りまとめる研究ネットワークは「生涯学習(life-long learning)」である。それぞれの研究ネットワークは2004年時点までに、それぞれ二回の国際シンポジウムを開催するとともに、インターネットを活用して広範な研究交流に努めている。今後の研究成果に大きな期待が寄せられている。 原書は最初に英語版として出版されたが、人文・社会科学と自然科学とにまたがる困難な原稿を最初にまとめたのは、英国のクリストファー・ボール卿(Sir Christopher Ball)と米国のアンソニー・ケリー博士(Dr. Anthony E. Kelly)であった。英国での教育新潮流に造詣が深いクリストファー・ボール卿は、オックスフォード大学でカレッジの学長を務めた豊富な経験をもとに、この「学習科学と脳研究」という新たな領域の意義と背景(第1部)、並びに、今後の研究の可能性と重要性(第3部)を、広範かつ深い視座からまとめ上げた。アンソニー・ケリー博士は、米国国立科学財団(NSF)の研究企画責任者としての豊富な経験をもとに、世界の関連研究の現況と脳科学の最先端(第2部)をまとめ上げた。これらの素原稿に、多くの分野にわたる専門家が意見を加え、先のブルーノ・デラ・キエザ博士を中心としたOECD教育研究革新センターのスタッフが最終原稿へと完成させたものが本書である。このきわめて意義深い困難な取り組みに挑戦され、初志を貫徹された方々に深い敬意を表したい。2005年1月独立行政法人 科学技術振興機構・研究統括株式会社 日立製作所・役員待遇フェロー小泉 英明