目次
まえがき
序章 解凍—国家再建のための改革開放へ(1975〜78)
1 文革収拾から秩序回復へ
2 「四つの現代化」—路線転換の兆し
3 「全方位的整頓」—トウ小平の挑戦と挫折
4 「洋躍進」—華国鋒路線の頓挫
5 「思想論争」—改革派勢力の再結集
6 路線転換—改革開放時代を迎えて
第1章 始動—底辺からの出発(1978〜83)
1 経済調整政策の実施
2 改革開放指導体制の確立
3 「農業生産請負制」実施と人民公社の解体
4 経営自主権拡大と企業改革の試み
5 経済管理体制改革の模索
6 対外開放実験と経済特区の設立
7 経済建設を中心に—「小康目標」の提起
第2章 展開—全面開放の時代へ(1984〜88)
1 対外開放地帯の形成と拡大
2 「経済調整」からふたたび体制改革へ
3 価格体系改革—初めての試み
4 農村産業構造の大調整
5 郷鎮企業—産業発展の新たなる原動力
6 「政企分離」—体制改革の第一歩
7 労働制度改革の本格化
8 「放権譲利」—国有企業改革の新進展
9 ふたたび緊縮経済政策へ
第3章 挫折—経済社会諸問題の露呈(1989〜91)
1 構造的矛盾に直面する改革開放
2 経済低迷と市場萎縮の影
3 農村労働力過剰と労働市場の形成
4 農業総合開発戦略の提起
5 国有企業経営活性化への試み
6 価格体系改革の本格化
7 対外経済交流の再開と海外投資の増加
8 局地経済圏の形成と拡大
第4章 加速—高度成長時代の幕開け(1992〜95)
1 「改革加速」—トウ(左に登、右にこざと偏)小平の大号令
2 外資進出ラッシュと外資政策の見直し
3 高度成長の陰に過度な開発ブーム
4 消費ブームの過熱と物価高騰の再来
5 所得格差と地域格差の拡大
6 農業低迷問題がふたたび浮上
7 社会保障制度の総合的改革
8 国有企業改革の再加速
第5章 試練—危機を乗り越えて(1996〜98)
1 難局を乗り越えての「軟着陸」
2 輸出強化と内需拡大の総動員
3 農業増産の陰に構造的弱点
4 国有経済の再編と産業構造の調整
5 国有企業改革と近代的企業制度の樹立
6 外資優遇策—地域傾斜から産業傾斜へ
7 沿海部一極集中から内陸部開発へ
8 「大中華経済圏」結成への模索
第6章 躍進—新興経済大国を目指して(1999〜2003)
1 高成長と国内市場の拡大
2 WTO加盟と経済グローバル化
3 内需拡大政策と国内消費の起伏
4 国有企業改革が新しい段階へ
5 私有制公認と民営企業の躍進
6 西部大開発の本格的取り組み
7 「三農問題」と農業生産の効率化
8 「第3の極」—東北工業基地の再起を目指す
9 「中国シフト」—再加速する外資進出
10 「走出去」—製品の輸出拡大と企業の海外進出
11 FTA戦略—東アジア地域の経済統合を目指す
あとがきに代えて——中国経済はなぜ高成長を成し遂げたのか——
前書きなど
中国経済に関心を持つ多くの方は、中国経済の行方をめぐる専門家の論調やマスメディアの報道ぶりが常に激しく揺れることに気づいているだろう。 例えば、昨年(2003年)以来、中国当局が人民元為替レートの人為的操作により、世界に対して低価格製品を不当に大量輸出し、日本をはじめとする先進諸国にデフレを輸出している、と激昂した一部の経済学家、ジャーナリストまたは政治家たちは中国に非難の矛先を向けている。また、つい最近まで、低コストを目指して中国に進出する日米欧企業の支えにより、中国が「世界の工場」に様変わりし経済超大国化のスピードを上げている、と一部の情緒的な中国問題専門家はいわゆる「中国の脅威」を大々的に取り上げ、読者や視聴者の目を引くための話題作りに奔走している。 思えば、1997年のアジア通貨危機時に、人民元の切り下げ不可避論を煽りながら、中国経済が破綻に向かうと力説した学者が少なくなかった。なかには、中国社会の崩壊と国家分裂を予測する人もいたほどだった。ところが、後の中国が経済躍進を遂げ続けた事実を前に、断片的な情報に基づいて中国経済を論評・予測した反省を示す者はいまだに皆無である。 なぜ、中国経済に対する楽観論と悲観論はこれほど入り交じるようになっているのだろうか。なぜ、多くの人々は中国の経済発展過程に起きるさまざまな動きに一喜一憂するのだろうか。筆者の答えはただ一つ、改革開放期の中国経済における変革の歴史を知らない「中国経済論者」が、激動の中国経済自体に対して常に「不動の物差し」で測ろうとしたためだ、ということである。 そもそも、1978年から始まった中国の改革開放自体が人類未経験の巨大な実験だけに、先進国がかつて経験したような市場経済化の既存経験をそのまま鵜呑みにすることはできない。そのため、中国の経済運営を担う指導部は常に、自らに対する否定を重ねて前進の方向を修正しつつ前に進んできたのである。 進歩が著しい、潜在的将来性に富んでいる、と有望視される中国経済は、一方ではさまざまな難題や傷跡も抱えている。とりわけ、社会体制の根本的変換を迎える重要な時期に入った中国はいま、政治的・社会的安定を維持しながら経済開発の速度を上げなければならないため、慎重で堅実な政策運営を余儀なくされている。中国の経済運営における舵取りの困難さは、1978年12月の共産党11期3中全会での路線転向から、世界屈指の経済規模に到達しようとする今日に至るまでの長き過程において、経済建設重視の現実主義的路線にこだわり続けた中国指導部の頓挫、失敗の多さと正比例している。これが実は、改革開放期の中国が経験してきた多難な記録であり、中国経済が幾度も難関を突破して前進し続けてきた真の姿なのである。 本書では、改革開放路線が確立される直前の状況回顧から着手し、中国指導部が改革開放を決断し、市場経済導入を決意した当時の政治的・経済的・社会的背景を対象に、時系列に沿って回顧し検証することに重点を置いた。いうまでもなく、中国経済がここ二十数年来歩んできた歴史的経緯を振り返るものとして、経済問題に焦点を絞って書くべきであろう。しかし、中国の改革開放政策が打ち出される直前の1970年代後半当時の情勢と、その状況下で政治的な変革を意識して路線転換を図った中国指導部の政治姿勢の変化に触れずに、中国における経済運営方針の大転向を語ることはできない。この意味で言えば、改革開放に突入する特別な時期に当たり、中国指導部の新路線確立に至るまでの政治的情勢をも分析し、振り返ってみることは必要不可欠なのである。 とりわけ、かつて国有企業勤務時代に初めて企業改革による経営効率化の成果を味わうことができた筆者は、管理制度の緩和措置一つで労働者の勤務意欲が大きく変わった1975年頃当時の出来事を未だに鮮明に記憶している。また、その年から、中国政府は社会秩序の整備とともに、企業管理制度と労働規律の強化を中心とする経済建設重視へと姿勢が変化し始めた、と筆者は今もこのように認識している。 今日、市場経済化のそれぞれの段階において、中国政府が試行錯誤を繰り返す宿命的な道程を余儀なくされる現実を見ながら、改革開放の大実験を開始した当初の中国にとって、実験台となるはずの社会的・経済的基盤がいかに脆弱だったのか、この歴史的な事実をあらためて思い知らされたと同時に、難局を乗り越えてきた中国経済の強靱な生命力に驚かずにはいられない。(後略)