目次
はじめに
第一章 近代以前の日本人のセクシュアリティ
第二章 結婚のセクシュアリティ
1 婚姻形態の変化
2 離婚の諸相
3 一夫多妻制と一婦多夫制
4 蓄妾問題
5 姦通罪の変遷
6 非嫡出子の問題
第三章 買売春のセクシュアリティ文化
1 廃娼と存娼のせめぎあい
2 近代日本の買売春に対する意識
3 買売春における差別
第四章 海外の日本人娼婦とセクシュアリティ
1 海外日本人娼婦の出自
2 海外日本人娼婦の足跡
第五章 在日外国人のセクシュアリティ
第六章 外国人との婚姻におけるセクシュアリティ
第七章 日本統治下朝鮮におけるセクシュアリティ
1 日本の植民地政策
2 植民地朝鮮の売買春の状況
3 内地からの植民地への移住者の実態
第八章 日本統治下台湾におけるセクシュアリティ
第九章 日本統治下満州・南洋諸島等におけるセクシュアリティ
第一○章 軍隊とセクシュアリティ
第一一章 日本人のホモセクシュアリティ
第一二章 セクシュアリティのイメージと教育
1 セクシュアリティのイメージの変遷
2 性教育
第一三章 言葉にみるセクシュアリティ
第一四章 近代帝国日本のセクシュアリティ
おわりに
前書きなど
本著を書くきっかけになったのは、ロナルド・ハイアムの著書『セクシュアリティの帝国——近代イギリスの性と社会』を読んで感銘を受けたからである*1。ハイアムのこの著書は、主に英国の植民地における英国人のセクシュアリティについて論述したものであるが、日本においても、このような視点からの本が書けないだろうかと思った。日本における近代というと、やはり明治維新後ということになる。日本が欧米にならって近代化を進める過程において、セクシュアリティはどのように変化したのであろうか。日本も近代化過程で、植民地を持つようになり、そこでの日本人のセクシュアリティが英国の植民地と比較できるとも考えた。 日本におけるセクシュアリティは、明治維新を境に、近世から近代へと代わるなかで、変化してきた。そして二回目の変革は第二次世界大戦で日本が敗れて、民主的国家に変わって、現代にいたるまでの間と思われる。しかし、第二次世界大戦後の現代につながる時代のセクシュアリティについては、さまざまな論考があり、読者も肌で感じていることと思われるので、ハイアムの例にならって、本書の内容は、主に日本の近代化過程である明治維新から第二次世界大戦の終結までとした。 本書を書き進めるうちに、出会った多くの優れた著作は、筆者をたじろがせるに充分なものであった。たとえば、古くは、多くの研究者や著者が引用する村上信彦の『明治女性史』の力作があるが、むしろ、最近の著作に新たな視点での優れた著作が目についた。とくに女性研究者の手による藤目ゆきの『性の歴史学』や嘉本伊都子の『国際結婚の誕生』には圧倒された。また「セクシュアリティ」という言葉を前面に出している赤川学の『セクシュアリティの歴史社会学』や川村邦光の『セクシュアリティの近代』、三橋修の『明治のセクシュアリティ』にも開眼させられた。さらに、駒込武の『植民地帝国日本の文化変容』にも多くの示唆を受けた。 これらの優れた著作を前に、いささか躊躇したのであるが、これらの著作とは違う視点、すなわち、大きな枠組みでセクシュアリティをとらえることと、人びとの生活体験的な視点での、セクシュアリティの変化を、なるべくわかりやすく描こうと考えた。このような意図が十分達成したかといわれると、いささかこころもとないのが、実感であるが、とりあえず読者の評価にゆだねようと思う。 本書を書き進めながら試行錯誤しているうちに、筆者が到達した日本(日本だけではないが)のセクシュアリティのありようについての思索を若干紹介したい。まず題名であるが、最初、本書の題名を『近代日本のセクシュアリティ』にしようと考えた。しかし、本書を書き進めるうちに『近代帝国日本のセクシュアリティ』のほうが、より実態を表わしていると確信し、題名を変えた。すなわち、「帝国化」とはほかならず「暴力化」であり、近代帝国日本のセクシュアリティもまた、その意味で「帝国化」にほかならなかったのである。 また、世に多くの「女性史」と銘うった著作があるが、「男性史」と銘うった著作は、ほとんどない。普通に書かれている「歴史」がそもそも「男性史」であることが、セクシュアリティの在りようを示していると、改めて実感させられた。 つまり、セクシュアリティの歴史の在りようが、近代帝国日本の在りようと深く結びついていたことを追求したのが本書である。註*1 ロナルド・ハイアム著、本田毅彦訳『セクシュアリティの帝国——近代イギリスの性と社会』柏書房、一九九八年