目次
始めに—教育とは何か
第一章 現代中国教育とは
第一節 中国人の教育観
第二節 近代教育とは
第三節 伝統、遺産と創造
第二章 現代中国教育法規
第一節 中国教育法規の特徴と体系
第二節 中国教育法規の歴史
第三節 『中華人民共和国教育法』とその立法過程
第四節 中国における教育法規の問題と課題
第三章 現代中国教育行政制度
第一節 教育行政の定義とその歴史
第二節 現行の教育行政制度とその変遷
第三節 学校制度について
第四章 現代中国教育財政
第一節 教育財政の定義
第二節 中国教育財政のしくみと現状
第三節 中国の教育費の実情
第五章 現代中国初等教育
第一節 初等教育の近代的な発端
第二節 初等教育の拡張期
第三節 初等教育の復興期
第四節 初等教育の発展期
第六章 現代中国中等教育
第一節 中等教育の発端
第二節 中等教育の実験期
第三節 中等教育の拡張期
第七章 現代中国高等教育
第一節 近代高等教育の嚆矢
第二節 近代高等教育の実験
第三節 高等教育の新たな挑戦
第八章 現代中国教師教育
第一節 中国の教師像
第二節 教員養成制度の歴史
第三節 新しい教員養成制度への模索
第九章 現代中国の学校教科書
第一節 近代教科書の変遷
第二節 中華民国時期の教科書
第三節 中華人民共和国時代の教科書
終わりに—グローバリゼーション・市場化・情報化の波間で
付録1 『中華人民共和国教育法』
2 参考文献
3 中国の教育システム
あとがき
前書きなど
始めに—教育とは何か 教育とは何か?という問いにはさまざまな答えが用意できる。しかも、いままで、哲学者や教育学者をはじめ無数の学者が回答を出してきた。しかし、これといった決まった答えがないまま、今日に至っても、なお、問い続けられている。 本書は教育とは何かという問いに答えるためのものではない。そもそも、このような問いに答えられるような力量を筆者は持っていないからである。しかし、この問いはおそらく現代人にとっては誰も避けて通れないものであろう。 中国生まれ、中国育ちの私は、子どもの時に聞いた以下の話がずっと脳裏にこびりついている。 いつの時代か分からない、それは上古で孔子、孟子の時代よりも早いであろう。ある家に子どもが生まれた。待望の跡継ぎが生まれたので、両親はもとより、祖父母も大喜びである。しかし、艱難なる世の中をどう生きていくかと考えると、さすがの親もわが子の将来を案じずにはいられない。この子に将来、何になってもらおうか、考えあぐねて親たちは相談した。百獣の王はトラであるから、この子にトラのように成長することを願おうと考えたら、いやいや、トラは猟師に捕らわれるからいかん。ならば、大海原を泳ぐ鯨のようになってもらおう。しかし、鯨にも漁師の網があるからいかん。それなら、大空を自由に羽ばたける鷹になってもらおう、いやいや、鷹を狙う猟師の弓矢が怖いから、それもいかん。色々と思い巡らしても、これといった結論が思い浮かばない。突然、お父さんは、そうだと手をたたいて飛び上がった。「龍だ、龍のように成長したら、怖いものは無いだろう。我が子に龍になってもらおう……」 これは有名な話で、「登龍門」という伝説の原型である。後に朝鮮半島や日本列島にも伝わって、広く東アジア諸民族の子を思う親の気持ちを代弁するものとなった。 龍は中国人の想像上の動物で、深い水中に棲みながら、空をも自由に駆け巡ることができ、水、雨、雷などに関連して神格化されたものであり、すべての動物の長である。我が子が成長して、龍のようになったら、何を恐れることもなく自由奔放に暮らすことができる、と望む親心である。 しかし、誰も龍の末裔などではない。「王候将相寧有種乎」(王侯将相寧んぞ種あらんや『史記 列伝』)、つまり生まれつきの龍であるものはない。この龍は幾度もの試練を経て変身していくものである。生まれはひ弱な鯉でも、激流を遡って登りつめれば龍になる。その試練を教育と解釈し、天下の親は我が子の登龍門の夢を見て、教育を受けさせている。 大人になって、日本に来てからも、何らかの形でこの話が私の専攻選定、職業選びに影響力を及ぼしたのではないかと思う。 中国教育についての稿を起こすときに、まず、この伝説が頭の中でよみがえった。これは、中国人の教育信仰の根っこにあるもので、子育てから家庭教育、社会教育、学校教育まですべてを支えている教育の理念でもある。教育という人間の営みは人類の誕生と同時に発生し、長い歴史を有しているから、その意味から言えば、常に古くて新しい問題を抱えている。人間は昔からの問題を引きずっていながら、新しい課題に直面する。そして、そのような問題を解決するカギは「学=教育」にしかないといわれている。しかし、子育てに根付くアジアの伝統教育は、18世紀半ばから西洋の教育(Education)によって接木され、乗り換えられていた。何時からか、我々教育者は意識していようと、無意識であろうと、東洋の若者に西欧の手法で、西欧の内容や概念を、西欧流に教えるようになった。そして、それを嬉々として教育の「近代化」と称する。 アジアにおけるそのような近代教育は、すでに1世紀以上の道を歩んできた。近代に入ってから、誇り高き古代や中世を持つ東洋は、西洋に遅れを取り、苦しめられた。そもそも東洋の近代教育自身も、そのような西洋の脅威から、民族を守ろうとして、始められたものであったり、あるいはスピードを速められたりしたのであろう。そのため、自民族の何千年も積み重ねてきた子育てや教育の伝統は断ち切られて、近代教育との間に、一見乗り越えられそうもない巨大な断絶が横たわっている。 世にはポスト・モダン等で騒々しく、伝統と近代化、我々は20世紀でこの問題に悩まされ続け、その格闘で満身傷痍になったが、今日まで、結論までに至らないまま、大きな曲がり角を迎えている。 アジア、アフリカ等西欧以外の国々が近代に目覚めてから、先発して成功したと目される日本流の近代化の持つ意味がもう一度問い直されている。20世紀は国家や民族の単位で近代化を目指し、その意味を考えた時代とするならば、21世紀の今日では、個人単位で、大衆一人一人がマスの集合体としてではなく、独立した人格を持つ一市民の連帯として、「近代」をもう一度自分の手で確認し、その意味を問い直さなければならない。 そのために、教育が何をしなければならないのか、いや、その前に、教育とは何なのか、あいまいにしないで問わなければならないのではないか、と考えながら、パソコンのキーボードを叩いている。