目次
収録作者・作品一覧
●現代文問題(抜粋)
阿久悠『普段着のファミリー』
芥川龍之介『お時儀』『歯車』『侏儒の言葉』『地獄変』『沼地』
阿部公彦『詩的思考のめざめ』『文学を〈凝視する〉』
阿部昭『自転車』『短編小説礼讃』『忘れられない一枚の写真 映像文化論』
安藤宏『近代小説の表現機構』『太宰治 弱さを演じるということ』
池内了『宇宙論と神』『科学と人間の不協和音』『科学の限界』『科学の落し穴』『物理学と神』
石川久楊『書に通ず』『二重言語国家・日本』
石原吉郎『望郷と海』『無感動の現場から』
泉鏡花『栃の実』
市村弘正『標識としての記録』『名づけの精神史』
伊藤整『梶井基次郎―小説作法第一話』
井上靖『わが母の記』『道』
猪木武徳『自由と秩序』『戦後世界経済史』
今井むつみ『ことばと思考』
今福龍太『クレオール主義』『薄墨色の文法』
今村仁司『抗争する人間』
岩井克人『経済学の宇宙』『戦後70年 日本の立ち位置は2』『戦後70年 日本の立ち位置は3』
上野千鶴子『「家族」の世紀の終わりに』『ひとりの午後に』
内田義彦『「読むこと」と「聴くこと」と』『社会認識の歩み』『生きること 学ぶこと』
内田樹『街場の戦争論』『街場の憂国論』『活字中毒患者は電子書籍で本を読むか?』『反知性主義者たちの肖像』
内山節『新・幸福論』
大岡信『詩をよむ鍵』
大澤真幸『自由という牢獄』
大森荘蔵『自然〈一 「自然」の概念〉』『大森荘蔵セレクション』
大屋雄裕『自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅』『社会契約論―包含と排除の法』
岡本かの子『快走』
小川洋子『ミーナの行進』
長田弘『なつかしい時間』『幸福という一語』
加藤周一『読書術』『日本人とは何か』『物と人間と社会』
川田順造『コトバ・言葉・ことば―文字と日本語を考える』『文化を交叉させる―人類学者の眼』
川端康成『掌の小説』『葬式の名人』
河本英夫『〈わたし〉の哲学 オートポイエーシス入門』『臨床するオートポイエーシス』
管啓次郎『コヨーテ読書』『夢、文学のはじまり』
木内昇『わからないから面白い』『櫛挽道守』
菊池寛『入れ札』『友と友の間』
黒井千次『あれとこれとそれからと』『聖産業週間』『老いのつぶやき』
小池昌代『言葉以前』『石を愛でる人』
河野哲也『境界の現象学』『道徳を問いなおす―リベラリズムと教育のゆくえ』
斎藤孝『日本人の心はなぜ強かったのか』
齋藤希史『漢字世界の地平』『漢文脈と近代日本』
佐々木毅『「平成デモクラシー」を問う』『学ぶとはどういうことか』
佐多稲子『三等車』
志賀直哉『灰色の月』
重田園江『ナウシカとニヒリズム』
竹西寛子『「あはれ」から「もののあはれ」へ』『青葉の時へ』『続・往還の記』
太宰治『ヴィヨンの妻』『たずねびと』『雪の夜の話』『燈籠』
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』
辻邦生『十二の風景画への十二の旅』『西行花伝』
土井隆義『キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像』『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』
外山滋比古『エディターシップ』『未知を読む』
永井荷風『ふらんす物語』『矢立のちび筆』
中島敦『真昼』
永田和宏『歌で伝えられるもの』『近代秀歌』
中村桂子『科学者が人間であること』
中村雄二郎『哲学の現在』『臨床の知とは何か』
夏目漱石『永日小品「文鳥・夢十夜」』『三四郎』『門』
西平直『教育人間学のために』『世阿弥の稽古哲学』
野内良三『レトリックと認識』『偶然を生きる思想』
野上弥生子『森』
野矢茂樹『他者の声 実在の声』
萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』
長谷川宏『高校生のための哲学入門』
長谷川寿『進化と人間行動』
長谷川眞理子『オスとメス=性の不思議』
蜂飼耳『馬の歯』
林香里『震災における「ケアのジャーナリズム」』
原研哉『日本のデザイン』
古井由吉『「時」の沈黙』『言葉の呪術 全エッセイⅡ』『聖なるものを訪ねて』
松浦寿輝『幻滅について』『青天有月』『波打ち際に生きる―研究と創作のはざまで』
丸山真男『現代における人間と政治』
三浦雅士『私という現象』
港千尋『ヒョウタン美術館』『書物の変―グーグルベルグの時代』
村上陽一郎『科学者とは何か』『近代科学を超えて』
柳田邦男『言葉が立ち上がる時』『口承文芸史考』
山崎正和『歴史の真実と政治の正義』
山田詠美『晩年の子供』
吉本ばなな『明るい夕方』
鷲田清一『〈ひと〉の現象学』『「摩擦」の意味―知性的であるということについて』『しんがりの思想』『わかりやすいはわかりにくい?』『京都の平熱』『大事なものは見えにくい』『哲学の使い方』
渡辺京二『逆説としての明治十年戦争』『万象の訪れ―わが思索』『民衆という幻像』