目次
1 世界でもっとも美しい島から砂糖の島へ
第1章 コロンブスによる「発見」——先住民の死滅、奴隷労働による繁栄へ
第2章 キューバ人の形成——「キューバの精神は混血なのだ」
第3章 砂糖モノカルチャーの形成——米国の砂糖農場への道
第4章 海賊の時代——要塞都市の誕生
第5章 ナルシーソ・ロペスの悲劇——第一次独立戦争1
第6章 「ヤラの叫び」——第一次独立戦争2
第7章 バラグアの抗議——第一次独立戦争3
第8章 ホセ・マルティ——第二次独立戦争1
第9章 メイン号爆発の不思議——第二次独立戦争2
2 カストロの革命
第10章 モンカダ兵営襲撃——革命のはじまり
第11章 平等主義社会——「乏しきを分かち合う」
第12章 フィデル・カストロ・ルス——国民を一つにする不思議な魅力と求心力
第13章 エルネスト・チェ・ゲバラ——人びとの心を捉えて離さぬ「放浪の旅人」
第14章 メルバ、アイデー、セリア——キューバ革命女性群像
第15章 グランマ号——革命勝利は嵐に揺れるヨットに托された
第16章 キューバとソ連——援助は受けるが従属せず
第17章 反革命軍侵攻事件——プラヤ・ヒロンの危機
第18章 ミサイル危機——ソ連への怒りと幻滅
3 ソ連消滅のあとに
第19章 「キューバ風経済自由化」とは?——「国有企業の改革で発展を」
第20章 キューバ共産党と宗教——「無神論」の党に神を信ずる者が入党
第21章 観光開発——経済危機の救世主
第22章 平等主義体制の崩壊——誰が「小金持ち」か
第23章 第三の農地改革——巨大農場は失敗だった
第24章 マイアミのキューバ人——米国内での強い政治的圧力集団
第25章 在米反キューバ組織——世代交代で危機感募らせる反革命派
第26章 米国とキューバ——カストロ憎しで自縄自縛の大国
第27章 バルセーロ——イカダでフロリダを目指すキューバ難民
第28章 エネルギー開発——夢破れた原発を超えて
4 「キューバ風社会主義」
第29章 議会制度——代表民主主義か草の根民主主義か
第30章 アンゴラ派兵——ルーツでの戦い
第31章 国際主義——キューバで学ぶ第三世界の青年たち
第32章 マチスモから女性解放へ——「フェミニスト」カストロの大きな功績
第33章 メディア——共産党機関紙『グランマ』
第34章 カリブ海の小さな科学大国——バイオテクノロジーを生かした有機農業
第35章 スポーツとオリンピック——勝つことに意義がある
5 豊かな芸術——サルサ、ヘミングウェイ、世界遺産
第36章 混血の果実——キューバ音楽1
第37章 ポピュラー音楽の展開——キューバ音楽2
第38章 主な音楽家たち——キューバ音楽3
第39章 キューバ国立民族舞踊団——フォークロアの舞台化
第40章 キューバの宗教——聖人(サント)と霊の世界
第41章 キューバ文学——カリブの豊かなイマジネーション
第42章 新世代作家とその文学——自国の現実を再発見
第43章 ヘミングウェイの家——大作家後半生の避難所
第44章 キューバ映画——新ラテンアメリカ映画の担い手を育成
第45章 ウィフレド・ラムからカーチョまで——キューバ美術の巨匠たち
第46章 ハバナの風景——キューバの都市1
第47章 世界文化遺産——キューバの都市2
6 クレオール世界
第48章 キューバ料理——海洋国家でありながら強い肉料理志向
第49章 ラム酒——キューバの国民的スピリッツ
第50章 コーヒー——国民のアイデンティティ形成に深く関与
第51章 ハバナ葉巻——愛煙家にとっての垂涎の的
第52章 カーニバル——キューバを代表するフォークロア
前書きなど
一九九〇年代前半には公称二〇〇〇人にとどまっていた日本からキューバへの観光客が、二一世紀を迎えた今日では一万人を超える勢いだという。 キューバ自身が観光立国の道を邁進している事実と相まって、確かに九〇年代には日本でもキューバをめぐるさまざまなエポックが持ち上がったことが記憶に残る。 一九九二年、「ノーチェ・トロピカール」公演でキューバ音楽ブームの端緒となり、 同年、バルセロナ五輪でのキューバチームの活躍に世界中が度肝を抜かれ、 一九九三年、ハリケーン被害に対して日本での支援運動が広がり、 一九九四年、映画「苺とチョコレート」公開でキューバ社会に対するイメージが変化し、 一九九六年、アトランタ五輪でまたしてもキューバチームが大活躍し、 一九九七年、チェ・ゲバラ没後三〇年でゲバラTシャツが街にあふれ、 一九九八年、日本人移民一〇〇周年で交流が成熟し、 一九九九年、キューバでジャパン・ウィークが開催され、 二〇〇〇年、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がブームになった。 もちろん、この間には、米国の二度にわたる経済封鎖の強化(トリチェリ法とヘルムズ=バートン法の施行)、一九九四年の大量出国騒動、一九九六年のキューバ軍による米機撃墜事件、あるいはペルー日本大使公邸占拠事件を引き起こしたゲリラグループが日本のマスコミで“キューバ系”と連呼されたりといったネガティブなエポックもあって、その都度観光客の足は止まったが(客足を止めた決定打は米国の同時多発テロ事件であった)、主として文化的な側面でキューバとの交流は停滞することなく、二〇〇〇年には大阪からハバナへの初の日本航空の直行便就航(チャーター便)も実現した。日本とキューバの心もとない草の根の絆は、とてもゆっくりとだったが、確固としたものに成長してきたのである。 一九八〇年代から九〇年代中盤まで、キューバを紹介する書籍は極端に少なかったが、関心の高まりとともに、多くの書物が世に出た。キューバを知りたいと思ったとき、興味・関心に沿った入門書や専門書に事欠かなくなったことは喜ぶべきである。その上で本書の編纂に当たっては、各分野の専門家による概括的な一般書たることを念頭に置いた。
(…後略…)
樋口 聡